唯のブログ。

病気の体験、療養生活や日々思いついた事などを書き留めているブログ。時々毒吐き。楽しめれば最高、無理なら受け流す。

何故か連絡が。

2011-09-22 09:30:11 | インポート
 おととい、久しぶりに寄ったお店のマスターから不意に電話が来た。
「一度会いたいから、もう一回顔を出せってよ。 」 社会人人生のスタートを切った時の姉さん社員に、「来た」と伝えたら店に来て色々と騒いでいるとの事。 女性は転勤が無いから、今でも同じメンバーがいる。 昔の写真を見て盛り上がっているそうだ。 一人は転勤後も何度も会っているのであまり久しぶり感は無いが、後の二人は、10年ぶりくらいだと思う。 しかし、全く違和感が無い。
転勤の時は、有志でわざわざ個室を借り切って送別会を開いてくれた。
 当時は辞令から移動まで1週間しかなく、飲み会続きでどたばただった。目上の人に可愛がられていたのでけっこうなお店によく行っていた。 転勤が今一つピンときてなかった。幼く感謝の気持ちに乏しかった。 
そんな理由からかもしれないが、いつもの飲み会の軽い乗りで出たが、いきなり涙を流されて、びっくりした。
そんな事を思い出して、今でも覚えていてくれる事を有難く思った。

 1月前には、転勤先での同じような人たちから連絡が来た。 こちらは、今でも顔を出す焼き鳥やの親父さんから。
連絡先教えてほしいって言っている人がいるんだけど、電話代わるよ。  こちらはあまり親しい関係では無い、何故なら、一部の人間の底を知っているから。 転勤後半年、1年くらいは毎日上司数人から怒鳴られっぱなしだった。退社後も、居酒屋で説教。 情けないほどに。そして周りに頼らない道を選んだから、完全に孤立していた。 後に、当然辞めると思っていたと何人にも言われた。 前任者は随分年次が上だったが、それでも耐え切れず失踪したそうだ。自分もそうなると思われていたようだ。
 その時の周りの目を覚えている。 完全に浮上したら、立場が逆転していた。それから遊んでくれと言われても、、、。
 
 その前は仙台支店の時の知り合いから。 病気を知り心配してくれて毎年暖かい年賀状だけが来ていた。震災後でなんやかんやでやり取りがあった。 

 会社を辞めて、ほとんど関係を絶っていたので、人脈が切れたが、辞めて無ければ繋がらなかったものもあるのでしょう。  どっちに転んだとしても、人生は良くできている。