新音楽療法邪説

音楽療法は、音楽の持つ様々な特性を必要とされる人々の課題解決のために応用される音楽臨床技術の総称として用いられています。

行ってきました、地域づくり講演会

2021年11月15日 17時17分08秒 | 学ぶこと/伝えること(imparare/raccontare)

行ってまいりました。生藻谷、見てきました。トイレも一緒になっちゃって、会場の反応が今ひとつだったせいか、ご本人「滑っちゃって」なんて言ってましたけど、随所に笑いのツボを仕込んでいて、笑って勉強になる理想的な講演会と思いましたですよ。

ただ、佐渡の人は、お笑いすら真面目に反応しちゃう生真面目な人が多いんだなぁと、思った次第。管理人の前の人はその都度反応してたんですけど、これが大きなうねりになっていかない、まぁ、佐渡人の良いところでもあり、悪いところでもあるんでしょうね。

で、藻谷氏、市のアドバイザーさんだったんですね。知りませんでしたぁ。「里山資本主義」っていう著書から始まって、結構ハマてしまってYouTubeで動画見たり、色々影響されています。

今回の講演会を管理人風にまとめてしまえば、「いつまで昭和をひきづってんの? 東京志向で東京と同じ暮らしをし、佐渡は何も無い、東京に出て一旗あげて、豊かになろう」てなもんで、故郷に錦を飾った人は何人いるんでしょうか、というお話し。毎年1000人流出する島の原因は、佐渡の豊かさを示さず、東京と同じような便利な生活を望んだ結果だと言います。まぁ、教育の問題でも有りますが、東京の豊かさに憧れて、佐渡に居ながらでもボタンひとつでお湯が沸き、部屋が暖かくなり、仕事もデスクワークを望んだ結果です。そのように子供たちに教えたのです。

旅もんからするとですね、佐渡ってスゴイなぁって島にきた当初は思ったんです。それは何かと言うと、薪ストーブを使っているお家がすこぶる多いと言うことに気がついたんです。

家の外壁を利用したり、専用の屋根の付いた薪置き場に積み上げてあったり、意外と薪を使っているお家が多いんだなぁと言う印象でした。

鋳物の輸入したようなストーブを使っているものなのかまでは分かりませんが、お風呂を薪で沸かしている所あれば、調理を薪ストーブで賄っているところもあるかも知れません。

本土側の感覚で言えば、何と言う贅沢なと言う感じです。輸入した鋳物製の薪ストーブなんぞは高級品でなくても平気で50〜60万円くらいすると思いますし、これに見合った煙突を据え付けるとなると100万円くらいかかっちゃうんじゃないでしょうか。薪の調達も悩みの種になって来ますよねぇ。

薪は皆さん島内で調達できているんではないでしょうか。エネルギー源にガスや石油を使えば、代金を支払うわけでしょ。それは島内には残りませんよね。

佐渡の人で山林をお持ちなら、自前で薪が調達できて費用はゼロですよね。里山の手入れは必要になって来ますけれども。仮に、島内で薪を購入するにしても、代金は島内の生産者に渡るわけですよね。まぁ、自営でもお勤めでも、稼いだお金で生活に必要な物品を調達するのに使われるわけですけれども、それが島外の大資本に吸い取られてしまうのか、島内には残って循環していくのかでは、大きく違うわけです。

管理人は、山も田畑も持っていませんので、勿体無いと思って転がっている倒木、或いは海岸の流木も何らかの権利関係があるのかなと思うと、うかつに拾ったりも出来ませんが、逆に山林をお持ちの方、薪と言う価値ある資源を無駄に捨てて、石油やガスを買っていませんか?

実に勿体ない。

と言うようなお話をして頂いたと思っております。でも、実はご著書やYouTubeの内容もごちゃ混ぜになってしまっていて、必ずしも公演の内容を反映したものではないのですけれど、また、昭和の頭から切り替わらないのは、何も佐渡だけのことではないのですけれども、もう、いい加減東京を仰ぎ見るのはやめませんか。

旅もんでも、ここの土地で人生を全うしたいと思えば、集落の行事には進んで参加し、名前とかをお覚えて貰えば、収穫期になれば野菜も届けば貴重な棚田米も届きます。有難い話です。東京で隣の人が米くれますか?

さらに集落に協力できるよう、軽トラ購入を考えている今日この頃なのです。

 

 


感染管理認定看護師というお仕事

2021年11月04日 12時15分47秒 | 学ぶこと/伝えること(imparare/raccontare)

 

第122回「種火の回」は以下の内容でした。佐渡島内の基幹病院である厚生連佐渡総合病院の感染管理認定看護師によるお話でした。

そのタイトルは、「感染症に目を光らす!」です。

佐渡新型コロナ感染者率は、本土に比べ圧倒的に少ない状況です。大変優秀な成績だと管理人は思います。

これを裏側で支えたのが、感染管理認定看護師の存在でした。島内には2名居られるそうです。

感染対策のためには、院内だけではなく、施設や地域に出向いて講演や指導にあたらなければなりません。市民一人一人の感染症に対する正しい知識と理にかなった行動を喚起するためです。感染症は今回の新型コロナであれ、季節性のインフルエンザであれ、専門家だけの奮起だけでは防ぎ切ることができないからです。

ご講演いただいた看護師の方は、島内各地に出向いて指導されたそうです。後で病院の偉い方にお尋ねしたところ、持ち出し、つまり病院としてはボランティアなのだそうです。

コロナ禍もそうですが、傾向としては少子高齢化で患者数は減っているそうです。と言うことは、減益なわけですよね。にも関わらず、持ち出ししてまでも感染対策に出向かなくてはならないわけです。

何故か?

