ルネサンスという言葉はヴァザーリが使い始め、19世紀のブルクハルトやミシュレが広めていった言葉である。これはフランスのルネサンス研究者による著作。ブルクハルトのようなイタリア中心のルネサンス観ではなく、フランス・ユマニストのルネサンスを重んじている学者である。
これまでのラブレー像を覆す奇説などはあまり盛り込まれておらず、「中世神学の呪縛を打ち破り人間の復権を説いたユマニストとしてのラブレー」と「カーニバル文学の創造者ラブレー」が描かれている。
フランソワ1世とその姉マルグリット・ド・ナヴァールに庇護されたルネッサンスの芸術家たち。ラブレーは福音主義者であるナヴァールから如実に影響を受けており、ラブレーの福音主義的な要素は、歴史家リュシアン・フェーブル以降、重要視されているようだ。
初めは医者として名声を高めたラブレーはルネサンス的な文学者であったが、同時に中世の民話的な想像力の継承者でもあった。カトリック・プロテスタント(改革派・福音主義)の双方から影響を受けたラブレーの物語は無神論的なところもあり、反スコラ哲学的なところもある。しかしラブレーを単なる中世への反逆者として矮小化してしまってはならない。彼は「神学の中世」には反したかもしれないが、「民衆の中世」には反さなかった。神学者ラブレーは中世の民衆が有していた猥雑さ・雑多さを継承した人物でもあったのである。
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「世界史の枠で考えれば、この言葉は、ヨーロッパ文明が同時代の諸文明を決定的に引き離した時期の西欧の前進を意味するのであっれ、それ以外の何物をも意味しない」という歴史家ジャン・ドリュモーの見解に同意して、ルネサンスという言葉の使用を諦めないつもりである。
(11)
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良識と民衆的陽気さを文学的教養とどうかさせて、それに芸術的な形式を与えたことは、疑いなくラブレーの作品の最も注目に値する功績の一つに数えることができる。ふんだんに盛り込まれた博識や、古代作家・聖書からの頻繁な引用と参照、当時の社会への批判、福音主義的かつユマニスト的な見解の表明、さらに遊戯・仮面・象徴の愛好これらがそのことを十分に証していると言えよう。
(146-147)
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警句家ルキアノスがラブレーに与えた影響も気になった。
これまでのラブレー像を覆す奇説などはあまり盛り込まれておらず、「中世神学の呪縛を打ち破り人間の復権を説いたユマニストとしてのラブレー」と「カーニバル文学の創造者ラブレー」が描かれている。
フランソワ1世とその姉マルグリット・ド・ナヴァールに庇護されたルネッサンスの芸術家たち。ラブレーは福音主義者であるナヴァールから如実に影響を受けており、ラブレーの福音主義的な要素は、歴史家リュシアン・フェーブル以降、重要視されているようだ。
初めは医者として名声を高めたラブレーはルネサンス的な文学者であったが、同時に中世の民話的な想像力の継承者でもあった。カトリック・プロテスタント(改革派・福音主義)の双方から影響を受けたラブレーの物語は無神論的なところもあり、反スコラ哲学的なところもある。しかしラブレーを単なる中世への反逆者として矮小化してしまってはならない。彼は「神学の中世」には反したかもしれないが、「民衆の中世」には反さなかった。神学者ラブレーは中世の民衆が有していた猥雑さ・雑多さを継承した人物でもあったのである。
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「世界史の枠で考えれば、この言葉は、ヨーロッパ文明が同時代の諸文明を決定的に引き離した時期の西欧の前進を意味するのであっれ、それ以外の何物をも意味しない」という歴史家ジャン・ドリュモーの見解に同意して、ルネサンスという言葉の使用を諦めないつもりである。
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良識と民衆的陽気さを文学的教養とどうかさせて、それに芸術的な形式を与えたことは、疑いなくラブレーの作品の最も注目に値する功績の一つに数えることができる。ふんだんに盛り込まれた博識や、古代作家・聖書からの頻繁な引用と参照、当時の社会への批判、福音主義的かつユマニスト的な見解の表明、さらに遊戯・仮面・象徴の愛好これらがそのことを十分に証していると言えよう。
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警句家ルキアノスがラブレーに与えた影響も気になった。