お寺ふぁん

写真撮ってきたから見て~♪ 程度の記事書いてま~す!

温泉めぐり 旧伊藤邸 道の駅おおとう桜街道

2013-02-17 | 日記

温泉めぐり 旧伊藤邸

 

 情報は日々更新・・・土曜より日曜の方が好天と言ってたようですが、今日日曜は夕から雨だとか。

 温泉のある道の駅があるとのことで行ってみましょう。

 

 午前中から温泉もどうか・・・と?

 旧伊藤邸というところに寄ってみましょう。

 邸宅直近の駐車場は、身体障害者専用らしいです。少し離れた臨時駐車場に停めます。

 

 さぶ~((;゜Д゜))

 つい日差しにだまされてしまいました。

 ビニジャンでは寒過ぎ、真冬の格好が必要でした。 飯塚自体が寒いんでしょうか?

 内庭を望みます。寒そうな絵ですが、室内ももっと寒いです。

 

 雛(ひいな)まつりをやっていたようです。 下がっているのが「さげもの」というんでしょうかね。

 

 京の花見風景だそうです。 こんな雛まつり・・・鑑定団級でしょうね。繊細にして豪奢です。

 

 奥様専用の座敷だそうです。2階になります。

 

 階段を降りると、顔が映り込むくらいに磨かれています。

 

 日本家屋なのに違和感がないです。

 

 屋内はあまり撮らないほうがいいんでしょうね。最低限のつもりで撮らせてもらいました。

 

 

 まだ、春の気配より”冬”の方が目一杯勝っています。 さぶ~

 

 2階が奥様座敷です。

 奥様の名は子、激しそうな字です。士族の娘で文人、号は白蓮。与謝野晶子などと同時代人です。

 と言っても、私もぴんときません。

 展示などでもあまり直接的なものはありません。 当時ロマンだったのか大スキャンダルだったのか・・・

 

 立派なお庭です。

 

 

 寒いです。温泉つかりたい・・・

 お屋敷を出ます。

 

 流れるようで綺麗な書です。・・っと表札の下の札は?

 ということらしいですね・・・やはり庶民にはわからん世界のようです。

 

 

 道の駅着!

 なんじゃここ・・・車停められんくらい混雑。

 いったいどこから集まって来るのか? ・・・おいらもそのひとり。

 

 屋根のちょうど裏あたりが英彦山。雪景色です。

 あ~温泉、温泉。

 町外者料金500円、下足ロッカー50円(戻りません)締めて550円。

 マイクロバブルというのでしょうか? 非常に細かい泡で白濁した湯となっています。きもち~

 

 物産品の売り場は、それほど安いという感じはしません。モノは新鮮なんでしょう。

 親鳥の鶏肉があったので求めます。

 昔は鶏と言えばこれです。まだ育つ若いのを食べるなんてね・・・

 硬いです。しかし、味はしっかりしています。ふにゃふにゃ柔らかいより私はこの硬さが好きです。

 

 次の近場はどこに行ってみましょう。

 

 

 

 


鴻臚館、福岡城から西新

2013-02-16 | 日記

 福岡市の市街遺構である鴻臚館址に行ってみます。

 鴻臚館は、外交施設、今でいう迎賓館でしょう。

 福岡の”迎賓館”も赤坂と呼んでもさほどはずれない場所(福岡城縄張り内)にあります。

 

 先日覗いた基肄城(きいじょう)の位置関係も良く見える地図です。

 白村江の戦いに敗れた日本が、新羅唐軍の侵攻に備え、九州の要大宰府を大野城、水城のラインで最終防御、裏を取られないよう基山の基肄城

を拠点とした・・・そういう必然性が見えるようです。

 大宰府南西の茶色の部分、背振山には自衛隊のレーダーサイトがあります。電子の目ですね。その近隣九千部山には放送通信設備が集中します。

 いずれにしても見通しが利くということでしょう。

 湾岸にある怡土城(いとじょう)は、この頃の緊張関係とは背景を異にするようです。

 

