近鉄 新春おでかけ京阪奈1dayパス
1300円で、近鉄電車の大阪府・京都府・奈良県(三本松駅以西)の全線が1日乗り放題
大晦日の利用については元日も利用できて、2日間も使えます。(12月31日朝から1月1日夜まで使えます。)
これはめちゃくちゃお得で、しかも新春の初詣提携寺社の「特典」がいずれか1回だけ使える「引換券」が付いてきます。
まずは12月31日は、会社が出勤でしたので、通勤に使わせてもらいました。そして、退社時に会社で着替えて、夜20時すぎ、さあ「初詣めぐり」に出発。
まずは、吉野へ
世界遺産 国宝の金峯山寺 蔵王堂へ除夜の鐘を打たせてもらいにGO!
2019.12.31.22:22 近鉄 吉野線 吉野駅
途中まで多くの人が乗っていたのに、居眠りをして「吉野口」駅あたりまで来ると、お客様はパラパラ、吉野駅での降車はなんと私だけになりました。
え~、誰もいないの!!
「みんなで登れば怖くない。」と思っていた私の心に、一抹の不安がよぎりました。
これからひとりで歩いて金峯山寺 蔵王堂に向かいます。
23:27 金峯山寺 蔵王堂到着
街灯はありましたが、懐中電灯を片手にひとり歩き、猪がでるか鹿が出るか、得体のしれないものが出るか、長い曲がりくねった道のりを小一時間、やっと蔵王堂に着きました。
途中空には満天の星!富田林から1時間半くらいなのに星の輝きが全然違います。得した気分。
かがり火が焚かれ、新年をここで迎えようと多くの方が集まってこられました。
門松に国旗と新年への準備も万端整っています。
23:57 除夜の鐘の順番待ち
23:45くらいから、参拝の方が順番にうち始め、まもなく私の番です。
都合150人くらいは並んでおられたかと思います。
煩悩の108人までは、記念としてお札を授かることができます。
吉野駅から四苦八苦(4×九+8×九=百八)で来た甲斐がありました。
2020.1.1.0:21 蔵王大権現を前に善男善女。
(金剛蔵王大権現は秘仏なので桜の花咲く3月28日~5月6日の特別御開帳まで見れません。)
1:03 かかり火の暖かさが身に沁みます。帰りの電車までまた2時間もあるので、凍てつく吉野の町を徘徊しながら、下山しました。あ~寒ぶ!
元日の臨時電車 3:09発の大阪 あべの橋行きです。
ここもひとりかと思いきや、10人くらいの乗客があり、安心しました。
橿原神宮
2020.1.1.4:02 近鉄 橿原神宮前駅
吉野より電車で40分余り、橿原神宮前駅に着きました。
大鳥居前は夜中というのにごった返しています。
外拝殿の大絵馬
ここで順番に思い思いのポーズで記念撮影。
「すみませ~ん。撮ってもらえますか?」 次の順番の人とに撮り合いっこしている姿がなごやかです。混んでいる時はこの限りではありませんが...
畳14畳の大絵馬は昭和35年(1960)から続いていて、今年でなんと80年になるそうです!
