はがきのおくりもの

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悲しみに寄り添う

2014年08月15日 | 昔話や童話などを用いた校長講話

 助け合って生き抜く新たな道を見つけるためには、作ってしまえというパワーも必要だが、悲しみに寄り添うという優しさも必要である。悲しみに寄り添う姿勢のない人に、助け合い続けることは難しいだろう。共感なくして共助なしである。

 昔、入学式式辞で保護者にお願いをしたことがあった。お願いの一つが「子どもの悲しみに寄り添ってあげて下さい」であった。

 

 次に、保護者の皆様に二つのお願いがあります。

 一つは、「子離れして下さい」というお願いです。高校時代は、親離れを遂げ、人を守り支える大人へと成長する時期です。子どもが何を考え、何に悩んでいるのか、見えないもどかしさに親として苦しむ時期です。親として、自ら全力をあげて成長しなければならない時期でもあるようです。私自身も親として一番苦しい時期でした。

 二つ目のお願いは「子どもの悲しみに寄り添ってあげて下さい」ということです。高校時代は、親や大人、自分自身の弱さ、醜さに目が向き、生きることの悲しみを知る時代でもあります。高校生ともなれば、より多くの挫折を経験し、生きることの深い悲しみに直面するお子さんも出てまいります。そんなとき、お子さんは何も語らないでしょうけれども、わからないままに、お子さんの悲しみに寄り添ってあげてください。わからないままに寄り添うということは、お子さんを信頼するということでもあります。そうすれば、悲しむことそのものが癒し癒されるものであることに、お子さんは気づいてくれると思います。

 

 親は、子に育てられて親になる。子は、親を育てるためにその親の元に生まれてくる。子は、その親の元で自分を磨いていく。

 生きるということは、基本的に悲しいことだと思う。究極的には誰とも理解し合えることはない。 自分のことさえ理解できないのが人間。そんな悲しい存在だからこそ、人間は互いに寄り添って生きていけるのだろう。

 助け合うという道は簡単に見つけられるようで、そう簡単には見つけられない。日本人は助け合うという道からどんどん離れてきたのだから。しかし、悲しみに寄り添うことさえ忘れなければ、見つけることができるような気がしている。


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