
茶事に欠かせないのが「四つ碗」というものらしい・・・。本来「四つ椀(よつわん)」は、懐石家具のうち、「飯椀」、「汁椀」、「平椀」、「壺椀」の四つ揃えの塗椀のことをいいます。(下写真:左) 一般的に「平椀」、「壺椀」は胴紐のある外蓋になります。
ただ「飯椀」と「汁椀」の両椀で引入(内蓋)になっていて、身を重ね、蓋をその中へ重ねると四つ重ねに収まる「四重椀」も「四つ椀」と呼ばれています。(下写真:右)

当方ではこの手の四つ揃えの塗椀は朱塗の椀のところで数多く説明しましたが、真塗(黒塗)にても出来れば揃えておくのもいいでしょう。どちらかというと朱塗より真塗(黒塗)のほうが主流のようです。
下記の写真は6客揃いの状態です。通常は最近はこのような器類は10客揃いが多いようですのが、当方では各々スペアを確保して12客(6客2セット)を用意してあります。

この手の漆器の椀揃いは現在でも懐石セットなども含めて多数販売されていますが、やはり国産漆の古いものがいいでしょう。間違っても樹脂製のものは使いたくないですね。

さて本日は郷里の友人であり、大学の先輩であり、そして陶芸の師匠でもあった平野庫太郎氏の作品の紹介です。
小生が東北で転勤族であった頃に幾度となく秋田市内の自宅兼窯元に通ううちに親しくなり、時間の経過とともに作品を入手するようになりました。
本ブログでは平野庫太郎氏の幾つかの作品を紹介していますが、本日は「木葉天目茶碗」にフォーカスして紹介したいと思います。
下記の作品は一番最初に先生から頂いた作品です。見込みの木葉天目は写真より実物のほうがはるかに美しい発色となっています。ただ本作品は高台まで釉薬が垂れて失敗作だと先生は言っていました。捨てるには惜しいので小生が譲り受けた作品です。むろん平野庫太郎氏は箱書などはしないと言っており、あくまでも失敗作であるため小生が使うためだけにとしてくれた作品です。
失敗作は味があっていい・・・
木葉天目茶碗 平野庫太郎作 その1

もともと木葉天目茶碗は中国から伝来した作品で、南宋時代の吉州窯の木葉天目茶碗は我が国にも十数点あり、多くは出土品です。代表とされる木葉天目茶碗は前田家の宝として古くから伝来したもので、文様表現や形姿、釉調など、木葉天目茶碗中の絶品として定評があります。

現在は東洋陶磁美術館収蔵で重要文化財に指定されており、*曜変天目に次ぐものとして、油滴天目とともに中国伝来の唐物茶碗の最上品とされています。
*曜変天目茶碗は世界に3点しかない(静嘉堂文庫美術館蔵、藤田美術館蔵、大徳寺龍光院蔵)とされ、すべて日本にて国宝に指定されている曜変天目茶碗ですが、実は本能寺の変で消えた幻の曜変天目茶碗があったことは一般にあまり知られていないようです。織田信長と共に消えた曜変天目茶碗のナンバーワンがあったようです。「君台観左右帳記」に「無上也。世上になき物也。」、「万疋の物也」と記されており、一説には足利義政が所持しており、織田信長に伝わった作品とされ、この曜変天目茶碗こそ世に屈指の作とされています。
**さらには国宝にされてませんが、重要文化財に指定されている曜変天目茶碗があり、「君台観左右帳記」には「建さんの内で無上なり」とされています。
***なんでも鑑定団に出品された作品が「曜変天目茶碗」と判断されましたが、これについては当方では実物を観ていないので評価のしようがない・・・・。

吉州窯は鉄釉の上に灰釉を重ねることによる鼈甲の発色が美しい玳玻天目茶碗を産んだ窯であり、木葉天目もこの玳玻天目の技術の延長線上にあることは想像に難くありません。
*なお「曜変天目茶碗」は建窯の作とされています。

数多の陶芸家が木葉天目の再現に挑戦し、石黒宗麿、清水卯一といった人間国宝の陶芸家らが焼成に成功しています。他の陶芸家の制法は有機溶媒に溶かしたセルロースを増膜剤として使って葉の灰が明瞭に残るようにする、あるいは金液と転写紙で葉脈を写し取るといった方法が多いかもしれません。非常に卓越したメソッドと評価するかもしれませんが、再現という点では愚策であろうと思います。

古来から偶然窯の中に一枚の枯れ葉が落ちて、それが焼成されたら木葉天目の作品となったとされています。つまり偶然の産物・・。
この作品は高台周りの釉薬の垂れが左右対称で面白いですね、、まるで猪の牙? 銘は「猪突」・・???

