奥井から全日制離任式のあいさつ原稿をもらいました。
原稿どおりには話せなかったようですが、おおよその内容は同じだと聞きました。ご紹介します。
皆さんこんにちは。
「離任者は卯高の思い出話を時間無制限でしてもいい」というのが、卯高の離任式の伝統ですから、心置きなくお話ししようと思います。卯高の校長になったときから辞めるときまでの4年間の話をします。
今日の話は、基本的に「人生、何が起こるかわからない」というお話です。
私が卯の花高校の校長になったことも、校長を辞めたことも、想定外のことでした。
フクシマ原発事故は想定外であったと東京電力が言い訳したものですから、「想定していないのが悪い。最悪を想定しておけ」というふうに、想定外は良くないという印象があります。確かに経営者やトップは最悪を想定して行動しなければなりません。しかし、人生の分岐点では、ほとんどが想定外です。あらゆる事態を想定するほど暇じゃありませんし、先のことなんかわかるわけないじゃないですか。先がわかったら、人生なんて面白くありません。
というわけで、卯高の校長になったときは青天の霹靂でした。当然、何の準備もしていません。何をしたらいいだろうか、と悩みました。2,3日悩んだのですが、風呂に入っていて「私にもやることがある」とわかった気になって、前向きにやろうと決めました。どういうことかというと、「卯高を世界と伍していける高校、世界でトップレベルの高校にするために、やることはある」と思ってしまったのです。
卯高の4年間は、想定外の連続でした。理不尽の連続といってもいいでしょう。
まず最初が、前任の校長であった槙の木先生からの引継ぎです。「奥井さんの思うようにやってくれ」だけでお終いです。引き継いだパソコン内にはファイルが一つも残っていませんでした。おまけに同窓会誌の原稿依頼です。〆切が4月1日でした。赴任した当日が〆切なんて、さすが卯高の同窓会です。
私が卯高の校長になったのは、平成21年度からですが、毎年、想定外の事件がありました。
平成21年度は、鳥インフルエンザで世界中が大騒ぎの年でした。春から夏にかけては日本中が厳戒態勢でしたが、秋頃には毒性が弱いことがわかって落ちついてきました。しかし、卯高でも文化祭後、インフルエンザが広がり、100人を超える罹患者が出て、卯高初めての学校閉鎖としました。学校に生徒が一人もいない日というのは、卯高ではあり得なかったのですが、そのあり得ないことが起こったのこです。もっとも、他の学校の校長先生方からは「卯高がだいこん県で一番最初に学校閉鎖をしてくれたので、学校閉鎖をしやすくなった」と感謝されました。
平成22年度は、想定外がなく終わりそうな1年でした。強いて言えば、強歩大会の前に強力な台風14号が発生し、強歩大会を直撃するということがありました。暴風雨の中を強行した平成2年の強歩大会を教員として経験していましたが、直撃すれば中止とする覚悟でいました。前年、卯高で最初に学校閉鎖を行った校長になったばかりでしたが、今度は、最初に強歩大会を中止した校長という名誉をいただけると期待していたら、台風の進度が速まって前日に通り過ぎてしまい、当てが外れました。卯高の雨天決行の歴史を止める勇気の歴史も書き加えておきたかったのですが、叶いませんでした。
さて、平成22年度の想定外は、3月11日(金)にやってきました。東日本大震災です。卯高でも帰宅できない生徒が沢山いて、学校に泊まりました。14日(月)は臨時休業とし、15日(火)から通常授業としました。全員が登校できたのは、終業式の23日(水)でした。部活動は終業式の日まで中止としました。
平成23年度は、最初から想定外の連続でした。4月1日に入試のミスが見つかってすぐ対応しました。授業が始まると、計画停電で、特に定時制の授業確保が大変でした。
特に大変だったのは、臨海学校です。東日本大震災では15mを超える津波が来たのですが、南伊豆の弓ヶ浜では15mを超える津波が来るという想定はありませんでした。そこで、15mを超える津波が来るという想定で臨海学校が実施できるかを検討し、様々な対策を講じて実施しました。卯高で初めて、臨海学校の保護者説明会を開きました。
平成24年度は、3月31日の南海トラフ地震の発表から想定外が始まりました。さすがに2分以内に津波が来るということでは、南伊豆で臨海学校はできません。そこで、新潟県の瀬波温泉海岸での実施に切り替えました。前年に引き続き、体育や年次団の先生方、OBの方々に様々な対応をしていただき、無事に臨海学校を終えることができました。
平成24年度は、結核感染やノロウイルス集団感染などの想定外もありました。
このように人生は想定外の連続です。
想定外の中には、結核感染やノロウイルス集団感染などのように、対応が想定されているものもありますが、多くはその事態が起こったときに対応を決めるしかないものばかりです。
想定外の事態に直面したとき、どうすればいいでしょうか。一番大切なことは「優先順位を間違わないこと」だと思っています。臨海学校で言えば、優先順位の第一位を「安全」、第二位を「臨海学校を続けること」、第三位を「弓ヶ浜で臨海学校を行うこと」と考えました。
昔、卯高の教員だった頃、教育委員会事務局へ来ないかという話がありました。卯高の教員生活はまだ六年でしたし、卯高でやりたいこともありました。その時の優先順位は、第一位が「すごい先輩と一緒に仕事がしたい」でした。
皆さんもこれから想定外の分岐点に立つことが沢山あると思います。
例えば、先輩から思ってもみなかった方向へ誘われたり、すごい人に出会ってしまったりします。そのとき、今まで自分がやりたいと思っていたことを優先するのか、想定していなかった道を選ぶのか、悩むことがあります。
そういう人生の分岐点にいきなり出くわします。そのとき、何を優先順位の第一位にするか、すぐに決められないようでは困ります。どうしたらいいでしょうか。
私は自分がワクワクしそうな方、想定外の方を選びましたが、どちらを選ぶ方がいいかという正解はありません。どちらを選ぶかでその後の人生が異なるだけです。
高校生の皆さんに人生の先輩としてアドバイスするとしたら、「沢山の想定外に出会えるようにしなさい。その方が愉快ですよ」ということです。
そのためには「若いうちは背伸びをしなさい」。そうすれば想定外に出会う確率は高くなります。
また、想定外に出会ったときに優先順位をつけられるように「人の指示通りにするのではなく、自分で決める癖をつけなさい」。卯高では皆さんに卯高の型を押しつけますが、卯高の型を身につけたらそれを破って、自分の型を作っていくことです。
一度きりの人生です。想定外の事態に遭遇したとき、不満を言う人生より、想定外を楽しむ人生を選べる人でありたいものです。
私もしばらく想定外に沢山出くわしそうですが、楽しんでやっていきたいと思っています。