管理人は関係者ではないのでど素人の推測なのですが、感染対策に出向くことで感染者数を低率にし、病院内の負担を軽減する役割もあるのではないかと思います。

感染症対策は院内業務だけでは済まないこと、また、看護師資格を得たのち、感染管理認定看護師になるためには管理人の想像を超える時間の勉強と、資格を得たのちも更新する為に実践と研修を続けなければならないこと、などなど学びました。

ほんとうに大変なお仕事ですね。

管理人は、手指消毒の正しい行方なども詳しく解説いただきましたけれども、先にも言いましたが、「正しい知識を持って正しく恐れ、一人ひとりが理にかなった行動を取る」と言うことが、医療の逼迫を防ぎ、感染症の罹患率を低くする事なのだと思ったのでした。

感染管理認定看護師、本当に大変なお仕事だと思いました。

 


講習会視聴終わりました

2021年10月10日 22時47分09秒 | 学ぶこと/伝えること(imparare/raccontare)

先週は、一気に視聴しちゃいましょう、なんていきごんでいましたが、結局、1日おきくらいに視聴しながら、やっと終わりました。

参加証、受講証も無事ダウンロードできました。

さて、今後のスケジュールは、更新猶予申請ですね。

だって、コロナ禍で現場全くなかったですから。

専業で食えるはずもなく、副業と思ってしている仕事が本業っぽくなり、ストレスも抱え、大変な感じで、その上現場がない…

まぁ、でも、講習会はとても勉強になりました。

詳細をお伝えしたいところですが、皆それぞれ著作権始め、権利関係、個人情報等には相当気を使っていましたので、管理人が思う許容範囲というのは通用しないと思いますので、気になったこと、感動したことも含め、改めて勉強した上でリソースとして報告したいと思います。

この間も、ご近所からのご好意がありまして、助けられております。緊急事態宣言も解除になったことでもありますし、管理人が集落に恩返しができることも出てくるのではないかと楽しみにしております。

ちなみに、お野菜のほか、この時期ですから、新米を頂いてしまいました。

感謝しかないです。


やっと視聴できます

2021年10月03日 10時11分39秒 | 学ぶこと/伝えること(imparare/raccontare)

ギガの使い過ぎで、視聴を先延ばしにしていましたが、blogの9月分の記事投稿も終わり、お昼から一気に講習会分も含めてPCに向かいたいと思います。

今回は実践がほぼ皆無の状況だったので、資格更新は更新猶予の申請をします。猶予が可となるかどうかは分かりませんが、学会参加でポイントも上澄みできるでしょう。

今回の講習会で目を引いたのは、「エクサドンの実証的効果と意義」というのがあり、他のドラムサークルとどう違うのか、共通するのか、楽しみにしています。

 

 


心理学の神話

2021年06月02日 20時33分03秒 | 学ぶこと/伝えること(imparare/raccontare)

昔、放送大学の講義を聴講した時の感想です。

講義は、通俗的なもの、擬似的なものがまことしやかに科学であるかのような振る舞いぶりと、それらを信じ込んでしまう人の多さとそのメカニズムついてというのが、背景にあったようです。

人は皆、その人なりのモノの見方というものをします。つまり偏りですね。自分がこうだと思ったことを、それを支持してくれる証拠を一生懸命探し、そうでないものを否定、軽視、歪曲しようとする特性を持っているということです。つまり、都合のよいものの見方をしてしまうということですね。これを防止するのに必要なのが、科学的視点ということでした。

翻って、音楽療法の世界はどうでしょう。音楽療法は科学でしょうか?科学でなくてよいでしょうか?さまざまな立場があるでしょうが、問題なのは、いや、問題と思えるのは・・・・
科学としての要件を満たしていない方法論を、科学と信じ込んでしまっていること?
少なくとも、相関関係しか認められないものを因果関係があるかのような物言いはよしましょう。それと、一般的に広く使われている概念を、自らのものとするネーミングで囲い込むのも止めてくれませんか。


自ら標榜するものを定義するには、対象、方法論を明確にした上で、論じなくてはなりません。
つまり、相撲の土俵にするのか、リングにするのか。同じリングという呼び方でも、レスリングであったり、ボクシングだったり内容が違うこともありますね。この辺をはっきりしてほしいのです。

音楽療法はあれにも良いこれにも良いと、対象、障碍を羅列しているところもありますが、それでは音楽療法は万能だと言っているようなものです。音楽そのものに依存してしまっては、音楽療法士の責任の所在が曖昧になってしまいますよ。まぁ、それで都合のよい人もいるかもしれませんが。

音楽療法って、何なんだろう?未来はあるのか。

(旧音楽療法邪説より転載)