「木葉天目茶碗」の制法は徐々に解明され、現在は「葉脈に珪酸系の化学物質を吸わせた葉を、釉薬との相性で形成されたもの」と解ってきているようです。平野先生からは詳しくは教えてもらえませんでしたが、成分と葉の種類にも苦心されていました。

高台周り以外は非常に美しい発色で玳玻天目を超えて、窯変天目のような美しい世界を成しています。

その後に頂いた次の作品も失敗作らしい・・・???
木葉天目茶碗 平野庫太郎作 その2

どこが失敗作なのかは先生は言いませんでしたが、素人目には完品にしか見えません。

木葉の発色は素晴らしくよくできています。

なんども試行錯誤して出来上がった作品です。

現在は多くの陶芸家が木葉天目の焼成に成功していますが、確かな轆轤の技術と作品の品格の高さ、釉薬の発色を兼ね備えた作品は平野庫太郎氏の作品を凌ぐ作品はたやすくは見当たりません。

作品を整理しながら保管方法は入念にしておきます。

無論頂いた作品だけではなく、個展などで購入した作品もあります。
木葉天目茶碗 平野庫太郎作 その3

釉薬は鉄釉の作品です。というより「玳玻天目茶碗」に近い発色ですね。

木葉の葉脈が鉄釉だと褐色にきれいに焼成されます。

明らかな失敗作を頂戴したこともあります。葉の葉脈がうまく出なかった作品ですが、かえって面白い!と思い、懇願して頂いた作品です。平野庫太郎氏は「玳玻天目茶碗」より「曜変天目茶碗」や「油滴天目茶碗」に近い釉薬の発色にて「木葉天目」の焼成を目指していたようです。
木葉天目茶碗 平野庫太郎作 その3

平野庫太郎氏は木葉天目茶碗だけではなく、中国古来の釉薬の研究を続け、近代風にその釉薬を使いこなした稀有の地方の陶芸家です。

例として上の写真のような盃の作品がありますが、むろん茶碗、水指、水注などの作品にも生かされています。

このような盃で一献・・・、先生との愉しい時間が思い出されます。

平野先生に記念品として配る盃の製作を依頼し、友人、諸先輩に配ったことがありましたが、最初はありきたりの「盃」かと思った方もいたようですが、実際に使った方には非常に好評でした。
器は使う人の心を豊かにするものでなくてはなりません。そしてそこにこだわる人こそが文化人と言えるのでしょう。作る側の人も使う側も人も・・・。
現在でさえ寡作な平野庫太郎氏の作品はますます希少となっていきます。これからは平野庫太郎氏の作品が市場に出ることは少ないでしょう。 友よ! 永遠なれ!! 作品とともに!!!
ただ「飯椀」と「汁椀」の両椀で引入(内蓋)になっていて、身を重ね、蓋をその中へ重ねると四つ重ねに収まる「四重椀」も「四つ椀」と呼ばれています。(下写真:右)


当方ではこの手の四つ揃えの塗椀は朱塗の椀のところで数多く説明しましたが、真塗(黒塗)にても出来れば揃えておくのもいいでしょう。どちらかというと朱塗より真塗(黒塗)のほうが主流のようです。
下記の写真は6客揃いの状態です。通常は最近はこのような器類は10客揃いが多いようですのが、当方では各々スペアを確保して12客(6客2セット)を用意してあります。

この手の漆器の椀揃いは現在でも懐石セットなども含めて多数販売されていますが、やはり国産漆の古いものがいいでしょう。間違っても樹脂製のものは使いたくないですね。

さて本日は郷里の友人であり、大学の先輩であり、そして陶芸の師匠でもあった平野庫太郎氏の作品の紹介です。
小生が東北で転勤族であった頃に幾度となく秋田市内の自宅兼窯元に通ううちに親しくなり、時間の経過とともに作品を入手するようになりました。
本ブログでは平野庫太郎氏の幾つかの作品を紹介していますが、本日は「木葉天目茶碗」にフォーカスして紹介したいと思います。
下記の作品は一番最初に先生から頂いた作品です。見込みの木葉天目は写真より実物のほうがはるかに美しい発色となっています。ただ本作品は高台まで釉薬が垂れて失敗作だと先生は言っていました。捨てるには惜しいので小生が譲り受けた作品です。むろん平野庫太郎氏は箱書などはしないと言っており、あくまでも失敗作であるため小生が使うためだけにとしてくれた作品です。
失敗作は味があっていい・・・

木葉天目茶碗 平野庫太郎作 その1

もともと木葉天目茶碗は中国から伝来した作品で、南宋時代の吉州窯の木葉天目茶碗は我が国にも十数点あり、多くは出土品です。代表とされる木葉天目茶碗は前田家の宝として古くから伝来したもので、文様表現や形姿、釉調など、木葉天目茶碗中の絶品として定評があります。

