唯のブログ。

病気の体験、療養生活や日々思いついた事などを書き留めているブログ。時々毒吐き。楽しめれば最高、無理なら受け流す。

アップダウン、ダウンアップ。

2010-08-14 23:56:34 | インポート
 お盆でお線香あげに、栃木へ。

よく、お盆でお墓参りと言う人がいるが、
栃木の田舎ではみんなお墓が近いので、迎え盆でご先祖様をお迎えし、送り盆でお送りするから、お盆中はご先祖様は家にいる。
 よってお墓にはお参りしにない、家に作った、提灯などを飾った祭壇にお参りする。

 実家に着くと、妹と、叔母さんが来ていた。 いつもはお盆中には誰もいないので線香だけあげて帰ってくるつもりが、そうはいかず。
 兄貴の嫁と甥っ子も珍しく母屋の方にいて賑やかだった。

 だが、自分には、重たくてどうにもならなかった。 母親の顔を見ると怒りとも、憎しみとも、慙愧とも何とも言えない嫌な感情がこみ上げてきて腹が立ってどうしようもなかった。

 去年、今年と何とか嫌な感情を捨てたいと思い、母の日に贈り物をして感謝してみたが、どうもこれが逆効果になって返ってきてしまった様だ。

 情けないが、仕方ない。 今の自分だ。 幼い駄々っ子のようだ。 仕方ない。 どうにもならない。
いい年をして過去に拘って自分を苦しめる馬鹿な男。

すこし話をして、逃げるように帰ってきた。

 3年前亡くなった叔父の家に向かうが、途中、嫌な感情を切り替えるため、ユニクロに入って少し時間を使った。 

 しかし、先方に着くともうすっかり気分は切り替わっていた。 従兄弟が笑顔で出迎えてくれ、亡き叔父貴にお線香を挙げ、叔母さんと話し始めるとすっかり明るい気分になっていた。

 本当に不思議だ、 いい空気を作れる人間、その人が暮らす良い空間。きっといい波動が出ているのだと思う。
 
 気分を変えてもらい、いい気持ちで帰ってきた。

往復、約450キロ 疲れもなんとも無い。 人間の感情はかくも肉体に大きな影響を与える。  感情のコントロールが一番大切だ。

 話変わるが、プロゴルファーを目指す甥っ子5年生は、何と最近は70台が出るそうだ。

しかし、訳がわからんうちに骨折しているという、、なんともおかしな身体だという。

 60台が出ようと、50台が出ようと、骨折する体ではプロは勤まらない。

 体を鍛えないと何も始まらない。 そして腹を作って精神力を鍛える事。 これなくして、何がプロだ。

 親だけだよ、今の成績を喜んでいるのは、、 将来を考えれば、今は結果より過程だ。 家庭か?  ちゃんと食事させろよ。 親。

 
 
 


日本の政治家も本当に命かければいいのに。

2010-08-13 14:07:53 | インポート
 テレビで、「貯蓄税」なるものの導入を勧めていた。

「消費税」 よりも、デフレ解消効果、税の逆進性がない点、消費刺激による経済効果などがあり、今の日本には有効ではないか? と、言うものだった。

 詳しい議論が進んでないから、もう少しデメリットも出てくるだろうが、話を聞くと、面白いと思った。

 しかし、キャスターが、現役の財務大臣、 野田佳彦 に取材に行って感触を聞くと、 何、何と、 聞いたことがないと、 知識を持ち合わせないと言う。

 提唱する大学教授は、ケインズを読んでいれば、知っているはずだから、ケインズをよんだ事がないんじゃないんですか? と、茶化していたが、まったくあきれた。

 これだけ、財政が痛んでいるのに、先日まで消費税を含む増税はしないと言っていた。
 最近は、議論を始めると。 議論している間にどんどん財政は悪化する。
膨大な元金に対する複利、金利とは、そう言うものだ。 

