富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

〈特別館外〉大東まち巡り

2022年12月10日 | 館外活動

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

景色抜群! 堂山古墳での記念撮影。今回の参加メンバー。参加者は10人。

坂道がきつかったけど、登った甲斐がありました。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

JR京橋駅東西線で電車待ち。

富田林より近鉄組(富田林駅集合)と南海組(金剛駅集合)の2班で京橋駅内で待ち合わせでしたが、近鉄が、古市駅付近の線路故障で15分くらい遅れ、出鼻をくじかれました。

 

大東市・JR野崎駅に到着。ここから出発。

遠出で寒い日だったため、いつもより参加者は少ない目。

 

駅の前を流れる「観音井路」の堤防に描かれた昔の「野崎参り」の様子。

 

観音井路

大和川付け替え後、江戸中期頃から大坂 八軒家浜から寝屋川筋を通り、観音浜まで屋形船が行き来しました。井路幅はその当時7.2mもあったそうです。

直線の井路で大和川付け替え後の新田開発により、井路筋が整えられたようです。

 

「野崎参りは屋形船で参ろ」と、大坂より参拝客を運んだ船着場があった場所です。(明治初期)

 

堂山古墳公園に向かう途中の「歴史とスポーツふれあいセンター」の宮谷1号墳 横穴式石室を見学。

 

少し行くと専應寺。浄土真宗本願寺(西本願寺)派のお寺です。

 

ここに京極丹後守寄付の手水鉢がありました。

 

その由来が書かれています。

 

坂がだんだんきつくなり、宝塔神社へ。民話「とめやん」で知られています。

『昔、この辺りに住んでした、狸のとめやんは、毎日のようにいたずらをしていた。困った村人が捕まえると「みんなが”とめ公”と呼んでバカにする、”高吉大明神”と呼んで祀ってほしい」という。そこで村人たちは「高吉大明神」という石碑を建て、食べ物を供えてやった。すると、それからいたずらをしなくなったという。』

 

サッカーをする狛犬

もうすでに「ハンド」です。

 

堂山古墳群広場で大阪市内をバックに集合写真。登ってきた疲れが見えます。

 

高台から市内を展望。

堂山古墳群は標高80~100m高台あり、1号墳は5世紀前半のこの地域の首長的人物の墓で2~7号墳は6世紀末~7世紀中頃の群集墳です。

 

見晴らし抜群!

 

あべのハルカス

 

わが富田林のランドマーク、PLの塔(大平和祈念塔)

あべのハルカスとPLの塔はほぼ同じ高さです。

あべのハルカス 立地16m +建物高さ300m=316m

PLの塔      立地110m+塔の高さ180m=290m

ここに登ればPLの花火も見えるそうです。

 

堂山古墳史跡を後に野崎観音へ。

 

野崎観音(慈眼寺)門前の階段に到着。

 

野崎観音はこのイメージが強いですね。

 

野崎観音(慈眼寺)本殿までまた階段。階段は怪談より怖い。

平安中期行基菩薩が開山、十一面観世音菩薩を本尊とする曹洞宗禅寺です。

「野崎参り」で有名。

 

お礼参りに奉納された安産祈願の犬のお守りのようです。

 

ちょうどもみじが真っ赤でした。

 

野崎観音の参道を下る参加者。下りはらくちん。

 

「野崎参り」が終わり、野崎駅近くの橋の上でひとやすみ。

 

これはなんだろ?

 

突然の甲冑隊が現われビックリ!

「三好長慶会」のみなさんです。ボランティア、お疲れ様です。

最初の戦国天下人といわれる三好長慶を偲んで、甲冑姿での町内清掃です。

大阪府下最大級の戦国時代の山城の飯盛城は大東市・四条畷市の飯盛山にあります。

 

案内板もすばらしい! 屋形船!!

富田林も剣先船 川面浜の案内板をつくって...

恩地川と寝屋川の合流地点。JR住道駅は水害対策のために高架になっています。

ここから鴻池新田まで「古提街道」を散策します。

古提街道は大阪京橋から旧大和川や寝屋川の堤防上を東に進み河内平野を横断して奈良へ向う街道。

 

古提街道をゆく。

この付近は標高が低いです。古堤街道北の赤井一丁目付近の標高はなんと50cm!

 

聖徳太子堂、父用明天皇の病気平癒を祈願する、太子16歳の孝養像が安置されています。

 

古堤街道、堤上で右側は約2mほど低くなっているのがよくわかります。

 

古提街道案内マップ。寝屋川にそって堤防の上を歩きます。

 

「すぐ のざき」と記された道標

 

諸福村の伊勢灯籠。

 

街道筋には伝統的な民家も残っていました。

 

鴻池新田会所入口到着。

 

鴻池新田会所(国史跡 重要文化財) 東大阪市鴻池元町2-30 

江戸時代に豪商・鴻池家が開発した新田の管理など行うために作られた施設。

約13600㎡の広大な敷地に、長屋門、会所、蔵、庭園がありました。

 

本屋(重要文化財)

 

鴻池新田会所 本屋は宝永4年(1707)に建築。現在の建物は嘉永6年(1853)の状態に復元されています。建物は入母屋造本瓦葺で、梁等は樹齢400年のクロマツを使用とのこと。

 

おおきなかまど。

 

本屋の4連の部屋。大きな和室がいくつもつながって圧巻!

 

井路川舟(剣先船の小型船)

 

会所の敷地内の米蔵や農機具を収める大きな蔵。

 

新田会所の建物の見学を終えて庭園を見学します。

 

15:52 回遊式の立派な庭園

JR鴻池新田駅にて解散しました。

 

関連記事:館外活動(65)

撮影:2022年12月6日

撮影&記事: kusu、matsu、アブラコウモリHの三人が共同で道中記を作りました。

2022年12月10日

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 本町公園イルミネーション2... | トップ | 一須賀古墳群 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

館外活動」カテゴリの最新記事