新音楽療法邪説

音楽療法は、音楽の持つ様々な特性を必要とされる人々の課題解決のために応用される音楽臨床技術の総称として用いられています。

またまた、頂きものです。これって普通?

2021年06月30日 19時29分46秒 | 特設:地域の繋がり(connessione)

 ちょうど帰宅したところに、近所のオバァが歩いていたもんだから、「ただいまぁ」とごあいさつ。そしたらですね、手に持っていたこれを(いんげんですよね)ハイってくれました。本当は、もう一軒先のお隣に持ってきたものだと思うのですが、「いっぱいあるから」と、お隣の分はまた自宅に取りに行きました。

 ありがたいことです。気の毒にも思ったのですが、「うん、これでオバァの運動を増やしてあげることが出来た、良かった」と思うことにしました。

 ここの集落は、皆、山に田んぼや畑を持っています。時に、シニアカーで畑に出かける強者も居るほど。野菜作りなどは熱心で、自分のところで採れた野菜を(自給する分以上に作る)隣近所にばらまくかのように配って歩きます。管理人は住みたての頃、自給自足のために作った作物を分けて頂くのは忍びないと思っていたのですが、どうも、そうでは無い様子なのでした。

 日本全国、限界集落や無居住集落、廃村は広がっています。行政区としての市区町村は、平成の大合併などもあり、廃村などは顕在化しにくいと思いますが、一方で、市区町村内の行政区となった集落などは、あと一軒街場に出ていけば、あるいは、今住んでいるお年寄りに何事かあれは、無居住集落となる所はほんとうにたくさんあるわけです。

 今は大丈夫と言うところでも、5年先、10年先どうなるかは誰も口にしませんが、皆気づいているのですよね。その時のために、今と変わらずその土地で暮らしていくことができる仕組みが必要なのですが、集落を維持していく最も基盤となるものが、お裾分けなどの気にとめない助け合いなのですね。ここが活きている集落とそうでない集落では自ずと将来の姿には差が出てくるわけです。

 管理人が住んでいる集落は、確かに助け合いが活きています。お裾分けレベルではあるかも知れませんが、これが集落が存続できるかどうかの第一関門なのです。その次が担い手をどう確保するかです。冒頭のオバァは、棚田の写真を撮っている時、今そこで採ったコゴミをくれたオバアです。とっても可愛い顔をしていました。

 そうしたら、困った時何かしてあげたいと思うようになぁ〜るじゃあぁりませんか!助け合いって、貸し借りじゃ無いんですよね。って、沿岸部に住み着いた音楽療法士の戯言でした。

 

 

 


音紡戯農園③ジャガイモって、たくましいのねぇ・・・

2021年06月30日 07時21分26秒 | 音楽療法士の休日(Vacannza musicoterapista)

 独り暮らしです・・・・・

 野菜を買っても、いつも残してしまうとです。

 お隣さんにもらうこともあるとです。

 しかし、ジャガイモ君は優秀です。常温で長いこと食べられる状態でいてくれるとですよ。

 だから、大好きです(最近里いもに浮気しとるですが。里芋コロッケもおいしいから・・・)。

 で、しばらく忘れていて、ほったらかしにしていたジャガイモは、見事に芽が出ていました。それを何をするわけでもなく、そのまま、土を入れたプランターの中に放り込んで幾月か経ち、花が咲くまでになりました。今年はそれなりの収穫が出来るでしょうか。