 議論もいいが、とにかく何かやってみればいい。 駄目ならまた変えれば良い。  それが常道だ。 何でも百発百中はない。 いいと思った事をとりあえず試してみる、駄目なら、別な方法をまた試す。
今の状況ではそれくらいのスピードが必要なのではないか。
なのに全く進まない。

 

 北朝鮮は、デノミをした。 あっという間に実施し、 あっという間に失敗に終わった。
 
  
 そして、 言いだしっぺの 政府幹部は、その責任を取らされて、

  死刑になった。

 
 日本の政治も、よく言っている。

「命がけで、やらせていただきます。」
「不詳○○、命を張って、やりぬきます。」

 聞いているほうが恥ずかしくなるが、言うだけは、言う。

 
日本の政治家も北朝鮮のようにやればいいのに。
将軍様はいないから、自分で、縛りを入れて。

 本当に日本国の為に政治をやっているのなら、くだらない議論に時間を費やさず自分の政策を押し通せばいい。

 信念を持って勧められる政策がないのなら、 はじめから政治家などにならなければいい。 

 民意、民意と国民の顔色ばかり伺っていれば当然に何も進まない。

議員が給料をもらって生活できるだけだ。
 
 

 


入院決定。

2010-08-12 14:10:47 | インポート
 先日、頂いた紹介状を持って虎ノ門病院へ。

 在来線を使って行こうと思っていたが、例のやけどのお陰で、朝起きれず、結局新幹線で。

新患手続きを済ませて、内科外来へ。

担当は年配の女医さん。 色々経緯などを話したが、内視鏡の切除が難しそうだと感じたのか、別な担当医に変わることに。

 代わった先生は、HPにも出ていた先生で、多分虎ノ門で一番内視鏡が上手なのではないかと 思っていた先生。
 出来ればこの先生がいいと思っていた先生に当たった。

 感じもよく、話しも的を得ていて、 どこに行っても、何をやっても成功出来るタイプの先生だった。
 
 前の病院から、ESD方式で取らないと無理との事で紹介があったみたいだ。

 この方式は、特殊な手術でまだ指定されいる病院以外では出来ないとの事、

 保険適用外で、 なんと お値段  \110.000- 也。
 

びっくりしたが、先生は多分従来のワッカにかけて切り取る方式でいけるんじゃないか、、とのこと。

ポリープの一部が残る可能性があるが、2.3回に分けて取る事も出来るとの事で、その方法で取れるようにするとの事。

カメラを入れないとなんとも言えないので
その時の事をかんがえて、一応説明したみたいだ。

 どちらにしても、1週間程度の入院。日にちを決めてきた。
 
 
 先生によって、若干言う事が違っている。

 最初の先生は、腺腫(レベル3)は、ガンでないから全く安心と言っていた。
 次の先生は、ガンと正常の間 だからはっきり危険と言っていた。
事実が違うと言うより、表現の仕方が違うようだ。

患者を安心させようとする先生、 危険度を認識させ、直ぐに対処するように働きかける先生。

 専門分野の違い、 担当の違いで、 対応が違う事が面白かった。

最初の女の先生は、消火器内科医、保健センター長。
潰瘍性大腸炎の詳しい経緯や、検査の結果について色々と聞いて対応を考えていた。
 結局は高度の技術の内視鏡手術が必要と判断して担当の先生にバトンタッチをしてくれた。

 2番目の先生は、内視鏡の専門医。 内科医だが、内視鏡の技術を専門に学び内視鏡手術が得意な先生。
 ポリープの説明から、切除方法などについての話しがほとんどだった。

