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フテイキログ

不定期更新。

命日。

2005年04月25日 | 日記系
4月25日は尾崎豊の命日です。
平成四年に亡くなっているので、もう13年です。
土曜日の夜にBSで放送されていた尾崎の特番をビデオで観ました。
こういう回顧系の番組で流れるビデオというのはだいたい決まっているのだけれども、今回は、あまり見たことのない歌も入っていて、良かったです。
確か二時間の番組でしたが、ナレーションとか視聴者からのFAXの紹介などは飛ばして、曲だけを観たので、それほど時間はかかりませんでした。
ぼくは未だにかなり尾崎は好きで、カラオケへたまに行くと歌ったりしますが、こういう番組にメッセージを寄せるような「自分大好き」系の人はちょっと苦手です。
なので、こういう番組は、放送されればたいていは観ますが、曲だけを聴きます。
「尾崎、ありがとう」とか、そういうのは耐えられません。
それで、今回もリモコンを片手に飛ばしまくって観たのですが、ドーム公演のときの「I LOVE YOU」とかは、さすがに聴き飽きました。
それでも今回は珍しく「核」や「愛の消えた街」を聴けたので、ちょっと得したような気分。
しかし何度聴いても「愛の消えた街」と、最後のアルバムに収録されている「闇の告白」は、ほとんどクリソツです。

何がしたいのかよくわからない。

2005年04月23日 | 日記系
自分は喫煙者なのですが、最近の「たばこ」は何をどうしたいのかよくわかりません。
久しぶりにいつもとは違う銘柄のメンソール煙草を買ったら、デカデカと表に「喫煙はあなたにとって肺がんの~」、裏に「妊娠中の禁煙は、胎児の発育障害や~」と、スペースの三分の一強を占領して書かれているし、これではデザインもへったくれもありません。
だいたい、今日買った煙草は新製品なのだけれども、そんなにグダグタと念を押すなら「売るな」というか、「新製品なんて開発するな」と思ってしまいます。
たとえばソープランド街の入り口に交番があるのも不思議な話なのだけれども、堂々と煙草を売っておいて「病気になるかもよ?」なんて、ふざけています。
いったい煙草を「売りたい」のか「売りたくない」のか……。

そういえば、数年後にはIDカードがないと自販機で煙草を買うことができなくなるらしいのだけれども、いったい何をどうしたいのか全くわかりません。
そのIDカードがまた、なんともインチキくさく、自販機で使うのになぜか顔写真付きらしいです。
機械相手になぜ顔写真がいるのか、さっぱり意味不明です。

さりげなく。

2005年04月20日 | ニュース系
テレビ番組の中で過去の万引を告白して謹慎していたホリプロ所属の某タレントが、日本テレビの夕方ワイド「クリック!」に生出演し、テレビ界に復帰したそうです。
失言で騒動を巻き起こしたタレントを生放送でさりげなく復帰させるとは、日テレもホリプロもなかなか思い切ったことをします。
ふつうだったらコッソリと深夜番組に出演して、そのVTR収録辺りでお茶を濁しそうだけれど。
しかし、公式の報道ではこれまで「某タレント」で通してきたのに(誰なのかはバレバレだったけれど)、復帰の見出しが「万引告白あびる優、テレビ復帰」では、まるで意味がありません。
それでも、タレントなんてキャラが命みたいなところはあるし、この子は神経が図太そうなので、変におとなしくなったりはせず、謹慎前と変わらないテンションでこのままいってもらいたいものです。
そもそも芸能人にモラルだの常識だのを求めても仕方ないのだし。