原画の制作は橿原市在住、日本画家 藤本静宏氏。
絵馬の絵柄は、金色の日輪は旭日、木目模様は気の流れ、子の向き合う姿は人間の絆を表すということです。
お賽銭を入れて、参拝する内拝殿前
屋根の上で「バンザイ」しているように見えるのは、本殿の前の幣殿の千木(ちぎ)。
寒い夜間参拝にはやっぱりこれですね。
表を暖っためてから、次は裏側を暖っためます。これを見つけるとなかなか動けない。
帰りの屋台
誘惑にがまんして素通り。
ダーツもあるんや。
メガドック
魅力のお店がいっぱい。
つぎは5:48発 急行 京都行き
上賀茂神社
7:01 京都駅に着きました。
駅構内を横断して、京都地下鉄へ
駅構内の新春の生け花
一種類の花(水仙)で、流れがあって、印象的だったので撮りました。
8:01 鴨川
京都地下鉄の北大路駅より、鴨川沿いに歩きました。
8:31 駅より2.5km、上賀茂神社に着きました。
本殿と権殿は国宝、41棟ある社殿が世界遺産に登録されています。
「立砂」(たてずな)。
すぐに目につくのがこれ。神が降臨する場所として、神がここ立砂に招き寄せられて、乗り移るものとされています。
賀茂神社は、正式名を賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)といい、平安遷都以前に、京で大きな勢力を持っていた賀茂氏の祖先を祀る神社です。遷都後は賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに王城鎮護の役割を担いました。下鴨神社とともに山城国一之宮。
境内で2つの河川が合流。
神社境内の東に流れる御物忌川(おものいがわ)と西の御手洗川(みたらしがわ)が二の鳥居の奥「細殿」の背で合流します。
きれいな水の流れにほっとしますね。
楼門と玉橋
川が流れ、上賀茂神社らしい印象的なポイントです。
同じポイントですが、広角で撮るとちょっと印象が違いますね。
中に入って、中門 中に入って参拝しました、
神馬(しんめ) 神山(こうやま)号
好物 ニンジンをあげました。お皿から一口でパクッ。
人気の神山号が神馬になってもう10年近くになるそうです。このかわいい白馬はJRA(日本競馬会)から奉献された元競走馬で、ここで第二の人生(馬生)を歩んでいます。
下鴨神社
10:31 楼門
歩いて下鴨神社に到着しました。元日の朝とあって、初詣客も急に増えてきました。
下鴨神社の干支の絵馬
下鴨神社は正式名を賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)といい、上賀茂神社と同じく式内社で山城の国の一宮です。ここも世界遺産に登録されています。
楼門を入って、舞殿
上賀茂神社とともに賀茂氏の氏神を祀る神社であり、両社は賀茂神社(賀茂社)と総称されています。両社で催す賀茂祭(通称葵祭 5月)は、祇園祭(八坂神社 7月)、時代祭(平安神宮 10月)とともに、京都三大祭りのひとつ。
舞殿正面の吉川壽一氏の作品
中門を入って参拝
七つの社からなる言社では、干支の守り神様に祈願できます。
この七つの社に、行列になっていました。この後本殿に向かって参拝します。
10:56 初詣の様子
糺(ただす)の森
清らかな小川 初夏にはホタルも出るそうです。
趣ある御手洗
鳥居型の通行止め
高野川と賀茂川の合流地点の飛び石
亀さんもいます。
家庭菜園でしょうか?
町中で見かけた風景
平安神宮
12:40 下鴨神社より出町柳へ出て、川端通りを鴨川沿いの降りていくと、丸太町を過ぎたあたりで、琵琶湖疏水に出合います。
疏水は鴨川の左岸(東岸)を流れる鴨川運河に繋がっていきます。
琵琶湖疏水の上っていくと、夷(えびす)川発電所があります。現在も町中にあって発電している施設で、大正3年(1914)に京都市が運用開始した水路式発電所です。
現在は関西電力が運用しており、有効落差3.42m、最大出力300kwの発電を行っているそうです。
2度ほど右左の折れ曲がった後、赤い欄干の橋に出合います。平安神宮の参道に当たる神宮通りの慶流橋です。
神宮通りの大鳥居
正面奥に応天門(楼門)が見えます。
13:11 応天門前の混雑
元日の昼過ぎになって、参拝者で混雑しています。
白虎楼(西側)も混雑
蒼龍楼(東側)も混雑
