1/9は大切な叔父の命日で今年も焼香に行かせて頂いた。
前回はつい先日だったように思うのだが、もう一年経った、改めて早いと思う。
前日、駐車場に車を取りに行って準備したが、今年は雪が無くありがたい。
そして、駐車場まで結構な距離があるが去年より楽に歩けて、完歩出来て、これまた良かった。
御土産は、いつものかんだのゆべしと、今回初で、井仙のロールケーキるうろ。
父方の一番上の伯母が老人ホームに入ったので、先ににそちらに寄らせて頂いた。
最初、こちらが名前を名乗ると、「なおきちゃんかい」と言われたが、、、、
その後はこちらが色々としゃべるからかえって混乱させてしまったようだった。
それでも。お世話になって、その後ご無沙汰だったから久しぶりに会えて良かった。
夜に、ご家族から連絡をもらって、こちらも久しぶりに色々と話せてよかった。 電話でも相手方の優しい心が伝わってきてうれしいものです。
毎回のように、焼香に行ってはこちらがお世話になって帰ってくるのだが、、今回も、
柔らかく甘く煮たごぼうが入ったお正月のお茶会で出す甘い餅菓子や、
ブリ、ノドグロ、さばの押し寿司を2.3切れずつ、出してもらった。
食事の後だったので、食べきれずに残ったものは量を増やして持たせてもらった。
年末には、正月に美味しいものでも食べてねと、お振込みも頂いていた。
今回も、地元産ピーナッツ、ビール、お菓子などと共に気配りいただいた。
二時間くらい色々話して帰って来た。
今回気が付いた事なのだが、、、、、、
叔母さんは、
出来るだけ高い物を買いなさい。食べたいものを食べなさい。ひもじい思いをしないようにと何かと気にかけてくれる。
お金も出すのだが、俺が気を使わないで好き勝手に使えるように言葉でもそれを強く言うのだ。
何なら、、、自分の事を自分以上に心配してくれる。 存在なのだ。
今までは、世間でよく言われる、「何々さんに心配を掛けたくないから黙っていた。」などという事が実感としてよく解らなかったのだが、、、、
叔母に対して始めてそういう感覚を持てる事に気付いた。
本当に心配してくれる人にはそういう事を思うものなのだと気が付かされ、正に自ら経験させられたのだが、、、、
今回は、そこから、一歩進んで、
今までは、自分への買い物や与えるものについて自分自身への遠慮があったが、
叔母がそういう事を望んでいるのだから、
叔母の気持ちに沿うように、、
と考えると、
自分を大切にして高価なものでも自分に与えられ、罪悪感なくお金を使おうと思えるという事に気が付いた。
今まで、自分自身を苦しめて来た感情、人生がうまく行かない原因となっていた、「自己評価の低さ」を払拭する有効な手段を得たように感じた。
全く、幼少時から、、、物をねだっても、そんなものはいらないと却下され続け、必要なものでも出来るだけ安いものしか買い与えられなかった自分には、知らないうちに自分を卑下する感覚が植えつけられていたようで、それが、自分の人生を暗くしていたのだと思う。
親は、そんな事まで頭が廻る程子供の事を、特に次男の事などを、思う訳も無く、自分の心はずだぶろに傷ついて生きてきたのだ。
そんな厄介な心の問題がやっと片付く時期が来たのだと、ありがたく思う。
叔母の存在がどれだけ自分の人生を救ってくれるのか、、、本当にありがたい。
『自分を愛してないんじゃないの? 自分を許してないからだよ。
「自分を愛します。」とか、「自分を許します」と何度も言え。。。。』
などと無責任に言って来る様な変な人が居たが、、その時に思っていた「うるせいな」も一緒に消えるようだ。。。。。
表面的な解決策で片付けるような事が出来ない自分には全く合っていなかった変なアドバイスが散ってすっきりした。
救ってくれるのは、心からの愛情、心配、やさしさ。。。。
自分に合わない奴の変な心遣いはむしろ不快で逆効果だった。
自分の中の最大の難敵、心に染み付かされた「自己評価の低さ」が取り払われて、、
俺は、自由に、自然とすばらしい成功を収めるようになっていく。。。。。
全てが、叔父、叔母、からの偉大なるプレゼントだと思っています。
ありがとうございます。
ご先祖様ありがとうございます。 親戚のご縁をありがとうございます。
望まれるように、自分を大切にして生きていきます。
伯父様と叔母様のお話を拝読し、先月私の母の逝去の際に人に優しくしようと思ったのに、今となってはそれをすっかり忘れていたなと気付きました。
私は感謝の気持ちを忘れていたような気がします。このブログでそれを気付かせて頂きました。ありがとうございます。
拙い文章、誤字脱字もあってすみません。