参照記事:gooニュース

どこか変

2005年04月19日 | 日記系
何日か前、うちのバアちゃんとテレビを観ていたら、画面にソフトバンクの孫さんが映って、それを見たバアちゃんが、「ああこの人、ダイエー買った人?」と言っていたのですが、よく考えると、これは異様な、というか、かなり変な会話で、思わず笑ってしまいました。
庶民の感覚では「ダイエー『で』何かを買う」なら普通なのだけれど、「ダイエー『を』買う」なんて、結構当たり前のように話していたりしますが、冷静に考えれば異常です。
宇宙飛行士でもない人間が、月や火星の土地の話を、まるで自分の家の庭のことのように語っているみたいというか、マトモな状況ではありません。
同じように、「アイツ、フジテレビを買うんだろ?」とか、自分の日常生活と比べると(比べても仕方ないですが)、なんだかバカみたいです。
実際には昼メシのランチの値段で悩んだり、宝くじの三億に夢を見ていたりするのに、普通のオッサンが定食屋や飲み屋でテレビや新聞を見ながら、得意げに何百億円などという買収の話を嬉々として語っている光景は、気色悪いというか滑稽です。
もっともこれは普通のオッサンに限った話ではなく、フルタチとかでも同じですが。

しかし、たとえば元首相のワイロの一億円とか、普通であれば大変な金額なのに、こうも毎日何百億、何千億という話ばかり聞かされると、とてもシケたものに感じられてきてしまいます。
一億って現実にはめちゃくちゃな大金なのに。

反日デモのよう。

2005年04月12日 | 日記系
このところgooのブログが笑えるくらい重くて、なかなか都合よくポストできません。
ログインどころか、昨夜なんか自分のブログにアクセスすらできませんでした。
今週末には改善される予定らしいのだけれど。

自分は、たいしたことを書いているわけでもないし、気まぐれにしか更新しないし、いつもいったんテキストエディタに書いて、それをコピペでUPしているので、べつに繋がらないからといってイライラすることはないのだけれど、サポート用の「gooブログ スタッフブログ」というブログを読むと結構切実な人が多いみたいです。
いちばん新しい記事のコメント欄なんか、なかには、まるで中国で暴動を起こしている反日デモ隊のように怒り狂っている人もいて、どんなブログより面白い読み物になっています。
上から順番に時系列に沿ってコメントを見ていくと、だんだん民衆が沸騰していくデモと一緒で、フラストレーションがどんどん溜まって、日に日に怒りがヒートアップしていく様子が、よくわかります。
サポート用のブログなんて、gooを使っている人以外は読まない(読む必要がない)と思うけれど、暇なときに覗いてみると、内情が見えて面白いかもしれません。
ぼくもたまに、不具合を感じるときには見るのですが、今回の盛り上がりは過去最大級かも。
今回でも、最初のうちは「なんとかしてください」程度だった苦情が、スタッフに放置されているものだから(というか「週末まで待ってくれ」と最初から既に回答が示されている)、次第に「新規の登録をやめろ」とか「くだらんタイアップ企画をやめろ」とか内政干渉に発展し、最後にはほとんど感情的な罵詈雑言と捨て台詞の嵐になって、構図が反日デモと似ていて興味深いです。
反日デモも、「俺たちの国は偉いんだ!」といくら中国が胸を張っても、日本を始めとする世界がなかなかそれを認めず、スルーしているので、「侵略国のくせに生意気に!」と、内政にまで干渉してきて怒り狂っているだけのような。
そして人々は、嫉妬と鬱憤を、日本を叩くことで発散しているだけで、高みから見下ろして物をいうわけではないのですが、その光景からは余裕の無さしか感じ取れません。
そもそも、教科書の問題や首相の靖国参拝に対する抗議なんかは内政干渉です。
良いことなのか、悪いことなのか、政治には疎いのでよくわかりませんが、少なくとも一応の配慮はしているのだし、他所の国から必要以上にとやかく言われる筋合いはありません。

しかし、ブログに話を戻せば、これだけアクセスが集中してサーバがアップアップということは、それだけ書かれているわけで、少し驚きです。

というか、そもそもこれがいつ頃表示されるのかも、見ものだったりするのだけれども(苦笑)

