私の心と身体の不調は、あい変わらずな中、
少しでも楽に行くように、
わざと何が何だか解らない様に考え無いようにして、
身体を少しでも動かしながら生活している感じです。
加えて、
看護婦さんの数が足らない様で、他の病棟からサポートに来てもらっているような中、
きっちり、シャワーを浴びさせて頂いたり、 何とか一日が過ぎて行くような入院生活になっています。
有り難い事で、それで、
返って、モヤモヤを感じさせないでくれていて助かっている様な感じです。
他にも、、、色々な事で、タイミングが良かったり、
担当看護婦さんの気配りや配慮が手厚くて
、、なとか一日一日過ぎて行ってくれてます。
そんな中、昨日は、
「外出してみませんか?」と、有り難い、提案を頂きました。
ビックリして、饒舌に色々聞きかえしたりして、一気にハイになりました。
ソワソワしながら早く風呂を済ませ、
いざ、外出です。
只、裏口から20〜30メートル出ただけなのですが、
それが、、、
景色が全く違って見えるのでした。
確実に、
○期が近づいて来ているのでしょう。
末期患者が、よく言うように、
花、草木は生き生きとしていて、全てが素晴らしい感じをもちました。
強い気を、発しているように感じました。
朝、鏡で見る顔は死に近いみたいです。
ICD、ストマ、排便、排尿の不快感、間質性肺炎、大腸がんの進行を考えれば、、当たり前なのですが、
当の本人には、全く予感がないのです。
追伸。
スマホが疲れてるのか?
この記事、UP前に急に飛んでしまって、3回も書き換えました。
迷いましたが、、表現をマイルドにすると、何とかUPできました。
あちらの世界が、近づいて来たからなのでしょうか?
それとも、それを察知して心が変わって来たからなのでしょうか?
あれ程他人事だった死を強く意識するようになりました。
そして、
不安感、孤独感を強く感じます。
全くそんなことは無くて、医者もビックリしていた位だったのですが、いまは、不安や恐怖を感じて生活しています。
元気な時は、単に強がっていただけなのでしょうか?
劇症心筋炎、間質性肺炎と命と向き合う時間が長かったから平気と思っていましたが、そうではなかったのでしょうか?
それとも、もしかしたら、
死ぬ前の痛さ、苦しさに反応しているのか、
死後に裁きを受ける、自分の生き方に自信が無いからなのか、
訳の解らない嫌な不安感も感じながらいきてます。
腹を割って話せる人が誰もいないのが寂しいのでしょうか?
絶大な信用を与えてくれる、親戚の方々、
叔父さん、叔母さんがいるのですから、全く持って贅沢な話なのですが、
もしかしたら、心からの親友がいない事、孤独、も影響しているのかもしれません。以前と真逆です。
瀬戸際まで追い込まれて、初めて、自分の本心が剥き出しになったのかもしれません。
誤魔化してきた訳ではないと思いますが、
誤魔化しの人生、だったのでしょうか?
それが、生きづらさの根本なのかもしれないです。
それでも、
僕らはみんな生きている🎵、生きているから楽しんだ、、、🎼🎵🎶🎤。。。
最近、不思議な事だらけとなってます。
ドロ論、ドロ論、ドロドロばー。
ドロロンえん魔くん。
意思をしっかり持って、、、、
大丈夫! 大丈夫!。