 施設が使われなくなる際、トイレがごみ捨て場として利用されたのでしょうね。

 トイレは非常に重要な情報源です。その頃の食生活(裕福度)や衛生状態を伝えます。

 

 

 平城京から遣唐使つながりとなりました。

 博多(鴻臚館)が、国内最終補給地だったようです。

 最終は文字通り”最終”かもしれません。そんな厳しい旅だったでしょう。

 遣唐使は4隻構成、日をずらして出港したとあります。全滅防止策ですね。

 ということは、一挙全滅という回があったのかもしれませんね。(TT)

 

 

 

 結構大きな船ではありますが、瀬戸内を出れば木の葉でしょう。

 紀伊半島から四国沖方面で1万トン級の旅客船(乾舷が高いので揺れにくい)でも低気圧でもみくちゃにされた経験があります。

 

 

 

 ”同じ敷地”と言ってよいのでしょう。

 福岡城遺構に寄ります。

 ”福岡”とは、黒田氏の故地(岡山・邑久)からとったとあります。

 天守が白く作ってあります。

 あったかどうかわからないからだそうです。

 ”あいつ(黒田氏)、幕府に遠慮して天守を壊すらしいぞ” という古文献があるそうです。

 壊す以上は”あった”ということでしょうね。 文献が正確であれば・・・

 

 

 黒田氏は、豊臣・徳川両勢力がせめぎ合う間隙を突いて天下を窺った(●`w´●)ニァ   ということを聞いたことがあります。

 さすがの軍師・戦略家の発想でしょうが、両軍の雌雄が一日にして決してしまったことから果たせぬ夢となってしまったようです。(。´・ω・)。゜

 ”目の離せぬ抜け目ない輩” そういう意識は自他ともに認めるところでしょう。

 ”天守はまずいな・・・” 自然な発想ですかね。

 

 大手も桜を待っているようです。

 

 その足で西新に出向きます。

 学生時代に行った一膳めしやを探します。 減っているようですね・・・

 

 「朝美食堂」に入ります。

 ここ大将がこわいんですよね・・・って昔の方がもっと怖かった気がします。 ママは美人でそのままでした。

 店は結構客が入っていました。 一瞬ちゃんぽんをとも思ったのですが、頼んだのは刺身がついて腹一杯になる定食680円でした。

 やす~ 当時いくらだったか覚えてませんが、スケールとしては変わらんでしょう。食えなかったんですよね~当時・・・こんな高級品。

 

 

 なつかしがってても仕方ありません。 もう帰りましょう。 焼き鳥「清正」が残っているのを見ましたが、さすがに焼き鳥屋はまだ早いですね。

 商店街も大分こぎれいになったようです。

 狭い道路にリヤカー部隊は健在でした。

 

 

 おばちゃん買おか~♪  ・・って思ってみるだけ・・・

 

 

 

 


博多いやしんぼ  さえずり

2013-02-12 | 日記

 さ~今日もスーパーにえさ漁りに寄ります。

 

 おっ・・・ 天然ぶりシャブ・・だそうです。 

 この冬一番のいい色です(⌒¬⌒*)ウマソー

 

 しかし、その近所に見かけない2つの物体が・・・

 1つは「百ひろ」、もう1つは「さえずり」

 う~ん┐(´~`;)┌

  くじらですね・・・めったに並ぶものじゃないです。

 

 即食べたい      くじら < んまい”ぶり”

 またすぐ買える    くじら > んまい”ぶり”

 お値段        くじら = んまい”ぶり”

  ん~ 小市民はつらい!

 

 この前、すずきのから揚げが並んでいてまた並ぶさと思っていたら以後見ません。

 こんなに、”んまそ~なぶり” もなかなか並ばんと悩みながらもカテゴリー”すぐ買える”で「さえずり」を求めました。

 

 これがそうですね。

 

 これは、んまい(^^)

 なにものかは知ってるけど、喩えて言うなら上質の肉厚”貝”ですね。

 おでんのタネになることもあります。

 水炊きに入れると・・・これも・・んまい(^^)

 

 なんと言ってもくじらは調査以外で獲れないものですからね~

 くじら君、食べちゃってごめん!

