かわいい花とおかわり君

ありふれた日常の中にある小さなタカラを拾い集めて

まだまだぺーぺー。

2015-08-05 | 日々のちょこちょこ。
昨日は1泊二日で実家へ帰省。

子供たちが寝た後、夜の9時半から
母と他愛もないような会話気づけば夜中12時。

実家へ帰るとこういうことはいつも。
お互いの人生哲学について語り合う。

昨日の話のメインは「先祖供養」だった。

「先祖供養についてどう思う?」という私の問いかけに
母はご先祖様があって今の自分がいる、ココロからお経をあげたり
生きていることに感謝して過ごすことが大事など一生懸命話し、
最近購入したという「いのち」がテーマの絵本を見せながら、
多くのご先祖様に繋いでもらって・・・と色々言葉を並べた。

私はずっと聞いていた。
でもどんなに聞いていても、何か言葉が素通りばかりしていった。
腑に落ちない顔をしていたんだろうか、
母が「こんなんじゃ上手く伝わらないよね」と苦笑。

うーん、どこかの講演内容みたいな話じゃなくて
お母さんらしさを感じられたら伝わるような気がしていた・・・
すると
母がぽそり。

「私は自分の両親に対して、感謝が足りなかった。
失った今それをすごく感じる。もっと感謝を伝えるべきだった」と。

「お母さんは十分過ぎるくらい出来たと私は思うよ」

と伝えたら

「そうじゃない。自分でわかる。寝たきりになった母ちゃんの気持ちに
寄り添ってもっとかけるべき言葉があったはずなのに、出来てなかった。
一番のご先祖様である両親に感謝することが大切なのにね。」
と涙。
「でもね失くした今だからこそ、恥じない生き方をしたいと
強く思うようになったよ」とも言った。

それから母は両親から深く愛されて安心感に包まれて
育ててもらった、素晴らしい尊敬すべき温かい親だったと言った。

でもその後で「自分の子育てはそのようには出来てなかった」ともまた言った。

「そんなことないよ。どんなときでも見守っていてくれて、
本当は叱咤したいだろうにそれも抑えて味方でいてくれた、
何も言わずにただただ好物なご飯を作ってくれた
困った時は助けてと言っていい安心感をくれているよ」と伝えた。

私、下手いなあ。

もっと色々あるだろうに
母に寄り添える言葉が上手く出なかったよ。

まだまだですね。

だからこそ長生きしてもらいたいなあ。
コメント
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