現在は東洋陶磁美術館収蔵で重要文化財に指定されており、*曜変天目に次ぐものとして、油滴天目とともに中国伝来の唐物茶碗の最上品とされています。
*曜変天目茶碗は世界に3点しかない(静嘉堂文庫美術館蔵、藤田美術館蔵、大徳寺龍光院蔵)とされ、すべて日本にて国宝に指定されている曜変天目茶碗ですが、実は本能寺の変で消えた幻の曜変天目茶碗があったことは一般にあまり知られていないようです。織田信長と共に消えた曜変天目茶碗のナンバーワンがあったようです。「君台観左右帳記」に「無上也。世上になき物也。」、「万疋の物也」と記されており、一説には足利義政が所持しており、織田信長に伝わった作品とされ、この曜変天目茶碗こそ世に屈指の作とされています。
**さらには国宝にされてませんが、重要文化財に指定されている曜変天目茶碗があり、「君台観左右帳記」には「建さんの内で無上なり」とされています。
***なんでも鑑定団に出品された作品が「曜変天目茶碗」と判断されましたが、これについては当方では実物を観ていないので評価のしようがない・・・・。

吉州窯は鉄釉の上に灰釉を重ねることによる鼈甲の発色が美しい玳玻天目茶碗を産んだ窯であり、木葉天目もこの玳玻天目の技術の延長線上にあることは想像に難くありません。
*なお「曜変天目茶碗」は建窯の作とされています。

数多の陶芸家が木葉天目の再現に挑戦し、石黒宗麿、清水卯一といった人間国宝の陶芸家らが焼成に成功しています。他の陶芸家の制法は有機溶媒に溶かしたセルロースを増膜剤として使って葉の灰が明瞭に残るようにする、あるいは金液と転写紙で葉脈を写し取るといった方法が多いかもしれません。非常に卓越したメソッドと評価するかもしれませんが、再現という点では愚策であろうと思います。

古来から偶然窯の中に一枚の枯れ葉が落ちて、それが焼成されたら木葉天目の作品となったとされています。つまり偶然の産物・・。
この作品は高台周りの釉薬の垂れが左右対称で面白いですね、、まるで猪の牙? 銘は「猪突」・・???

「木葉天目茶碗」の制法は徐々に解明され、現在は「葉脈に珪酸系の化学物質を吸わせた葉を、釉薬との相性で形成されたもの」と解ってきているようです。平野先生からは詳しくは教えてもらえませんでしたが、成分と葉の種類にも苦心されていました。

高台周り以外は非常に美しい発色で玳玻天目を超えて、窯変天目のような美しい世界を成しています。

その後に頂いた次の作品も失敗作らしい・・・???
木葉天目茶碗 平野庫太郎作 その2

どこが失敗作なのかは先生は言いませんでしたが、素人目には完品にしか見えません。

木葉の発色は素晴らしくよくできています。

なんども試行錯誤して出来上がった作品です。

現在は多くの陶芸家が木葉天目の焼成に成功していますが、確かな轆轤の技術と作品の品格の高さ、釉薬の発色を兼ね備えた作品は平野庫太郎氏の作品を凌ぐ作品はたやすくは見当たりません。

作品を整理しながら保管方法は入念にしておきます。

無論頂いた作品だけではなく、個展などで購入した作品もあります。
木葉天目茶碗 平野庫太郎作 その3

釉薬は鉄釉の作品です。というより「玳玻天目茶碗」に近い発色ですね。

木葉の葉脈が鉄釉だと褐色にきれいに焼成されます。

明らかな失敗作を頂戴したこともあります。葉の葉脈がうまく出なかった作品ですが、かえって面白い!と思い、懇願して頂いた作品です。平野庫太郎氏は「玳玻天目茶碗」より「曜変天目茶碗」や「油滴天目茶碗」に近い釉薬の発色にて「木葉天目」の焼成を目指していたようです。
木葉天目茶碗 平野庫太郎作 その3

平野庫太郎氏は木葉天目茶碗だけではなく、中国古来の釉薬の研究を続け、近代風にその釉薬を使いこなした稀有の地方の陶芸家です。

例として上の写真のような盃の作品がありますが、むろん茶碗、水指、水注などの作品にも生かされています。

このような盃で一献・・・、先生との愉しい時間が思い出されます。

平野先生に記念品として配る盃の製作を依頼し、友人、諸先輩に配ったことがありましたが、最初はありきたりの「盃」かと思った方もいたようですが、実際に使った方には非常に好評でした。
器は使う人の心を豊かにするものでなくてはなりません。そしてそこにこだわる人こそが文化人と言えるのでしょう。作る側の人も使う側も人も・・・。
現在でさえ寡作な平野庫太郎氏の作品はますます希少となっていきます。これからは平野庫太郎氏の作品が市場に出ることは少ないでしょう。 友よ! 永遠なれ!! 作品とともに!!!