陽香が生まれた夏。
私はまだNSIにいて生野区のスポーツクラブの運営を肩代わりして刷新することになり、管理方法や組織の変更など忙しく動き回っていました。
昨日の家内のFACEBOOKへの記載を読んで思わず熱いものがほほをつたわりました。
2001.8.2
妊娠35週目+1日
あれれ、、、普通にしてたのになんと、出血してしまいました。
明日香のときのお産が大変だったので(胎盤早期剥離)、
始めから明日香を産んだ総合病院へ行ってました。
先生も「前回のことがあるので」ととても慎重で検診も始めから2週間に1回あって、
よく診てくれていたのに、用心していたのに出血って・・・。
何かあったらすぐに連絡するように、って言われていたので病院に電話しました。
入院の用意を持ってすぐにくるようにって。
「あぁ~~、どうしよう、、、 このまま入院なんてなったら。」
「明日香は? どうなるの???」
もうなんか「これからどうなんの??」ってすごい不安を抱いたまま病院へ。
お腹の張りがきついのと、まだ少し出血してるって言うので
結局そのまま入院になりました。
その日から明日香は同じマンションのお友達が順番で見てくれました。
あたしが25歳の時に実母は亡くなっていて、兄弟は弟だし、頼れる親戚もいなくって。
主人が仕事に行く前にお友達の家に連れて行き、夜、仕事が終わると迎えに行く、って感じで。
本当にみんなよくしてくれました。
同じように小さい子が居てるのに、明日香まで預かってもらって本当に感謝してもしきれません。
近頃じゃ隣に誰が住んでるかわからない、なんてよく聞くけれど家のマンションは別。
いまどき珍しいかも知れないけど、昔ながらの近所づきあいができるところです。
今でも「お醤油かしてー」「トイレットペーパー切れたからかしてw」とか、
そんなこと言い合える友達がたくさんいます。
おばあちゃんの居ない明日香でも、何とかあたしもの入院生活を乗り切ることが出来たのはほんとみんなのおかげです。
その頃、私は病院で24時間点滴を下げたまま、3食きっちり残さず食べてるのに痩せていきました。
(結局、最後は妊娠前から+3kgだけしか増えなかった!)
入院して1週間目の朝の検診で「帰りたい」と先生に直訴。
始めに予定していた手術日は8月16日。
ちなみに出産予定日は9月上旬だったけど。
(明日香のときに帝王切開だったので今回も始めからそう決まっていました)
8日の検診で大丈夫だったら、あと1週間、家に帰りたいと。
もちろん却下。
お腹の張りが全然治まってない。
24時間の点滴でもその状態なのに、家に帰って服薬だけじゃ抑えられない。
とてもじゃないけど帰らせられないっていうのが先生の言い分。
またこのまま、あと1週間も入院、その後出産してもさらに後8日間。
約3週間も入院することになるやん~~、って。明日香はどうなるの??
その検診の後、自分のベットに戻って泣きじゃくりました。
明日香が文句ひとつ言わずに頑張ってるって聞いてたから。
(ちょっとは泣くときもあったみたいだけど)お見舞いにきてもおりこうだし。
これ以上我慢させるのも、自分がジーっと病院で寝てるだけのはがゆさも、
色んな気持ちがごっちゃになって、とにかく泣き続けていました。
あまりにも泣き続けてて、婦長さんが話を聞いてくれて、
おばあちゃんが居なくて近所のみんなに明日香を見てもらってること、
小さいなりに頑張ってる明日香のこと、を話すと先生に掛け合ってくれました。
先生も手術室の空き時間を調整してくれて「では急だけど明後日に」となりました。
私のお腹の状態もあまりよくなっていなかったので「では早めに」ということになったみたいです。
2001.8.10
いよいよ手術。
今回は前回と違って、全部が段取りどおりに進んでいき、
(前は必死でどこに麻酔をしたかも覚えていなかったから)ちょっと怖かったなぁ。
今回は麻酔が効きすぎたのか合わなかったのか、麻酔が効き出したとたん、息が苦しく、手足がしびれて、、、。
血圧ががーっと下がったみたいでしばらくベットを起こして、
様子を見て少し待って手術開始と言うことになりました。
ちょっとこわかったよ~~。
先生からはこれからの医療のためにと実習生も立ち会うことになり。
いざ、手術。
お腹を開けてビックリ。子宮がもう破裂寸前だったみたいです。
明日香のときの帝王切開の傷が裂けてて、薄い卵膜、皮一枚でつながってるような状態だったとか。
陽香は卵膜の向こう側に頭が透けて見えてたみたいで、
先生達がみんな覗き込んでいました。
「子宮不完全破裂」という状態です。
こういうのってなかなか見ることができないから、と、次々とあたしのお腹を
みんなで覗き込んではメモを取って・・・w
(ちなみにもう少し日を待ってお腹が大きくなって、、、子宮破裂、
ってなると母子ともに、、、なんてことになってました
結果的には早めに手術して大正解でした。)
とりあえずおちついてなんとか赤ちゃんを出せる状態でした。
先生~、覗いてみんなでビックリしてないで、早く赤ちゃん出して、お腹閉じてよ。
そんなことを考えていたかなぁ、、。
その後、何とか陽香は無事に生まれてくれました。
おぎゃ~、おぎゃ~、「元気な女の子ですよ」って。
36週と2日目、早産だけど元気に生まれてきた陽香、2090gのちっちゃな子でした。
ちっちゃくてしわしわでした。
体の機能的にはひとまず悪いところはなさそうで、
あとはどれだけ大きくなるかでした。
病院には新生児用のオムツよりまだ小さい「未熟児用」って言うのがありました。
小さい、小さいオムツでした。
NICUには他にもっともっと小さい赤ちゃんが居てました。
700gくらいで生まれた子も居てました。
みんな一生懸命息をして、頑張って「生きている」感じでした。
医学の進歩に驚き、そして、感謝です。
術後、陽香に会いにNICUに行きました。
小さいけど元気いっぱいでたくさんおっぱいも飲んでくれました。
たくさん点滴をつけられて、皮下脂肪が付く前に出てきちゃったので
鶏ガラみたいで細くって、色もどすぐろくて
他の人が見たら決して可愛い赤ちゃん、ではなかったかもしれません。
でも小さいのに必死に生きてる陽香は、本当に愛おしくてたまりませんでした。
その後、陽香は病院に残りました。
私だけ、先に退院することになりました。
2500gを超えないと退院はできないということで、
陽香はNICUにそのまま残りました。
明日香と私にとっては出産前に突然離れてしまった隙間を埋める、
いい時間になったように思います。
毎日、陽香の病院に通いました。
生後16日目、26日にようやく退院。
1カ月検診でやっと3500g、、、
そんな陽香の出産でしたが、今日、12歳になりました。
片付けが苦手で適当でいい加減、でも、笑顔だけはいつも満点。
名前の通り「太陽の香りのする子」にすくすく育ってると思います。
その陽香のお誕生会。
ちかくのがんこで。