長蛇の列で、いつ参拝できるかわからない。
並んで待つというのは、忍耐力が必要ですね。
平安神宮は平安遷都1100年を記念して、明治28年(1895)に平安遷都を行なった第50代桓武天皇をご祭神として創建されました。社殿は、桓武天皇が開いた当時の平安京の正庁、朝堂院が約8分の5の規模で再現されています。
琵琶湖疏水・インクライン
14:05 琵琶湖疏水記念館付近
南禅寺船溜まり。インクラインの登り口です。半分写っている噴水は、琵琶湖疏水の高低差による水圧だけで噴き上がるナチュラル噴水です。
明治14年(1881)、第3代京都府知事 北垣国道は京都の復興と近代化を目的とし、琵琶湖疏水の建設を決意しました。「楽百年之夢」という言葉を遺しています。扁額は100年後の記念行事として当時の今川正彦京都市長筆によるものです。
琵琶湖疏水とインクライン
疏水はスプラッシュマウンテンみたいに滝のように下ります。
インクラインとは、琵琶湖疏水の急流区間(蹴上~南禅寺間、高低差36m)が三十石舟では運行できないため、線路を敷いて舟を台車に載せて運んだ全長582mの傾斜鉄道(ケーブル)です。
ここは現在遊歩道になっていて、春は桜がきれいです。
いちばん上の蹴上の舟溜まりまで直線で、線路敷きを歩くことができますが、きのうから仕事が終わってろくに寝ていない私のとってはかなりしんどいです。
上から見るとこんな感じ。しんどさが伝わってくるでしょう。でも京都の町が見えて景色はいいです。
台車は下と上に計2台が保存されています。これは上の蹴上舟溜まり付近のもの。
明治24年(1891)から昭和23年(1948)まで運行されました。蹴上水力発電所の電力を使い 、2台をケーブルのようにつなぎ水中の滑車を使って巻き上げました。多い時で1日150艘を運んだそうです。〔大正14年(1925)頃〕
台車に載せられた三十石舟
蹴上の舟溜まり
トンネル出口右側に煉瓦造りの旧御所(ごしょ)水道ポンプ室が見えます。御所水道は、京都御所を火災から守るための琵琶湖疏水を利用した防火水道です。ポンプ室は高所にある貯水池に水を上げるための施設として建設されました。
第三トンネル出口
琵琶湖の水が第一トンネルを経て、山科盆地に至りさらに3つのトンネルを経てここに至ります。
複雑な水路で水が集まります。
水が集まり、鉄管に導かれます。
蹴上発電所に水を送る2本の水圧鉄管が、インクライン横の斜面に設置されています。
明治の始めにこれほど大掛かりな工事が行われたのは驚きです。
蹴上発電所・ねじりまんぽ
第2期蹴上発電所
明治24年6月(1891)に前年開通した琵琶湖疏水(第1期)の水路式・流込み式の水力発電所として運転を開始した、日本で最初の営業用で日本最初の水力発電所です。
その後、明治45年(1912)の第2疏水の完成に伴い、建て直しなどの変遷を経て、現在も4500kwで運転しています。
水力発電により得られた電力は、当初のインクラインの動力を始め、工業生産や電気鉄道など、京都発展の一大原動力となりました。現在は、夷川・墨染発電所とともに琵琶湖疏水の発電所として関西電力の所有となっています。
明治45年(1912)建設の第2期蹴上水力発電所
イギリス積みの美しい煉瓦建築です。
これは道路(三条通・府道143号)を隔てて、向かいの蹴上浄水場の建物
同じく重厚で美しい建物ですね。
蹴上浄水場
京都市で最初に建設された浄水場で、水道水の原水は第2疏水から取水し、サイフォンの原理で浄水場に送られています。つつじの名所として有名です。
京都地下鉄東西線 蹴上駅
ここもあわせて煉瓦調の外観をしています。
上の蹴上舟溜まりから、インクラインの脇道に沿って降りていくと、程なく南禅寺へ向かう煉瓦隧道(トンネル)に出合います。明治21年(1888)6月に完成。
トンネルの大きさはこれくらい。上を三十石舟を積んだインクラインが通ります。
扁額に書かれている文字は「陽気発處」。朱子の「陽気発する処、金石また透る、精神一到 何事も成さざらん。」の一節から取られたもの。「精神を集中して物事に取り組めば、どんな困難にも打ち勝つことができる。」
揮毫者は工事を発案・指導した第3代京都府知事 北垣国道。事業に立ち向かう気持ちを表現しています。
この斜めに積まれた煉瓦の積み方をを「ねじりまんぽ」とか「ねじりまんぼ」とか言います。