恋歌終了。

2005年04月10日 | 日記系
冬のソナタをついに全部観終わりました。
全20話という長丁場でしたが、その長さは全然苦にならず、ズッポリとハマりこんでしまいました。
結局、トータル三日で観てしまいました。
そしてハマったついでに、サントラのCDも同じ人から借りてしまって、毎日聴いています。
ちなみにこれを書いているいまも『最初から今まで』や『My Memory』が流れていたりします。←重症。

それにしても、良くできた話でした。
そして音楽と映像のイメージの融合が抜群で、社会現象化するのもわかる気がします。
世の韓流ブーム全体を見渡すと、どこかで誰かが仕組んでいる臭いがプンプンするけれど、このドラマはとても良いです。
男としては、やはりユジン役のチェ・ジウにはハマります。
というか、あのドラマを観てユジンに惚れない男はいるのか? という気すらしています。

まだまだ自分の周りには「冬ソナ? くだらねー」という人たちが多いので、しばらくは末端の伝道師となって、「グダグダ言ってないで、とりあえず観てみろって」と、自分が勧められたように人にも勧めてしまいそうです。
この国を覆っている狂乱の韓国ブームに嫌気がさしている人でも、このドラマは観てみて損はないような。
何事も食わず嫌いはよくありません。
今回、そのことが身に沁みました。
ペさんを追っかけるオバハンの軍団はさすがにどうかと思うけれども、それでも、男のぼくでもチラリと、18話に出てきた海水浴場とか、並木道のある南怡島とか、「一回くらい行ってみたいかも」と思ってしまったりするので、もう以前ほど冬ソナに釣られて韓国へ行く人たちを馬鹿にはできません。

ただ、ラブストーリーというもの自体が嫌いな人は、やめておいたほうがいいかもしれません。

やっていないことを証明するのは難しい。

2005年04月06日 | ニュース系
昭和36年3月28日に三重県名張市で起きた「名張毒ぶどう酒事件」の被告死刑囚の再審開始が決定されました。
有罪の状況証拠や物証、そして自白の信用性に疑問がある、ということらしいです。

しかし、だからといって今更何十年も前の事件に関する確かな物証が新たに出てくるとは考えにくいし、こういう長期間にわたる裁判の話を聞く度、もう少し早い時期にこういう判断はできないものなのか、と思ってしまいます。
そしてもしも冤罪ということになるのなら、では本当の犯人は誰なのだろう、という疑問が湧きます。
というか、ほんとうの犯人を逮捕してはじめて完全にその冤罪事件は終わると思うのだけれども、冤罪事件で真犯人が捕まったという話はあまり聞きません。
たいていは「疑わしきは罰せず」で、まるで解決シーンのないミステリー小説のように終わります。

そもそもが、やったことを証明するのはたやすいですが、やっていないことを「やっていない」と証明することは、とても難しいです。
この死刑囚が本当にやっていないのか、それとも本当はやったのか、それはわかりませんが、いずれにせよ、流れた月日が長すぎます。
事件発生時刻に第三者による確実な目撃情報があるとか、確固たるアリバイがない限り、やっていないことを証明することはできません。
そしてそんなアリバイがちゃんとあるのなら、逮捕されることはありません。

死刑制度自体は、とてもデリケートな問題なので、一概に良いとか悪いとかはいえません。
アカの他人に対してなら、「理由はどうであれ、人が法を振り翳して人を殺めるのは傲慢なのでは?」と思うけれど、身の毛もよだつような残忍な殺人事件を起こした犯人に対してであれば、生理的に「死刑でも甘い」と思うこともあるし、もしも身内が被害にあったなら、「絶対死刑にしてくれ」と願ってしまいそうです。
それでも個人的には、「死刑」より、絶対に仮釈放も恩赦もない完璧な終身刑のほうが、罪に対する刑罰としては有効のような気はします。
たとえば外国のように「禁固300年」とか。

