猫は平安時代に既に日本に来ていた。だから猫は猫と普通呼ぶのだが、実は庶民は狸と呼んでいたらしく、物の本によると、猫を猫と呼ぶようになったのは、実は江戸時代からで、新しい呼び方の様である。
また、その所為と言う訳ではないが、猫も犬も江戸の元禄期までは食べられていた。誰が食うかというと「坊主」なのである。
私は日本の歴史を探すようになったが、その中で一番良く本を買っているのは、食べ物である。そこには、坊主の猫食い、犬食いが書かれている。
実際「山寺の和尚さん」の歌でも、鞠を蹴りたいから猫を袋に入れて蹴るのである。当然死ぬ。死んだら食うのである。
実際坊主と言うのは最低の奴らだった。いや、今もそうである。
猫や犬を食わなくなったのは、五代将軍徳川綱吉の生類憐みの令のお陰である。
生類憐みの令は、実は動物を飼う事を止める事となった。理由は「動物様に無礼をすると罰せられる」と言うものだった。
どうも、蚊を殺しただけで切腹と言うのは過剰反応みたいで、そこまでのつもりは綱吉には無かったようである。
綱吉は、偏っているが道理を通して、江戸の御府内に犬を飼う場所を作り、面倒を見た。
一方で、庶民は植木を育てるようになった。それまでも植木を育てる習慣はあったが、それが激増したのは元禄期である。
その後、動物も飼うようになったが、植木の人気は相当なものだった。
江戸時代の切り絵図がGooで見れるのだが、そこには、江戸の郊外には「植木屋多し」の記述が多い。
頭の悪い糞馬鹿文科系大学出はテレビ局に入っても馬鹿だから、知らないのだろうが、植木屋は結構ハイソな存在だった。
実際、土地持ちになれるのは、豪商、侍、町役人、とそれ以外では、植木屋ぐらいだった。
植木屋は、大名の門前にあるものなどは、どうも元は武家屋敷の出入りの植木屋が土地を持ったのでは?と思っている。
何れにしても、店を持たなくても、縁日には植木を売る事が多く、今の伝統にも繋がっている。
植木職人は、半分公務員のようなもので、土木建築が行われると土地を固める為に松や桜が植えられる。
松は放って置くと、松食い虫にやられるので、手をかけねばならず、これは固定の収入となった。
植えた松は、間伐をする事もあり、その松を盆栽などにして売ったりする。
この様な事が出来るのは、実は町屋と言うか長屋でも、小さな庭があるのである。だから、そこで作物を植えて食ったりもする。
だから、庶民も多少余裕があれば、植木を買って、庭に植えたり、鉢植えにしたりするのである。
だが、この時代、鉢は高価で、木の棚を作って植えていたようである。
さて、冒頭の英語で狸はFOXと言うらしいが、RabbitをBunny(リス)と言うのと同じだろう。
リスに近いプレイリードッグをドッグと言うのも然る事ながら、英語ではDogやWolfやCATと言う名前が多い。
狸をFOXと言うのは、まだ個性のあるほうであろう。
因みに今の猫はシリアかレバノンの山猫を家畜化したものらしい。
見てみるとツシマヤマネコにも似た感じだ。
ただ、猫も家畜化されていないと人間に心を許さない。野良が、なかなか飼い猫にならないのは、その所為である。
生まれて直ぐ、飼わないといけないのである。そうでないと、結局殺される運命である。
我々は酷い生き物だと思う。。。。。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます