お寺ふぁん

写真撮ってきたから見て~♪ 程度の記事書いてま~す!

沖縄のビーチ

2012-07-29 | 日記

 に行ってきました。・・・で通用しないでしょうか?

 

 長門の海岸です。

 

 海は響灘。きれいな水です。

 

「角島 2km」の標識があります。 ということは橋長もそれだけということでしょうね。

 

 植生は沖縄・・じゃないでしょうね・

 

 福岡を8時過ぎに出て11時前に着きました。長門は意外と近いです。

 少し早いですが、昼飯にします。腹にとってはじぇんじぇん早くなかとです。

 市場の食堂に入ります。

 かんぱちといか。中央の青海苔が香りが立ってうんとこさうまいですね。

 1500円は少し高いかも。

 

 食堂の前はいかとりにいくぞ~という気配いっぱいです。

 客の漁師さんが、いかがおらんと言ってたようですが・・・

 

 船籍の読みがむずいですね。”とくうし”だったらどうってことないですね。

 

 めし食ったら帰ります。

 海峡到着。

 次次と大型船が通過します。

 今の時間は写真の船の向きが吉、左から右は燃料消費が大きそうです。

 

 福岡に帰りつくと真っ暗な雲、やった夕立・・これで涼しくなると待っていたら明るくなってしまいました。

 ごく部分的にしか降らなかったみたいですね。残念。

 

 

 特牛:とっとい  と想像もつかない読みをするようです。鳥取の親戚かな・・?

 

 

 

 

 

 


九十九島 潮受堤防 干拓道路 

2012-07-26 | 日記

 口之津から干拓道路に向かうには、海岸沿いに走れとナヴィが言います。

 しかし、がまだすロードという高規格道路があるようです。標識にそってこちらを走ります。

  "がまだす"・・???

 途中工事中で途切れる部分がありますが、う~ん快適。(^^)

 

 島原の海岸に九十九島(つくもじま)があります。

 一度見てみたいと思っていたのですが、この地形は元からあった島ではなく眉山が山体崩壊を起こし、その崩壊岩塊が海に達した名残りということです。

 眉山は普賢岳噴火の際、盾となって大火砕流から島原の街を守った山ですが、その前の噴火の際は加害本体だったようです。

 海に達した崩壊山体は、津波を引き起こし、周辺と対岸肥後国宇土、天草に大被害をもたらしました。対岸を襲った津波は反射波となってさらに島原を襲ったとか・・

 この大災害を「島原大変肥後迷惑」(1792年5月)と言うそうです。

 がまだすから見ることができます。おっと、しっかり見るとよそみ運転、ぶつかってしまいますね(^^;

 

 

 腹へったな~

 入り易い店を探しながら走りますが、なかなかありません。

 島原を出てしまったらもっとないかも・・(T T)

 

 やっと昼飯です。

 クーラーの風で胡椒が・・・失礼

 

 めしも食ったし・・・

 ”閉めたらつまらんばい、開けろ”、”なんの開けちゃいかんばい”という悶着のある堤防道路(農道)です。

 農道・・・

 道路の所管庁は、農水省ではないですが、理屈こねて無理やり作っちゃた道路ですね。

 いわゆる”いんちき”ですが、本来の所管がしっかりしてないからじゃないですか・・・

 いいいんちきだと思っています。もちろんなんでもしていいということじゃなく、程度ものでしょうけど・・・

 

 どこまでも・・ってこともないけど、とにかくまっすぐで気持ちいい~

 ・・・って 画面の点々が気になりませんか?

 虫が湧いています。うんかっていうんでしょうか。

 太平洋戦争時、日本の艦船を襲う米軍機の写真があります。

 ”うんかのような・・” という比喩がありますが、なるほどと納得してしまいます。

 

 蜘蛛の巣の飾りになってしまっています。

 

 

 

 ほぼ中間点に駐車スペースがあります。

 アスピーテのような島原の地形が望めます。

 

 島原半島というのは全域火山って感じですね。 口之津だって、急深→海底火山の噴火口 と思えてしまいます。

 

 

 わずか半日たらずのことなのに細切れになってしまいました。

 読んでいただく方が読み疲れないように配慮です。・・・ということにしておきましょう。

 実際は暑くて、とても、とても・・根気がなくて要約できません。まだ、梅雨明けたばっかりなのにね~

 

