歪曲される情報を見る。

日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

御年号「令和」奉祝!それと私のヒットしているブログのさり気なさに驚く私。「大泉滉」や「東北の芋煮」などが一番受けています。

2019年04月02日 12時31分31秒 | 先の無いおっさんの改革案

何処かの狂惨咒擬便後死(きょうさんしゅぎべんごし)が「年号」を「憲法違反」とホザイテイて、これがこの「経済的」にも「経済以外の景気」(景気って経済って言うより、世の盛り上がりです。)にも盛り上がっている。
狂惨咒擬ゴキブリは「永遠の葬式」しか感じさせないが「年号」だけで「経済効果1000億円」は軽く越えますね!
まぁ皆嘘ゴミ・ゲスゴミ・マスゴミも盛り上がっているのに勝手に「盛り下げ」の糞弁護士は、御元号を見る度に「葬式モード」となるんでしょう。

年号は取り敢えず一旦置いて…、私の「屁みたいなブログ」の根強い読者は「大泉滉」や「東北の芋煮」のネタで、本当によく読んで頂いて感謝感激です。
近年懐かしい俳優・女優さんがなくなり、心寂しく思う昨今、まさか浅田美代子(サザエさんのフネさんの声)が昨年11月に無くなられ、死ぬ二ヶ月前まで声の仕事をしており、無くなられるまで、録音していた「和風総本家はじまります」のオープニングアナウンスは使われていました。
それで大泉滉さんは、本当に「追悼」ではないのですが、ああ、藤原有弘さんみたいな、急に消えた人の話で、誰に言っても分からないし、でも、話しだすとついつい濃い話になりがちな人のお話って感じで、その盛り上がりが「追悼」?って乗りになりがちですね。
前のブログもそうでしたが、大泉滉さんは生きる為に芸能界に入り込んだ人で、陽性のキャラクターとしては藤村俊二さん(おヒョイさん)の逆の陰性のキャラクターが大泉滉さんでした。
この人は大映が幅を利かせていた時代の「ボーヤ」と呼ばれる「時代劇の大部屋」の東京の芸能界の雑多な中で生き延びたと聞いています。
彼は、まぁボードビリアンの仕事が多く、最初の頃は「ピエロ」みたいな服を着ていたりしたのを見たりしていました。
ドラマでは、国籍不明の外国人で「困った困った」と言っているキャラだったと思います。
そしてバスターキートンみたいな「無茶振り」をやって体を張った演技だったと「出川哲郎」を見てしみじみ思います。
出川哲郎はソコソコの体格をしていますが、大泉滉は「幼い頃は腹いっぱい食べてなかった」感じの体で、まぁ当時の芸能界の信じられないスケジュールは、追いつくのが大変だったと思います。
今は労働基準法が幅を利かせていますがピンクレディーの時は3時間睡眠で一日中引っ張りまわされたと言いますし、山口百恵も結構殺人的なスケジュールだったそうです。
大泉滉の正真正銘の「笑顔」を見たのは、芸能界を昭和五十年ぐらい1975年ですね、に辞めた後の冷蔵庫のCMに自慢の御殿と見渡す限りの野菜に囲まれた様子でした。
1970年から彼は「野菜栽培」の事を言い出して、NHKの「今日の園芸」とかにも出ていた記憶があります。その時の彼の並々ならない「野菜への思い」が語られていました。
彼の豪邸は、田舎の真ん中でした、その後、芸能界の人との交流はあったのでしょうか?
寂しがり屋の一方でテレビでは活躍していた藤村有弘さんは、アマチュア無線したり、人との接触を求めていましたが、結局「自分を孤独」と思い込む精神的思い込みが抜けず、自殺して果てたと言います。
最近家の近くでは「孤独死」や「老人呆け」の酷さを目にして、生きる意味を感じる事が多くなりました。
ただ大泉滉さんは「植物の成長する息吹」に慰められ、活気を貰っていたと信じたい。
「食」は生きる活力、「農」はその素材を作るのだから…。
てな感じで食い物繋がりです。
私のブログで長く見られていたのが、「芋煮」の方が最初で、本当によく読まれています。
芋煮の里芋は西暦1500年代までアジアに来ておらず、その前には里芋だけで、その里芋は、どうも、もしかしたら「じゃがいも」や「さつまいも」の祖先かも知れない可能性があり西暦1500年代になるまで「でんぷん質」の基本を維持していた。
私の住む長崎の小田舎では、百合が「狂い咲き」するが、これは「さつまいも」や「じゃがいも」の代りだった。
もっと言うと「サポニン」(;龍角散の主成分)を含む「曼珠沙華」も「どんぐり」も食べていたのです。
この傾向は、日本中にあり、この頃は主穀物は「栗」でした。
これは「皇室以前」であり、「米」と「鉄器=武器」の伝来があっての皇室でした。
こう言うと「糞舐め汚すぎる嘲賤汚物」が「日本のオリジナル」とホザキますが、糞舐め汚すぎる嘲賤は「パクリ」であって、本筋は虫獄でした。
日本は、オーバーテクノロジー(マクロスで最初に出てきた言葉、その時代を超える技術を意味する)を自前で作って、その技術で文明を築いてきました。
実際糞舐め汚すぎる嘲賤に「五重塔」はありませんし「校倉作り」の国宝倉庫はありません。
水車も海鼠壁の土蔵もありませんし、白川郷の合掌造りもありません。
大泉滉さんの栽培していた「野菜の多く」は本当に日本には珍しく、全く良く小麦が奈良時代に伝来していたと思う程です。
他方で、小麦の故郷のシュメールやエジプトの近くは「野菜王国」だったそうです。
日本のようにアクの強い野草ではなく、至る所で栽培種が存在しており、またオリーブオイルが大量の油を提供したので、食のバラエティーとしては日本とは比べ物になりません。
だからこそ、種類の少ない食材に洗練を加えたのでしょう。
出汁に、餡に、包丁の切れ味に、造りの部位の選択に…、
里芋は、原種はメコン上流のラオスとかカンボジア付近だったと思いますが、これがシアン満載の毒芋でして「なまこ」を最初に食った人より「里芋の原種」を食って生き延びた人の凄さを感じてしまいます。
その里芋も3000年ぐらいの栽培の果てにアクも薄くなって、今に至ります。
最初の日本への旅行ブームが一段落した今、外国人は日本の地方を巡りたがっていると聞きます。
その時には、ハレではなくケの食べ物が喜ばれるでしょう。
東北地方は原発事故の問題があって集客が弱いと聞きますが、「ホヤ」は、やっぱり東北で食うもんです。そんな「ならでは」の食い物を広めていきましょう。
珍しく真面目!



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