単気筒ライダー(だった男)のひとりごと

愛犬チビ と CB400SSライダーだった前期高齢者の日々

「夕顔瀬橋」界隈の記憶

2011-01-31 | 盛岡・岩手・ラグビー仲間

 

 

横手駅で拾ったヤスはラグビー部の一年後輩。彼とは下宿先に絡む縁がある。

ボクが二年生の時、代々三部屋全部がラグビー部員という「高松マンション」に入った。

 


 

ボクが四年生になる年の三月、先輩二人が卒業で抜け、そのあとにヤスが入ることになった。

ところが、新年度を目前、ボクはある事情で夜逃げ同然マンションから逃亡。

青春の蹉跌とでもいうんでしょうかねえ、「悩み多き者よ」の唄が聞こえてくる・・・

 


 

 

引越し先を級友のM君に相談したら、「オレのところに、今、空いた部屋がある」。

その話に薄々勘付いてはいたが、「今、空いた部屋」はヤスの部屋のことだった。

後日、かつての自分の部屋を覗いたヤスは、そこに覚えのある「匂い」を嗅ぎ取り、叫んだ。

「この匂いは、Oka!!」(因縁の下宿前で、級友M君が撮った当時のOka・・若い!)

 


 

盛岡に着いたヤスとボクは、二人の下宿屋をそっと訪ねてみることにした。

駅の北西、駅の構内のように、目の前を東北本線、田沢湖線、山田線が束になって走る。

外壁は新しいけど、窓の周辺にボク等の時代の香りが浸み付いている。 

真ん中がボク等、左が級友のM君、右が応化のTsutida(みんなはTitsudaと呼んでいた)。

 


 

夕顔瀬町商店街。通りの奥にJRの地下歩道があり、そこを抜けると「下宿」にたどり着く。

通りの店は当時と変わったところもあるけど、通りの佇まいにはボク等の昭和を残している。

当時、若僧のボク等を無言のうちに拒絶しているように感じた横丁の飲み屋。

立派な?大人になった今なら、フラっと暖簾をくぐってみたい。なあ、ヤスよ。

 


 

ボクには、心象風景ともいうべき岩手山のイメージが、ふたつある。

受験で初めて盛岡駅に降り、開運橋から見た、夕闇の中、黒々と圧倒的に迫ってくる岩手山。

二つ目が、冬の朝、夕顔瀬橋から見た、凛とした冷気と鮮烈な青空を背景に白く輝く岩手山。

墨絵のように流れる北上川とのコントラストが印象的だった。

 


 

 

盛岡最後の年、落ちこぼれの学生は、うつむきながら「夕顔瀬橋」を渡り大学に通った。

「あの頃、もっと頑張ればよかったなあ」と、ヤスがつぶやいた。

そうかもしんないな・・・