 さ~ オリンピックでも楽しませてもらいましょう・・・ふ~ι(´Д`ι)アトゥィ

 

 

 

 

 

 

 

 

 


口之津

2012-07-24 | 日記

 口之津は、島原半島の南端に当たります。

 袋状の湾をなしており、急深になっているそうです。確かに水は青いです。

 この深さ故に過去3回の隆盛があったそうです。そう資料館の存在が言っています。

 

 その3回とは・・・忘れました。

 1回が南蛮船の来航、それをきっかけに貿易や文化交流の拠点に。

 その来航から450年が経過するので記念行事を行うとのこと。

 歴史上の「天正遣欧使節」というのもこの港から出たということで、現代版遣欧使節も派遣されるということでした。

 

 もう1回が石炭の積み出し港としての繁栄。

 対岸大牟田の三井炭鉱から出る石炭をこの地に集積して積み出したそうです。

 それと関連するのかどうだったか、口之津は税関を有する大貿易港だったそうです。

 その貿易品を積み降ろしするのはすべて女性、それも女の子と言った方が適切な感じの年齢です。中学生くらいでしょうか。

 税関の跡が資料館となっています。

 

 

 この港からは、多くの若き女性も出港していったとのこと。

 「からゆき」さんは重要な”輸出品”だったんでしょうね。

 この街には巨万の富と貧困が同居していたんでしょう。そういう展示があります。(遊廓、与論、世界の逸品・・・)

 切ない感じがしました。

 

 歴史のある鬼

 凝った意匠で見応えありますね。三井の紋があります。

 強者どもが夢のあとでしょか・・・おっと、三井さんは今でも強者でしょう、失礼。

 いくら雨風にさらされるのが本来の姿だと思いながらも、無造作に外に置いていてもいいの・・と思ってしまいます。

 

 もひとつ。

 

 

 寄り道してしまいましたが、いい寄り道だったと思います。

 

 余談として、この資料館に渡る赤い橋、”大型バスもどうぞ!”と言ったってすれちがいできないじゃん・・・どうすんの・・

 と思ったら、橋を渡らなくても行き来できるみたいね・・せっかくだから渡るけど・・

 

 

 

 さー福岡まで帰りです。干拓道路を通ってみます。(別途)

 

 

 

 

 

 

 

 


棒鉄 夏

2012-07-22 | 日記

 親が両方とも健在はいいのですが、ともに今流に言えば認知症、かつてのことばで言えば ”ぼけ” のため、また帰郷しました。

 ところで人は老いれば少なからずボケます。救いがたき現象です。

 

 そんな状況を遠目から、あるいは自らを卑下して”おいらボケだよ!” という状態をさすのに”ぼうてつ”というむずかしい言葉があります。

 しかし”ボウテツ”と入力しても、結果は表題のとおりです。それこそぼけか!と言いたいところですが、パソコン辞書の限界というところでしょうね~

 こういう言葉の問題は”アッソー”で済みますが、実際、肉親がぼけていくのはつらいものです。

 

 

 鬼池・口之津航路に載る必然、必要というのはないのですが、船旅(と言っても30分程度)が好きで載ります。

 余裕を持ってと出かけたら、予定の便の1便前の便がまさに出航する直前で、

 ”急いで、急いで!”と乗せてもらいました。

 大雨の影響ですね。 漂流物が目立ちます。

 

 これも「潮目」というのでしょうか? 海の中に流れがぶつかりあう場所ができています。

 

 

 夏の雲です。しかし、水をたっぷりはらんで重そうです。

 

 かなとこ雲というのでしょうか? 天候のくずれを示す雲じゃなかったでしょうか?

 

 口之津 ペーロンをしています。この地が長崎なんだなと思わせます。

 

 ゆっくり接岸を見ていると、古タイヤの意義がよくわかります。”ほー”という感じ・・

(人の前のコンクリートの出っ張りに大きな古タイヤが付いています。硬いものですがペッタンコです。)

 

 早く着いたので、口之津の歴史民族文化館に寄り道してみます。

 

 また、別途・・・

 

 

 ぼうてつ : 耄耋