道 (真理)

道は須臾も離るべからざるなり 離るべきは道にあらざるなり

あるレジ打ちの女性

2015-04-27 22:00:25 | コミュニティ・非営利活動・Vegan
 
やりたいことが見つからないのは、何で?
262947 あるレジ打ちの女性
 
新聞会 12/04/12 PM02 【印刷用へ

下記に紹介する女性は、田舎から東京の大学に来て、部活やサークルに入るが、すぐイヤになって、次々と所属を変えていくような人だった。そして、就職もメーカー系の企業、物流の会社、医療事務の仕事と転々とし、正社員として雇ってくれる会社がなくなり、派遣会社に登録するが、すぐに派遣先の社員とトラブルを起こし、イヤなことがあればその仕事をやめてしまうということの繰り返しだった。そして、最後の仕事がスーパーでのレジ打ちの仕事だった。そこで、彼女は「仕事をするとはどういうことか」を知ることになる。

ねずきちの ひとりごとリンクより転載します。
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その女性は何をしても続かない人でした。

~中略~

彼女は用意していた辞表を破り、翌日もあの単調なレジ打ちの仕事をするために、スーパーへ出勤していきました。

ところが、「2,3日でいいから」とがんばっていた彼女に、ふとある考えが浮かびます。
「私は昔、ピアノの練習中に何度も何度も弾き間違えたけど、繰り返し弾いているうちに、どのキーがどこにあるかを指が覚えていた。そうなったら鍵盤を見ずに楽譜を見るだけで弾けるようになった」

彼女は昔を思い出し、心に決めたのです。
「そうだ。私は私流にレジ打ちを極めてみよう」と。

レジは商品毎に打つボタンがたくさんあります。
彼女はまずそれらの配置をすべて頭に叩込むことにしました。

覚え込んだらあとは打つ練習です。
彼女はピアノを弾くような気持ちでレジを打ち始めました。

そして数日のうちに、ものすごいスピードでレジが打てるようになったのです。

すると不思議なことに、これまでレジのボタンだけ見ていた彼女が、今まで見もしなかったところへ目がいくようになったのです。

最初に目に映ったのはお客さんの様子でした
「ああ、あのお客さん、昨日も来ていたな」
「ちょうどこの時間になったら子ども連れで来るんだ」とか、いろいろなことが見えるようになったのです
それは彼女のひそかな楽しみにもなりました。

相変わらず指はピアニストのように、ボタンの上を飛び交います。
そうしていろいろなお客さんを見ているうちに、今度はお客さんの行動パターンやクセに気づいていくのです。

「この人は安売りのものを中心に買う」
とか
「この人はいつも店が閉まる間際に来る」
とか
「この人は高いものしか買わない」
とかがわかるのです。

そんなある日、いつも期限切れ間近の安い物ばかり買うおばあちゃんが、5000円もするお頭付きの立派なタイをカゴに入れてレジへ持ってきたのです。

彼女はビックリして、思わずおばあちゃんに話しかけました。
「今日は何かいいことがあったんですか?」

おばあちゃんは彼女ににっこりと顔を向けて言いました。
「孫がね、水泳の賞を取ったんだよ。今日はそのお祝いなんだよ。
いいだろう、このタイ」と話すのです。

「いいですね。おめでとうございます」
嬉しくなった彼女の口から、自然に祝福の言葉が飛び出しました。

お客さんとコミュニケーションをとることが楽しくなったのは、これがきっかけでした。
いつしか彼女はレジに来るお客さんの顔をすっかり覚えてしまい、名前まで一致するようになりました。

「○○さん、今日はこのチョコレートですか。でも今日はあちらにもっと安いチョコレートが出てますよ」
「今日はマグロよりカツオのほうがいいわよ」などと言ってあげるようになったのです。

レジに並んでいたお客さんも応えます。
「いいこと言ってくれたわ。今から換えてくるわ」
そう言ってコミュニケーションをとり始めたのです。

彼女は、だんだんこの仕事が楽しくなってきました。
そんなある日のことでした。

「今日はすごく忙しい」と思いながら、彼女はいつものようにお客さんとの会話を楽しみつつレジを打っていました。

すると、店内放送が響きました。
「本日は大変混み合いまして大変申し訳ございません。どうぞ空いているレジにお回りください」

ところが、わずかな間をおいて、また放送が入ります。
「本日は混み合いまして大変申し訳ありません。重ねて申し上げますが、どうぞ空いているレジのほうへお回りください」

そして3回目。
同じ放送が聞こえてきた時に、初めて彼女はおかしいと気づき。周りを見渡して驚きました。
どうしたことか5つのレジが全部空いているのに、お客さんは自分のレジにしか並んでいなかったのです。

店長があわてて駆け寄ってきます。
そしてお客さんに
「どうぞ空いているあちらのレジへお回りください」と言った、その時です。

お客さんは店長に言いました。
「放っておいてちょうだい。私はここへ買い物に来てるんじゃない。あの人としゃべりに来てるんだ。だからこのレジじゃないとイヤなんだ」

その瞬間、レジ打ちの女性はワッと泣き崩れました

お客さんが店長に言いました。
「そうそう。私たちはこの人と話をするのが楽しみで来てるんだ。今日の特売はほかのスーパーでもやってるよ。
だけど私は、このおねえさんと話をするためにここへ来ているんだ。
だからこのレジに並ばせておくれよ」

彼女はポロポロと泣き崩れたまま、レジを打つことができませんでした

仕事というのはこれほど素晴らしいものなのだと初めて気づきました。
すでに彼女は昔の自分ではなくなっていたのです。

それから、彼女はレジの主任になって、新人教育に携わりました。

彼女から教えられたスタッフは、仕事の素晴らしさを感じながら、お客さんと楽しく会話していることでしょう。

木下晴弘著 涙の数だけ大きくなれる! フォレスト出版より
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西欧においては、仕事というのは、神に与えられた罰なのだそうです。
エデンを追放された際、神は、男性には労働の苦しみを、女性には出産の苦しみをお与えたもうた。

けれど日本では、働くことは「傍」を「楽」にすること。
「傍楽」ことだと教えられます。

昨今では、仕事をすること=いい給料をもらって稼ぐこと、経済的価値が仕事の価値と教わるけれど、
そうじゃなくて、より良い仕事をすることそのものに価値を見いだし、それを人の道としてきたのが、神代の昔からの日本社会の伝統です。

だから、銭金の問題じゃない。
いい仕事をすることが大切なことなのだと教えられた。
そしてそうした傍楽人々を、社会全体で守って行こうとした。

戦後の日本社会は、なんでもかんでも銭金でコトを図ろうとする傾向があるけれど、それこそが幼稚な発想だと、あえて決めつけさせていただきたいと思います。

いまいるその場所で勝利する。
いまいるその場所で、自分を成長させる。
まわりのみんなの役に立つ。

お金も大事です。
けれどお金以上に大切なものが、この世にはあるのだということを、あらためて思います。

このブログでご紹介している先人たちは、誰もが銭金じゃなく、人として、人の道を追求された方々です。
そういう先人達に習っていきたいと思います。
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以上です。