2020年4月7日 9:52 南河内郡河南町弘川 弘川寺
本堂前に南朝の忠臣 弘川城城主の隅屋與市正高(すやよいちまさたか)ゆかりの隅屋桜。
本堂の周りには太い幹の杉や檜が植えられています。
鐘楼から隅屋桜
本堂の薬師如来坐像
本堂脇の坂道を登ると程なく西行堂。
後の時代、江戸中期に西行法師を慕い来た歌僧似雲が建立しました。
西行墳(西行法師の墓 右)と歌碑
そしてまもなく坂を登りつめた尾根の所がが西行墳です。
歌碑には「願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月(もちづき)のころ」と書かれています。
春のもみじもきれいです。弘川寺はもみじの名所でもあります。
弘川寺の紅葉 2016 2016.11.18.
西行墳を見つけた似雲の一回り小さな墓(似雲墳)の横から「桜山」の遊歩道が始まります。
坂道を登っていくと、尾根や谷筋にいろんな種類の桜が見られます。
全山桜山で「小吉野」といった感じ。
登るにつれて展望も開け...きょうはちょっと霞んでいる...
はらはらと散る桜
すみれの花
いきなり特集 【弘川寺の石】
本堂横の斜面に見られる岩石。尾根の法面に多くの岩が露出しています。火成深成岩の花崗岩質の岩石と見えます。
桜山の上の方、似雲法師が住んだ「花の庵」あたりの岩石群。
くさびを打ち込んだ跡が...
一枚岩で節理が見られます。
探すとあるはあるは...で、小さくまとめました。
〈画面をクリックすると拡大します〉
大和葛城山の麓のここは、領家花崗・片麻岩帯で花崗岩質の岩石がたくさん山肌に露出しています。
巨石の多い岩橋山、河南町の磐船神社の巨石、近つ飛鳥風土記の丘周辺の花崗岩群(一須賀古墳群の横穴式石室はこの石を利用しています。地産地消。)、弘川城址近くの巨石、また千早川や石川上流部には、花崗岩質の巨石がゴロゴロ。
本堂横の小川は、一枚岩の川底でした。
不自然なキレット(切れ目) 桜山 似雲花の庵あたり。
明らかに人の手で尾根を切ったと思われるキレットが見られます。ここはおそらく尾根続きであったと思われます。
葛城山の中腹に楠木正成の支城のひとつ弘川城があり、弘川寺までは連絡通路であったと思われるので、その途中のここは何らかの防御ラインでなかったかと思われます。ここの部分は谷なのに水も何も流れていない乾いた土地、とても不思議な場所です。
南北朝時代は楠木正成およびその家臣団が上赤阪城や千早城などの山城の連絡網を密にして、物資と人の移動を寄手に悟られないように工夫していました。また多くの出城は物理的な移動だけでなく、狼煙や篝火で瞬時に連絡できるような位置に立地していました。(たとえば池尻城→龍泉寺城→弘川城というふうに狼煙で瞬時に連絡できます。)
そのため、弘川寺周辺は南北朝は楠木正成、室町時代は畠山氏の内紛で利用されたようです。
谷あいにひときわきれいな桜
八重の紅しだれでしょうか...
華麗に咲く上の駐車場の桜
玉桜(花が玉になるようなすごく八重の桜、かってに命名)
下の駐車場のしだれ桜
関連記事:弘川寺の桜 2015年4月14日
写真撮影:2020年4月7日
2020年4月21日 ( HN:アブラコウモリH )
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