歪曲される情報を見る。

日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

科学番組の減少

2013年05月26日 21時18分02秒 | 日記

NHKは、かつて、科学技術が低い時代でも、しっかりと科学技術番組を見せていた。

今は、ETV特集が週一、サイエンスZEROが週一、あと珍しいことにBSフジのガリレオ総研が週一。

こんだけである。科学のものだけである。人文科学でもなくなりつつある。例えば「遡り日本史」がなくなった。

この遡り日本史は実に素晴らしい番組だった。また歴史の核心を付く問題である。経済問題や風俗問題など

色々面白い話は、ナカナカである。一方でタイムスクープは、新出の番組としてはよくできている。

日本の海賊問題でも、使っている言葉が当時のそのままで、誠に立派だった。

私は毎度、江戸時代の灯りについて、疑問に思っている。平清盛で汚い・暗いというが、灯りは、近代になる前は

極めて貴重であった。それは水も同じであるし、感染症も同じだ。江戸時代は木と紙の世界だったと思っているようだが

木と紙の世界を作れたのは金属なのである。豊かな紙と木の世界は豊かな金属加工の道具があっての世界である。

また時代劇の世界の様子は、到底ありえない。江戸時代朝は日の出直前30分で常に始まり、日の入り直後食事をして

眠るのである。灯りの日は、翁媼にしても貰い火である。だから火打石は往々にして出かけの亭主の背中にかけるだけで、

日をつけるのはほとんど無かった。火をつける燐片はあったが、高いので使っていない。

それより木戸番屋や辻番所の火を貰い火するのが効率的である。夜長い冬は、寝物語をしていた。だからこの頃の人々は

口伝で歴史名著を暗証していた。太平記、万葉集、古今和歌集、史記、だから、この頃、吉原に行くと必ず

これらの教養を使った掛詞が使われるので、そのための教養が不可欠だった。

よく科学が進んだとか、技術が進んだとほざくが、専門が突き抜けて進むだけで平均教養は戦後どんどん悪くなっている。

また年寄りも「教養」が無いので、本当に年を喰ったガキの集まりだ。お年寄りというのは、相応に教養のある日との話だ。

その、教養の無い年喰ったガキに「さばこ」がいやがる。「ざこば」ではない「ざばこ」である。

昔の噺家は、立派な教養人だった、だがざばこを見ろ金に執着権力に執着、自分には大目に見ろ、他人は厳しく、

俺の時は云々とほざく一方、もう俊哉か勘弁してや!とか逃げ口上しかほざかない。これが全ての悪の始まりだ。

たかじんの委員会で、嘘をほざきまくったハゲ嘘がくたばりやがった。この教養も思いやりもないタバコを吸いまくるゴキブリ

が消えてなくなったら、よくなることはあっても悪くなること花井だろう。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