今日は日本とアメリカの戦争が始まった日、攻撃開始の暗号「ニイタカヤマノボレ」、そしてその成功を伝える「トラトラトラ」が有名な、真珠湾攻撃の日です。
これは日本時間なので、アメリカだと12月7日なのでしょうが。
ただ、この真珠湾の奇襲も、教科書的には「アメリカの不意をついて大成功」ということになっているけれども、実は「アメリカは日本が攻めてくることを予想していて、本当の主力はヨソへ移し、アホな日本に奇襲が成功したと思わせた」なんて説もあり、本当のところはどうなのかわかりません。
それでもこの日、日本軍が宣戦布告をしないまま真珠湾を爆撃したという事実は変わりません。
そしてアメリカは、太平洋戦争後も、世界中に軍隊を出してあちこちの紛争に首を突っ込んでいますが、自国を傷つけられたのは、このパールハーバーと911だけなので、何か起きるとすぐに「パールハーバーの再現」とかいいます。
しかし日本だって、蟠りはもうないといっていいほどだけれども、夏になれば毎年原爆の話をするから、これはどっちもどっちで、「アメリカめ、いつまでも根に持ちやがって」と批判することはできません。
それに、太平洋戦争は、正確には「開戦させられた」戦争かもしれないけれども、結果としては「日本が仕掛けた喧嘩」で、それは紛れもないことだから、何をいわれても仕方ないし、何もいえた立場ではありません。
それでも、もう何といっても五十年以上も昔の話だし、現在は一応、日本もアメリカも過去の悲しい記憶を封印してオトナの関係を築いています。
お互いに根に持ったままだったら、ハワイのパールハーバーへ日本人が観光に行くことなどできないだろうし、アメリカ人が広島の平和記念公園を無事に歩くことはできません。
たとえば戦艦ミズーリの艦上でカメラ片手に、
「ここに日本の特攻隊が突っ込んだらしいぞ」
「へえ、スゲー。日本もショボいゼロ戦でよくやったもんだなあ」
とアホな日本人観光客が騒いでいても、「帰れ、人殺しのジャップめ!」とはいわれません。
もちろん、個人としては、たとえばパールハーバーや国内の空襲で肉親を失った人なんかは、もしかしたら未だに相手国に対して憎しみの感情を持っている可能性はあります。
しかし、国家としては、どちらの国も、そういう感情はもう排除しています。
いつまでも50年以上も昔の戦争をいちいち引き合いに出し、それを政治的駆け引きに用いつつ、バカのひとつ覚えみたいに「謝罪を」、「賠償を」といい続けるのも勝手だけれども、そういうことに拘りがあるうちは、なかなか真の友好的な関係を構築することは難しいかもしれません。
本当の恨みというのは「金」に換算できるものではないし、「謝ってもらった」もしくは「謝らせた」からといって、簡単に消えるとも思えません。
何事でもそうだけれども、すべてが自分の思い通りにいくことなどないので、とりあえず「既に起きてしまったことに対するコダワリ」は自分から捨てた方が、後々何かと得になるような気がします。
日本も、アメリカへの恨みを封印して「何くそ、今に見てろ」と歯を食い縛って頑張ってきたからこそ、ここまで発展できたのだろうし。
もっとも日本の場合は、先に卑怯な手段で戦争を仕掛けた負い目があるので、声高に相手を批判することができなかっただけかもしれませんが。
いずれにせよ、相手がある場合は、その相手を屈服させるのではなく、互いに尊重し合わない限り、本当の意味での平和は築けないような気がします。
これは日本時間なので、アメリカだと12月7日なのでしょうが。
ただ、この真珠湾の奇襲も、教科書的には「アメリカの不意をついて大成功」ということになっているけれども、実は「アメリカは日本が攻めてくることを予想していて、本当の主力はヨソへ移し、アホな日本に奇襲が成功したと思わせた」なんて説もあり、本当のところはどうなのかわかりません。
それでもこの日、日本軍が宣戦布告をしないまま真珠湾を爆撃したという事実は変わりません。
そしてアメリカは、太平洋戦争後も、世界中に軍隊を出してあちこちの紛争に首を突っ込んでいますが、自国を傷つけられたのは、このパールハーバーと911だけなので、何か起きるとすぐに「パールハーバーの再現」とかいいます。
しかし日本だって、蟠りはもうないといっていいほどだけれども、夏になれば毎年原爆の話をするから、これはどっちもどっちで、「アメリカめ、いつまでも根に持ちやがって」と批判することはできません。
それに、太平洋戦争は、正確には「開戦させられた」戦争かもしれないけれども、結果としては「日本が仕掛けた喧嘩」で、それは紛れもないことだから、何をいわれても仕方ないし、何もいえた立場ではありません。
それでも、もう何といっても五十年以上も昔の話だし、現在は一応、日本もアメリカも過去の悲しい記憶を封印してオトナの関係を築いています。
お互いに根に持ったままだったら、ハワイのパールハーバーへ日本人が観光に行くことなどできないだろうし、アメリカ人が広島の平和記念公園を無事に歩くことはできません。
たとえば戦艦ミズーリの艦上でカメラ片手に、
「ここに日本の特攻隊が突っ込んだらしいぞ」
「へえ、スゲー。日本もショボいゼロ戦でよくやったもんだなあ」
とアホな日本人観光客が騒いでいても、「帰れ、人殺しのジャップめ!」とはいわれません。
もちろん、個人としては、たとえばパールハーバーや国内の空襲で肉親を失った人なんかは、もしかしたら未だに相手国に対して憎しみの感情を持っている可能性はあります。
しかし、国家としては、どちらの国も、そういう感情はもう排除しています。
いつまでも50年以上も昔の戦争をいちいち引き合いに出し、それを政治的駆け引きに用いつつ、バカのひとつ覚えみたいに「謝罪を」、「賠償を」といい続けるのも勝手だけれども、そういうことに拘りがあるうちは、なかなか真の友好的な関係を構築することは難しいかもしれません。
本当の恨みというのは「金」に換算できるものではないし、「謝ってもらった」もしくは「謝らせた」からといって、簡単に消えるとも思えません。
何事でもそうだけれども、すべてが自分の思い通りにいくことなどないので、とりあえず「既に起きてしまったことに対するコダワリ」は自分から捨てた方が、後々何かと得になるような気がします。
日本も、アメリカへの恨みを封印して「何くそ、今に見てろ」と歯を食い縛って頑張ってきたからこそ、ここまで発展できたのだろうし。
もっとも日本の場合は、先に卑怯な手段で戦争を仕掛けた負い目があるので、声高に相手を批判することができなかっただけかもしれませんが。
いずれにせよ、相手がある場合は、その相手を屈服させるのではなく、互いに尊重し合わない限り、本当の意味での平和は築けないような気がします。