でも、病院嫌い、医者嫌いの自分には珍しく、両方の先生に好感を持てた。

それが、何よりだった。


やけど。

2010-08-11 23:49:05 | インポート
 昨日の夜、トマトジュースを温めて飲もうとしたら熱くなりすぎたので、冷ましていた。

 ただ冷ますのはもったいないと、おなかに乗せておなかを暖めていると、
「アチー、」 裸の腹の上にこぼしてしまった。

 不思議なもので、急には動けず、はらを固定したまま、頭で考えて腹の上のトマトジュースを払いのけた。

 条件反射に俺の意思が勝った。

それは良かったが、俺の意思が間違っていた。

怪我や、刃物で刺されていれば、、動かさぬな、、と言う指令で正解かも知れないが、 今回は熱いものだった。  残念。

直ぐにどかさないから、へその横がえぐい事に。

痛くて眠れない。  氷で冷やす。 氷が解けると激痛で眠れない。
氷で冷やす、眠りそうになると、氷が解けてきて激痛。  何度か繰り返しているうちに  朝を迎えた。

 腹は、 痛くない。  感謝、感謝。 普通の状態に本当に感謝。

神様、仏様、ご先祖様、に 感謝。 俺の身体に感謝。

実は、次の日は、病院にいくため早起きしなくてはならなかったが、 寝る前に飲み始めてしまっていた。 
 
 その、ばちが当たったのかと思っていた。 大きなやけどになっていたが、痛みが治まって良かった。

 

 そして、もう一つ発見。

 痛いときはとにかくッ冷やす。

現役中は、試合の後など、足が痛くてどうしようもなかった。
3.4日は、眠れない、 朝、起きると急に痛みが戻って来て動けない。 と言う日が続いた。 当然、怪我の後は冷やしたが、冷やし足りなかったのだと思う。

 徹底的に冷やせば、もっと早く良くなったのだと思う。
 
 今更遅いが、これからは、使おう。
 


熱中症の経験。

2010-08-09 23:05:08 | インポート
 
 最近やたらと増えている熱中症に関する話題。

 今日はTVで、実際に救急車で病院に運ばれている人が取り上げられていた。 重症から軽症まで、様々だったが、軽症の大学生なら自分の方が酷かった。

 1999年の夏、お盆で帰省中の話。
 潰瘍性大腸炎で下痢が止まらなかったので、水分もあまり取らず、車のエアコンもかけずに炎天下、渋滞に巻き込まれて5.6時間経っていた。

途中のサービスエリアではトイレが間に合わず、大変だった。 
トイレに行けば出血もあり、かなり参っていた。

 途中段々寒気がしてきて、不思議に思ったがそのまま迂回した田舎の道を走りとおした。

 すると段々手足がしびれてきた。 何とか家までたどり着いたが、着くと同時に全身が痙攣して震えだした。

 びっくりしていた事もあり、当時は熱中症とは直ぐにわからずただ震えが治まるように寝ているだけだった。
 こちらは、潰瘍性大腸炎の事もあり、大変な思いをしていたが、実家の親は遠めで笑ってみているような感じだった。それがむかついて仕方がなかったのを覚えている。

 そんな中、姪っ子が、当時4歳になったばかりだったが、真剣に心配してくれた。

 「大変だ、大変だ、、、。」と、騒ぎながら隣の兄の家に戻ったと思ったら、体温計を持って帰ってきた。 

 体温を測ると 40.5度。 こちらもびっくり、寒いのに体温が高かったから。

  今度は 「大変だ、、大変だ、、。」と、また兄の家に戻って アイスノンを取ってきた。 俺の頭に載せてくれて、がんばって、と励ますと、
また、「大変だ、、たいへんだ、、、。」と、走っていった。

 帰ってくると 今度は冷蔵庫からポカリエットを、持ってきてくれた。

 姪っ子の助けで楽になってきた俺は、明らかに熱にやられていると思い、風呂場で水を浴び続けた。

 するとしばらくして体温が38度位に下がり、その後は、順調に回復し何事もなかったように元気になった。 

 
 潰瘍性大腸炎が約2年、激しい下痢で体力がなくなっているところに炎天下での運転、脱水症状、そりゃ 身体もこたえたはずだ。

 1歩間違えば、死んでいたかも知れない。
 
 しかし、当時まだ4歳になったばかりの姪っ子が、何故あれだけ完璧な、神がかり的な対応をしてくれたのか、未だに不思議だ。