歪曲される情報を見る。

日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

ちょっと深く掘り過ぎの日本文化:ケント・ギルバートさんの話は、まぁあの人は嘘はつかないんだろうけど、日本を褒めてくれて有難い一方で、アメリカの事が分かり日本の恩人です。

2017年07月27日 16時37分30秒 | マスゴミによる日本経済破綻計画阻止委員会

何て言うのかな?アメリカ人が思っているほど、日本は、そんなにガチガチな仕来りは少ない。でも、色んな所に特徴がある。

まぁ外人に質問され捲くる人には、皆驚く事実を少々。

1)学校の歴史や社会で学んだ筈なんだが、車の動く道路が戦時中まで途切れ途切れで、車による物流も旅客輸送も不可能だった。

笑うだろうが、これ現実です。東名高速道路を世界銀行が認めてくれて初めて東海道が繋がった。だから日本は戦時中までは物流は機関車か船か、飛行機による輸送しかなく、そうでない陸送は馬や牛が活躍していた。

2)断髪令は知っているだろうが、その後政府を上げてした広報活動に女の「座りションベン」と「パンツを履く」運動があったが、昭和以降まで全く改善されなかった。

座りションベンは、国民学校が整備され初めて女も便器で小便するようになり、その結果、座り小便が一般化したのである。パンツは「白木屋火災事故」以降履かれるようになった。

3)日本にも「マラリア」が存在したが「公害」によって全滅して、その後河川が綺麗になったので、今でも「マラリア」は存在しない。

これは頭の悪すぎる糞馬鹿文化系大学出は知らないだろうが、コレはマジです。江戸時代から明治時代までの感染症の文献を見ていたら、四国や山陰、瀬戸内海、鹿児島、奄美大島などの温かい所では「マラリア」が流行していた。これとほぼ同じ時期のイタリアもそうだったしギリシアもマラリアがあったが今は無いと聞いている。

4)日本のガチガチな所は「軍国主義の名残」であり、おおらかで、自然への微妙な共感と心遣いは「江戸時代の幕府の治世」の名残と言ってい良い。

実は戦国時代までの日本人は、非常に嫌な奴が多く、計算高い奴が多かった。特に平安時代の考えは「もののあわれ」を言う一方「ドライな点が多い」、人情と言う言葉は江戸時代の頃に流行っている。主に歌舞伎の題に使われる。

5)東京の今の暑さは、史上初めてで、元々湿地で、気温は高くなく、また首都になっても、水路を使ったものや人の運送は水路で行われた為に、気温は茹だるような暑さではなかった。

時代劇の江戸は完全な虚構で、信用はしない事だ。全てに於いて嘘ばかり。

6)日本の貨幣流通は、950年の朝廷の通貨製作失敗後、平清盛の30年ぐらいの間を除くと、500年間貨幣は使われていなかった。数学や天文もレベルが低かった。

これは驚く人も多いだろうが、マネー経済の手本は江戸時代の浪速の商人の金の使い方で、それは200年程度で急速に進歩した、民間主導の通貨規制制度のお陰である。また数学も天文も劣っており、天文将軍吉宗の代になる前は、中国から暦を輸入していた。

7)江戸時代は「数学ブーム」で、老いも若きも男も女も数学に熱中した。だから今の糞馬鹿文化系大学出よりも大工やトビの方が遥かに数学が出来た。また数学が出来ない馬鹿は吉原でも社会でも馬鹿にされた。

まぁこれは解説する必要なしか?

8)日本は戦国時代から江戸時代までの400年間「ホモ天国」だった。

気色悪いが、武田信玄が相当なホモだったらしく、大ぴらにやっており、臣下の間でも、男同士の色恋沙汰が頻繁にあった。武田信玄が浮気をして、本妻ではなくて恋人に、謝罪文を書いて出している。また、江戸時代は薩摩(鹿児島)のホモの多さに江戸時代からは、小さな男の子を近寄らせなかった。また小網町では、歌舞伎の女形になりたがる男子を手引する出会い場所があり、今では完全な犯罪(15前後の男子)を性交渉の相手としていた。北野武氏の「座頭市」でもあったが、田舎での稚児(ホモロリコン)はほぼ大ぴらに行われていた。また、江戸時代の武家の敵討ちだが、20%ぐらいは男色関係のもつれであることがあったらしく、マジな話、馬鹿ちゃう?と思うようなものである。

9)日本文化は、相当失われており、今も滅亡寸前のものが多い。

例えば、京都では、着物をバラバラにして、洗って、修繕して組み直す仕事があるのだが、それは後継者は居ない。三味線やお琴の弦も、後継者が居ない。色々な紙漉き、象嵌、べっ甲細工、根付、建具などの職人が後継者が居ない。例外的に「馬簾」の後継者が「馬簾」の職人たちが書いた「馬簾の作り方」と言う本を残し復活した。コレ無しに、浮世絵などは成立しない。だが、作れなかった時代があったのだ。恐るべき工芸として「縮緬紙」というのがあって、もう数冊しか残っていないが、縮緬独特の風合いに似た紙に印刷して本にしている。これは今作って海外、特にEUに出せば絶対に売れる。

10)ドイツでは鍛造刃物が作れないが、日本の田舎には、鍛造は物を作っている鍛冶屋は沢山ある。それにも勝てないのだからドイツも堕ちたもんだ。しかし日本も後継者不足で、新しく職人になったのは長崎の五島に居る一人だけだ。

ちなみに長崎の「くんち」では「鍛冶屋さんだけのブース」が存在している。どこでもそうだが、農業上の工夫は、農家と鍛冶屋が丁々発止で、話し合って作る新しい農具があっての事だったりする。備中鍬もそんな感じで生まれたし、今大相撲の土俵作りに使われる「土俵鍬」は九州場所で地元の鍛冶屋と一緒になって作り上げたもの。ちなみにその人の弟子が五島の鍛冶屋。

11)鉄の農具は、戦国時代以降に広まったもので、それまで庶民はほとんど鉄を知らないし使わなかった。

これが農業生産性を下げたのである。戦国時代は300年鬱積した民間の力の強力な放出炉であって、経済が刺激を受け儲け、また日本誕生以降ずっとやっている金銀銅の輸出で鉄を大量に購入した。それまで農民は殆どが石や木で農具を作っており、生産性は酷かった。石鍬、石斧、石鎌、木鍬などが使われていた。江戸時代は、それら戦国時代の刀を農具に変えた為に食料増産や治山治水が可能だったのである。

12)出雲大社は、今の御社ではなく、直径1.5mの長野の杉を使って高さ最大50mの神殿が戦国時代前には存在していた。

これは頭の悪すぎる糞馬鹿文化系大学出の左翼馬鹿の低能白痴の歴史捏造野郎は知りもしないし知っても言わないだろうが、これは発掘事例と御柱祭などの行事などから、ほぼはっきりしている。今上陛下の御代では無理かもしれないが、今後、この天皇制の極めて壮大な象徴として、本来あった出雲大社を復元する事は、国家の重大事である。

とまぁ、外人さんに日本の文化の欠片を話してやって下さい。