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日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

今でも刃物を研がない外国の料理人。刀鍛冶が包丁を作った日本とは文化がまるで違う。

2019年06月09日 10時43分47秒 | 技術超越国家日本の眩しい未来それは現実だ!

藤吉久美子主演のNHKの朝ドラ「よーいドン」の中で、道頓堀の芝居茶屋の板長で栄市の父(:大木実)が芦屋雁之助に向かって「包丁の引き方でお造りの味が違う」ところを見せるのは、この番組が初めてで「なっ?シャキッとしたのが分かるだろう?」と大木実が言うと芦屋雁之助が「ホンマですわ、これがシャッキリ味でんな?研ぎ方一つで、こないに味が変わるんでんな?」と言うシーンをまだ覚えている。
これは魚のおろし方であり、実は野菜でも味が変わる事が知られている。
それは切れる包丁で切った断面が細胞を潰さずに食材を細かく切れる効果を遺憾なく示しているのである。
この包丁と言う言葉自身が人名で、中国古代の名調理人「包丁(ほうてい)」から由来する。
この頃の包丁は仕上げに砥石を使ったのだろうか?砥と言う言葉が有る所を見ると、我々と同じ砥石文化があったのだろう。
今の所、硯や砥石にこだわりが一番有るのは日本だろう。
特に戦国時代が日本の全てを変えてしまったようで、刀を研ぐとか武具を研ぐ技術は、戦国時代に急激に発展し、江戸時代の円熟へと向かっている。
ブラタモリで「銚子」の話があったが、醤油文化は、銚子で拡大した。
ただ、醤油は1750年代に発生しており、それは鰹節や清酒の発生とほぼ時を同じくしている。
それまで、出汁は煮干しのようなものでとり、醤油はなく、溜り醤油などを使い、その前1700年頃までは醤油の代わりに味噌をお湯で溶かした「すり流し」を使っていたと言う。
包丁も両刃から魚専用の片刃の「出刃」包丁が生まれ「お造り」や薄身の魚用の「柳刃」包丁が生まれ、鰻を裂きやすいように「鰻裂き」包丁が生まれた。
食べ物ではないが畳を作るのに畳包丁も時代の要請に寄って生まれたのである。
此等は、やっぱり砥石を使って研がれており、その鋭さは、欧米の包丁とは比較にならない。
また大工道具の鉋(かんな)とノミは毎日研ぐものである。
砥石は粗砥、中砥、仕上げ砥石と3段階が基本であり、それ以前に砥石を先ず研ぐ。
砥石を研ぐ石もそれ同士を3個互いにすり合わせると自然に平面が出るので、月に一度は、これを行う。
今、自動で「荒研ぎ」までする「自動研ぎ機」は、往復運動から、円形の砥石を回転させるものに替わり、グラインダーで削った後、シャープナーでタッチアップするだけの欧米の砥石とは、この時点で雲泥の差となっている。
また日本の包丁は、鋼の調質が絶妙であり、見てくれは悪い古い包丁も、驚く程の切れ味を示し、この辺は「ステンレス包丁」など、幾ら頑張っても「鍛造包丁」には敵わない。
それは「セラミック包丁」も同じで、微妙な柔らかさが無いと刃が身に吸い付かないのである。研いだ後切れ味を見るのに親指の腹で刃を触るが、硬いだけだと、親指の皮膚が弾かれる感じがするものである。
この日本人独特の切れ味に対する拘りが半導体製造で切断カッターを作り上げたのである。
此等、鉄の技術は石の技術が支えており、木の技術は鉄が支えている。木の技術の洗練は、模型技術を高めており、その結果、試作を金属でやる前に木や粘土でつくり上げる。
この様な技術の下地があって、初めてモノづくり日本が存在するが、それを糞舐め汚すぎる虫獄・嘲賤ゴキブリに幾ら言っても分からない。
何故なら日本人出ない上に人ですら無いからである。
だから自分を支える自然を破壊しても全く違和感を感じない。
これに浄水技術に拘る「日本ポリグル」や「タカギ」の技術への拘りも当然全く理解できない。
だから汚物は、自らの吐き出す汚物に因って全滅するのである。



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