 

 しかし、今日のぶりは記憶に残ってしまいます・・・ あ~小市民(・・;)

 

 

 

 


せんとくん 平城京

2013-02-11 | 日記

 単身先から尼崎に帰郷しました。

 いい天気です。

 青空に誘われて平城京に出かけてみました。

 

 もうすぐ梅ですね。

 

 

 本当にこんな建物が聳えていたんでしょうね。・・・人力だけで・・・

 

 

 

 天井も凝っていたことでしょう。

 

 壁も手の入れようが・・・

 

 平成天皇の即位で見知ってしまいましたが、・・・肩の凝りそうな・・っと縁はないですが・・・

 

 

 

 

 平城京は広い。中には鉄道まであった。  ・・なんてないよね。

 平城宮の中に近鉄が走っています。

 平城宮跡地は水田、遺構の保存状態が良いようです。

 しかし、都市である平城京跡地は、市街化してしまっていてその跡を辿るのはむずかしいんでしょうね。

 

 朱雀門から太極殿を望みます。

 開けたものです。左の踏み切りは無くて、相当な迂回が必要だった気がするんですが・・・

 

 

 遣唐使船の想像復元。

 好天続きであれば退屈、荒れたら命があるのか・・・? そんな旅だったんでしょうね。

 広い平城京の中で唯一有料の施設でVRシアター設備とかがあります。

 

 帰りの電車から大阪市街です。平城京の時代人が見たらびっくり・・・

 石灰岩大地のピナクル群などを指して、かつて”石塔原”と呼んだことがあるようですが、そう見えなくも・・・

 

 帰宅してスペインワインをご馳走してもらいました。

 

 また仕事ですね。

 

 

 


瀧光徳寺 基肄城

2013-02-03 | 日記

 

 

 おー 青空(^^

 しかし、今日は会社に出る用事があるんですよね(><)

 

 昼で切り上げてどこかに・・・ 温泉にとも思いますが、さすがにお昼を回ると行き先は限られますね(^^;

 近く、そう基山に登ってみましょう。

 

瀧光徳寺 基肄城

 

 基山にお寺があります。結構な山中にある寺です。

 つつじ寺のご近所さんですね。仲良しかは知りません。

 

 ここまでは車です。

 短い石段を3つ登ると「ごくらく橋」とあります。「極楽橋」でしょうね。

 しかし、なんとなんと結構地獄です。息が切れます。

 

 

 地獄を登り切ると久々”鬼”ですね(^^)

 九州では珍しいです。

 

 豪壮な建築です。

 

 塔も珍しいですね。

 

 まるで太宰府かと・・・

 

 春は確実にきざしているのですね。

 

 このスギの”紅葉”も春ですね。

 まだでしょうけど、ぽかぽか陽気が2,3日続けば飛び回るんでしょうね。”アレ”が~  かゆいよ・・(≧0≦)・・

 

 

 桃山建築のような・・・

 

 

 寺名は「瀧」を「りゅう」と読ませるようですが、「瀧」は実際の意味合いがあるようです。

 脱衣所とあります。ここで外衣を脱いで瀧行を行うんでしょうね。

 ”夏はマムシが出ます”とも・・・えずい・・

 結界があります。瀧はその奥でしょう。

 

 瀧までの道は掃き清められていて清浄そのものですね。

 しかし、そこからの景色は現代とコラボです。

 

 

 おっと、遅くなる。

 もっと高み、基肄城跡を目指します。

 新羅・唐連合軍から太宰府を守るための重要な拠点です。

 浮いているのは雲仙でしょう。

 この方面からの上陸軍に対抗する目的ですね。

 

 土塁が残っています。 ふ~

 

 博多湾の視界を得た。

 

 ふ~ と言いながら土塁を越えると城郭中心部でしょうね。

 

 こりゃいかんな。

 この尾根線を制圧されたら、もう丸見え・・・太宰府の余命も・・というところかなと実感します。

 この奥が攻略対象「太宰府」というところでしょうか。

 

 実戦にならなくて良かったです。今頃九州ではなく、「九省」か「南楽浪郡」あたりだったかもしれんもんね(・д・;)