いつまでも葬儀、葬儀・・とも言っていられない。
後整理だね。
参列できなかった東京の親戚に弔詞の礼に出向く。
・・・ 親を欠くということは、やはり一族の結束に尋常でないインパクトを与えるね。 既に衰弱したボケ老人にすぎなかったんだけどね・・
十数年後の我が身と言って感慨ひとしおだった。
居宅を辞してバスで駅に向かう。
小岩には二つの駅がある。JRと京成だ。
JRは昭和チックでいいね・・・ 夜にきてみたいって感じ・・
京成はJRと比較すると随分とこじんまりとした感じだった。
両駅間は歩いた。 たいした距離じゃないんだけど、随分と距離を感じた。 もう十分過ぎるほど暑熱がきつい・・
京成駅の付近は古墳時代のころから人の生活があったらしい。住みやすかったんだろうね。
京成で昼食にする。
下町ぽくていい。 とても繁盛している。
バナナが付いているもんね・・・ 昭和のご馳走・・(^^) これで1夏目円しない。 ごはんは小にしてもらった。
張り切りおねえさんにスマイルを一枚もらう。 混み合うホールを仕切っている。 肝っ玉だね。
”激写でも大丈夫ですよ!”
それってどんなんよ~? びびるわ・・・ たのし・・
京成関屋で降りる。
関屋の改札前から別の駅の入り口(東武線)を望む。
この両駅は不思議な駅だ。
京成関屋と東武関屋あるいは京成牛田と東武牛田でよさそうな感覚なのに、京成は関屋、東武は牛田である。
両駅は乗り換え指定になっているようだけど・・迷うわな・・・
今日は疲れた。早めに寝よう・・
そこで事件発生。 着信音がなにかしらせっついているように思える。
従妹(故人の姪)だった。
なんで教えてくれなかったと泣いている。
伯母が存命ならなんとかしてとも思うが、他界している今若い世代に負担はかけられない。
電報でも打っといてというつもりで連絡したとしても、知れば来る気満々が想像される娘である。
遠地辺鄙なところであり、普段住んでいない家はじめっとカビくさく、布団も同様である。近くに宿もない。
それだけどもどうかな・・と考えるところ、増して豪雨の話を聞き及んでいる。
来るだけでも難路となるのだ。
東京を発つ前、独断だけどだまっておこうと思った。
しかし、いつまでも黙っておくわけにはいかない。
いつ、どうやって伝えようか? 兄弟とも相談して・・などとと悩んでいたところだった。
都合よく言えば、心のつかえがおりたというところだけど・・・なんとも後味悪いな・・
”うらんでくれ” というしかないだろうな・・・
おい、おやじ罪作りだよ~ 姪に慕われちゃって・・
確かにこの娘が嫁に行くというときには我事のように喜んでいたもんな・・・(w_-; ウゥ・・