上からの重さに耐えられるように、内側の煉瓦が斜めに巻かれています。
上の線路の軸線と下の道路が直行せずに斜行する場合に用いられる技術と言われています。
南海高野線の狭山駅の手前、東除川の7号暗渠もねじりまんぼですね。
反対側(地下鉄蹴上駅側)の入口。
ここの扁額は「雄観奇想」
「見事な眺めと、優れた考え」とういう意。これも北垣国道の書。
夷川発電所横の舟溜りにある北垣国道像
疏水建設に尽力した第3代京都府知事 北垣国道の銅像です。
明治35(1902)年に建てられた初代の像は、第二次世界大戦中の金属供出で撤去されました。現在の像は、平成2(1990)年に琵琶湖疏水竣工100周年記念事業のひとつとして再建された二代目です。台座は初代のもの。
第3代京都府知事の北垣国道は、東京遷都の後、京都の復興策として琵琶湖から水を引き、その水の力で産業振興を図る「琵琶湖疏水」の建設を計画しました。
北海道庁長官、貴族院議員、枢密顧問官を歴任。男爵。
田邉朔郎の銅像
北垣国道知事と同じく片手に計画書を持ち、蹴上舟溜まりを少し降りたところでたたずんでいます。
工部大学校(現東京大工学部)に在学中に論文『琵琶湖疏水工事の計画』を執筆した田邊朔郎(たなべさくろう)。23歳の時、北垣国道知事に琵琶湖疏水工事の総責任者に抜擢され、さまざまな難問題をクリアし、世紀の難工事を見事にやりとげました。銅像は、昭和57(1982)年に京都華頂ライオンズクラブが京都市に寄贈したものです。
琵琶湖疏水建設工事の主任技師として活躍した田邉朔郎は、その後も北海道の鉄道や関門トンネルの建設に尽力したほか、東京帝国大学・京都帝国大学の教授を歴任するなど、土木技術者・教育者として、日本の近代化に大きく貢献しました。工学博士。
明治23年(1890)の第一疏水完成後、榎本武揚の媒酌で北垣国道の長女静子さんと結婚。また、北海道庁長官に就任した北垣の要請で、北海道全道に1600kmの幹線鉄道敷設計画の調査に着手し、計画・建設に携わります。狩勝峠の名付け親。北垣国道との縁はその後も続きます。
南禅寺・水路閣
15:47 南禅寺金地院
金地院といえば金地院崇伝がすぐ思い浮かびます。高校の教科書に載っていたと思いますが、徳川家康の元で活躍した僧で、方広寺の鐘銘事件が有名ですね。同じ時期の天海(慈眼大師)とよく比べられます。
南禅寺
名前に禅の字が付くように、禅宗のお寺です。臨済宗の大本山で、京都五山・鎌倉五山の上の格式、別格本山の称号をもつ大寺院です。
南禅寺 三門
歌舞伎で、石川五右衛門が「絶景かな!絶景かな!」と言った名セリフで有名な大門です。
上まで登ることができます。(有料)
法堂(はっとう)
重量感のある立派なお堂です。
天井には睨み龍。
禅宗のお寺の法堂の天井によく描かれている八方睨みの龍。
これが有名な水路閣
テレビのドラマでもときどき出てきます。
南禅寺法堂の右奥(南側)を流れる琵琶湖疏水の分線(蹴上以北)にある水路橋です。
煉瓦造りのノスタルジックな重厚さが伝わってきます。
元日も多くの参拝者でにぎわっていました。特に中国系の外国人が多いようです。
明治21年(1888)に完成した水路閣は長さ93.2m、幅4.1m、水路幅2.4mあります。
特に橋の下のアーチの連続は写真のスポット、誰もいないように見えますが、無人を撮るのに10分以上かかりました。
この水路閣は、古刹 南禅寺境内を通過するため、周辺の景観に配慮して田辺朔郎が設計、デザインしました。
上に登ると崖面を流れている疏水が...
水路閣に至り...
水路閣を抜けた後...
隧道に入ります。
16:28 水が緩やかに流れるように、水路面の傾斜を維持するため、アーチの高さが地形に合わせて調整されています。積み方の基本はイギリス積み。
琵琶湖疏水で多くの時間を取ったため、このあと石切さんへ行く予定でしたが、だんだん日も落ちてきたため、家に帰りました。
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写真撮影:2019.12.31.&2020.1.1.
2020年1月13日(HN:アブラコウモリH )
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