富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

弘川寺の桜 

2015年04月14日 | 

 2015.4.8. 17:05 南河内郡河南町弘川 真言宗醍醐派 竜池山 弘川寺

 護摩堂 と すやさくら

 

 すやさくら

 「隅屋桜」とか「すやざくら」とよまず、「すやさくら」とよむのがいちばんこのさくらに合っているような気がします。

 

 「河内鑑」(1679)や「河内名所図会」(1801)にも紹介されているそうです。

 この枝垂桜は江戸彼岸桜系で花は一重のベニシダレです。撮影は4月8日ですが、満開を過ぎて散り始めといったところです。

 

本坊、庭園の門 

 なにか格式の高い古寺院の趣がありますね。

 

 本堂と大きな杉の木

 

 ちょうど満開の八重桜

西行堂から昇り、西行歌碑や西行墓の上の桜の散歩道にありました。

 

 遅咲きの山桜

ソメイヨシノはすでに散っていました。

 

 駐車場にある観賞用の桃の木

 

 八重桜をクロスフィルターをかけて撮影してみました。

太陽の光の恩恵を表現したかったんですが、あいにく曇り空です。

 

 梵鐘と すやさくらと 御影堂

 

 句碑が石垣に取り込まれていました。

 

 西行堂に登る坂道、すやすやとすやさくら

 

 本堂には薬師如来さまがおられます。

 

 役の行者により創建され、弘法大師により中興、幾多の戦禍に遭遇しながらも、現在に至り、その歴史の深みを感じさせる情景です。

 

 西行堂への道

江戸中期 歌僧 似雲(じうん)がこの寺を訪れ、西行堂を建立しました。

 

 西行法師の歌碑

「願はくは 花の下にて 春死なむ
      そのきさらぎの 望月(もちづき)のころ」

入寂されたのは、73歳のときでした。

 

 このあたりによく自生しているモチツツジ

 

 もみじのあかちゃん

 

 すみれの花

 

 上の駐車場付近

下と上に広い駐車場、上にはトイレもあります。ここから、農道を通り葛城山に登ることもできます。

 

 鎌倉初期、空寂を慕って、歌人 西行法師がこの寺を訪れ、この地で入寂。

西行法師は、秀郷流武家藤原氏の出自で、出家前は佐藤義清(のりきよ)と称し、家系は代々衛府に仕え裕福でありましたが、23歳で出家して円位を名のり、後に西行とも称しました。

出家後は心のおもむくまま諸所に草庵をいとなみ、しばしば諸国を巡る漂泊の旅に出て、多くの和歌を残しています。

その終焉の地が、この弘川寺です。

23歳で出家し、73歳でその生涯をとじた50年間。西行が何を考え、どう行動したか。そして、ここを最後の住まいとしたのはなぜなのか、推し量ることは難しいですが、その生きざまは後世の宗祇や松尾芭蕉などに大きな影響を与えたと思われます。

 

 

 関連記事:弘川寺の紅葉 2013.12.4.

撮影:2015.4月8日 富田林市川向町 金剛大橋下流部

2014.4月14日 (HN:アブラコウモリH )

 


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