はがきのおくりもの

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ぷらいど創造通信 <25>

2008年07月28日 | ぷらいど創造講座 2000

ぷらいど創造通信 第25号 平成13年 1月18日(木)

豊かな方が、より高い、より豊かな夢や希望が持てる

 村上龍氏の小説『希望の国のエクソダス』に登場する男の子が「日本にはすべてがあるけれども、希望だけがない」と言うくだりが紹介されたとき、私は目を剥いた。
 希望というものは、他人が与えてくれるのを待つようなものではない。何を希望して、何を追い求めるのかということは、個人の問題であって、個人が決定することである。
 幼児どころか大人まで、何でも国から与えられることに慣れてしまった日本人は、希望さえも与えられるものだと思っているのだろうか。
 私に言わせれば、何でもあるということは、客観的に見て希望を持ちやすい環境にあるということである。
 何でもあるという環境に感謝して、それを前提にして、どう活用して、自分の人生を築き上げていくかという問題を解決するのは、他人ではない、ほかならぬ自分なのである。そのことを、よく認識してほしいと私は思う。
 そうでなければ、次の世代が苦しまないようにと、営々と「何でもある国」を目指して努力してきた先人たちにも失礼である。
 「何でもある国」が、先人たちの血と汗の賜物であれば、簡単に切り捨てることなどできるはずがない。それを作り上げてくれた人に感謝することから始めるべきだろう。それを忘れて、それがあるから希望をなくしてしまったのだというような言いぐさは言語道断、チャンチャラおかしいのである。
 もう一度繰り返して言いたいことは、何もないところには希望もないということ、そして、何でもあるからこそ希望を持つこともできるということなのだ。
 もし、量的に足りてしまってありあまるほどのものを持っているのなら、もっと大きな希望を持てるはずである。自分の将来を質的に向上させることもできるはずである。少なくとも、今日の食べ物を得るために知恵を絞らなければならない人間と比べれば、より質の高いことにその知恵を使うことができるのだ。(一部を省略、整理した)      「日本人に生まれて幸せですか」金美齢著、海竜社より


 人は自分の思ったとおりの人となる。「どうせできっこない」と思えば、永遠にできはしない。「できる」と思って「できる」までチャレンジし続ける人生を選びたい。
 多くの人がこんな世の中、こんな社会になってほしいとイメージすれば、そういう世の中、社会になる。一人ひとりの想像=イメージが社会を創る。一人ひとりの思い、生き方がその時代を創っている。それだけに一人ひとりの責任は重い。
 あなた方の中には、自分がどんな人生を歩もうと、どんなことを考えようと、私の勝手で他人には関係ないと主張する人がいるかもしれない。その「私の勝手で他人には関係ない」という思いが、世の中を創っている。現代日本世相の一端を担っている。だから、責任がある。
 柿の木高をこんな学校にしたい、という思い、イメージを持つことが大切。みんなの思い、想像が柿の木高を創っていく。その責任は一人ひとりにある。もっとも、私自身はより責任が重いと思っているが。

 大きな夢を持とう!大きな希望を抱こう!物質的に豊かになったのだから、精神的に豊かになろう。魂を磨こう。新しい世界を創造しよう。
 魂を磨くにはどうしたらよいか。行動することである。身体全体を使って行動することである。そうすれば身体全体が思考するようになる。身体全体で気づき、理解するようになる。頭だけで考え理解したものは、何も理解していないと同じ。身体全体で理解したものだけが、自分と自分のまわりを変える本当の力となる。
 毎日、心を込めて掃除をする。一日の掃除でわかることはほとんどない。しかし、三ヶ月も心を込めて掃除すれば、見えてくるものがある。少しずつ、気づき、理解し始める。
 小さな行動から、気づき、理解し、自分を、柿の木高を成長させていこう。
 ぷらいど創造講座に参加してくれた人、通信を読んでくれた人、ありがとう。
 皆さんのお陰で何とか最後まで続けることができました。本当にありがとうございました。



 希望だけがない国なんて寂しいですね。
 どんな国を創るか、どんな人生を歩むか、を自分の力で変えていきたいものです。それくらいの気魄があってもいいんじゃないかって思っています。

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