余談になるけれど、小説にも題材に冤罪を扱った作品は多く、ぼくの好きな作家、島田荘司さんの作品にも『涙流れるままに』という大長編があります。
これはミステリー仕立ての、壮大なお涙頂戴路線の物語ではあるけれど、読み応えがあります。
また同じ作者の作品には、ノンフィクションで小説ですらないのですが、冤罪をテーマにロス疑惑の三浦さんのことを書いた『三浦和義事件』があります。
これも分厚い本ですが、なかなか興味深い内容です。

参照記事:Yahoo!ニュース

頭の中で韓国語が駆け巡る

2005年04月04日 | 日記系
いま、冬のソナタを観まくっています。
数週間前に1話と2話だけを観て、しばらく放置していたのだけれども、日曜日に3話から16話まで一気に観ました。
残るはあと4話です。
(今日はTVのチカラの特番があったので観ていない)

正直なところ、冬ソナをこれほどハマって観ることになるとは自分でも思っていませんでした。
世間で大ブームになっていた頃は、「何がヨン様だよ」とバカにしていたのだけれども、面白すぎです。
面白いというか、メロドラマなので、同じ海外のテレビドラマでも、大好きな「24」とか「Xファイル」とかとは全く質が違うのだけれども、妙に引き込まれます。
ただし、ぼくは男なので、ペさんにハマるということはありません。
それでも、ユジンはやはりかわいいです。
そしてサンヒョクは……見ていられません。

ただ、去年と現在では、我が国と韓国の関係の雰囲気がずいぶん違うので、手放しでは楽しめない空気があるかもしれないけれども、政治と芸能は別なので、とくに気にはしません。
それでも、初めて真剣に韓国のドラマを観ているのだけれども、ひとつだけ妙に気になったことがあります。
それは、向こうの人達は、「すぐに謝る」ということです。
ドラマを観ている人なら気づいたかもしれないけれども、チュンサンもユジンもサンヒョクも、何かというとすぐに「ごめんなさい」を連発しています。
そして逆に、「ぼくは謝らない」と主張するシーンもあったりして、非常に「謝る」ということに重きを置いているのを感じます。
それが良いとか悪いとかはともかくとして、そのへんに国民性の違いが見えるようです。
ぼくら日本人というのは、悪い事をすれば謝るけれども、どちらかというと、その謝罪自体への拘りはそれほどなく、むしろその後の、「その蟠りをいかに水に流すか」、という面を重んじる傾向があるように思います。
もしかしたら、ここらへんの違いが現在のイロイロな問題の根にあったりして、とも思ってみたり。

それにしても、韓国語なんて全然知らないけれども、「アニョハセヨ」という言葉は便利そうです。
いろいろな場面で使えるうえ、何かと煩わしい日本語にはないシンプルさだし。
もしかしたらハワイ語の「アロハ」に近いかもしれません。

心が和むCM。

2005年04月02日 | 日記系
最近のコマーシャルというのは、ガキに金の歌をうたわせたり、露骨に老後や病気など生活の不安を煽る、観ていて不快になるものが多いのですが、中にはとても良いものがあります。
ぼくはあまりテレビをリアルタイムで観るほうではなく、たいていは観たい番組だけを録画しておいて、好きなときにビデオで観るパターンなので、あまりCMは詳しくないのだけれども、最近、妙に好きなCMがあります。
それは、クレラップの宣伝です。
どうもこの頃パターンが少し変わってしまって、以前のものよりはホノボノ度が低下してしまいましたが、それでもぼくは好きです。
どういうものかというと、クルリちゃんというキャラらしいのだけれど、いかにも昭和っぽいオカッパの女の子がでてくるもので、いまどきあんな子供はいないと思うけれど、それが逆に新鮮で十五秒間、心が和みます。
個人的には、いまのバージョンより、少し前の、女の子がラップでいろいろなかわいいイタズラをするバージョンがツボに嵌りまくりでした。
そして、バックで流れるその女の子の歌もかわいいです。
ああいうCMが増えると、この国を被っているなんとも嫌な不安感とか閉塞感も、多少は払拭できるかもしれません。

クレラップのCM