ついこの間まで、朝焼けを仰ぎながらチビと歩いていたと思っていたのに。
日が少しづつ長くなり、春めいた日も多くなってきた。
♪♪ 信号が変わったけれど 心の中に矢印が出ない
まぶしすぎる街へ 俺は今 飛び出してきた ♪♪
綺麗な同級生のそばで、ボクは・・と呟く正ヤンが、珍しく、オレは・・と連呼する。
「まぶしすぎる街」の作詞は喜多条忠。信号待ちをしていると、天からこの歌が降りてくる。
一ヶ月ほど前になりますが、直木孝次郎氏の訃報を紙上で知った。
学生時代の「奈良ほっつき歩き」は、氏の一冊がガイドブックであり、バイブルだった。
専門書のカテゴリーじゃないけど、結構、学術書っぽい雰囲気のある岩波新書。
「奈良」は、受験科目に日本史を選択しなかったボクをも優しく受け入れ、導いてくれた。
TVで初めて拝見した先生の控えめで穏やかな物腰が、ものすごく印象的だった。
盛岡駅のホームで凍えながら稼いだ往復の汽車賃だけで日本海沿いを走る夜行列車に乗った。
京都駅に着いたのは大晦日の早朝、すぐに奈良線に乗り換えた。
興福寺、猿沢の池、斑鳩、石上神社、山の辺の道、飛鳥、甘橿の丘、二上山にも登った。
甘橿の丘から遠望した大和盆地は、あの激動の歴史の舞台としては、余りに狭いと感じた。
今、新書を手に取ったとき、はらっと「法隆寺」と「当麻寺」が舞い落ちた。
好きだったなあ・・・、当麻寺。
奈良の旅の締めくくり、二上山に登る直前に立ち寄った・・・二上山が先だったかな。
奈良路では、どんなに高名なお寺でも清貧で穏やかな佇まい。
どこかの都のお寺のように、人スレしていない。(あくまで個人的印象です)
唯一、創建当時の二塔がそのまま現存する当麻寺も、里山の裾にそうっとあった。
40年以上も前の印象そのままに、今もあるのだろうか。
元日の朝、大神神社近くの山の辺の道で見かけた着物姿の娘さん・・・
ふと、野道に現れた「鄙に稀な美女」に、わざとらしく道を尋ねたバカもいた。
歩いて、歩いて、歩いた、奈良路の一週間・・・青春だったなあ。
奈良のあとは、京都大阪の方にも足を伸ばし、花園の決勝戦も観戦した。
高校は、地元、花園高校と正やん・こうせつの母校、大分舞鶴高校。
社会人は、今は懐かし、リコーと近鉄。どっちが勝ったかは忘れた。
直木孝次郎先生の「奈良」から、随分、話しを引っ張ったもんだなあ。
明日は、3月11日。去年は、ヤスと一緒に、盛岡から一関に向かっていた。
今年は、もう少し後になりそうだけど、ガン先輩も誘って、三人で行こうと思います。
まだあげ初めし前髪の・・の少女の今を見るのが怖いんだよ。
でも、いつか、必ず行くと思うよ。
オレにも、葛城あたりの血が1/4ほど流れているからね。
やっぱ、オレでも意識する歳になってきたよ。
「南部杜氏の技と魂を惜しみなく注いだ・・」だってよ。
大和の国に居ても、「南部」に酔わされるようになってんだ。
三カ月、何もしてませんでした。
当日近くにならないと決められないのが、正直なところですけど、
遅ればせながら、明日からでも、走ってみようかと思います。