かんたん

2004.12ブログ人でスタート、2014.10gooブログに転居。

GIZA Music Net―倉木麻衣new着メロ「Simply Wonderful~Club Edit~

2005-02-16 02:09:00 | GIZA Music Net

     GIZA Music Net 倉木麻衣 NEW着メロ          
             
       「Simply Wonderful~Club Edit~」が加わりました。

Simply Wonderfulというと、「いいものはいい」という意味だそうです。

僕から見ると倉木麻衣さんのことですね。

麻衣さんに会いたい。想いは募るよ。

Simply Wonderfulでは過去に「Simply Wonderful~Radio Edit~」があります。

聴き比べると結構違いますね。違いがはっきりとわかります。

皆さんも是非聴いてみて下さい。


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倉木麻衣公式ウェブサイトメールコーナーの画像

2005-02-16 01:18:00 | 音楽
mail2

これは倉木麻衣公式サイトのメールの
コーナーで使用されている画像。

2004年のライブツアーのものです。

麻衣さんが素敵。可愛いよね。

メールコーナーの画像も
前の画像どんなだっけ。

忘れちゃった。
僕もこのコーナーはあまり見ない。

将来この画像も変わるかも。
記念に収録しました。

公式ウェブサイト観られない人も、
こちらでどうぞ。



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2004年7月6日盛岡―倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-02-15 01:50:00 | 2007年までのライブの思い出

2004年7月6日(火)岩手県民会館
仙台の2日間のライブが終わり、翌日は移動日。倉木麻衣さんは車で移動なのかな。それとも前の日に移動しているとか。盛岡のライブ当日に移動したとか。スケジュールがよくわからない。僕は仙台パークホテル2を出て、仙台駅に向かいました。また、カレー屋に寄ったのかな。うまかった。
 仙台駅は、いろいろな美味しそうな店がたくさんあってよい。一度晩酌セットを注文したいと、以前から思っていたけれど、実現しないでいる。岩手のホテルは予約を入れてある。
 こんな移動日は僕はだいたい普通電車で移動するのだけれど、混雑に巻き込まれてもいやだなとか、なんとなく早く行きたい気分というか、その関係で新幹線で盛岡に向かいました。
 盛岡駅も久しぶりです。新幹線の終点が、八戸まで伸びてから、盛岡駅に行くのは初めてです。やはり以前に比べて、にぎやかさが低下した印象。駅前の様子などはよく覚えています。駅近くに大きな川がある。かなり流れが速い。盛岡駅で古本を売っていたので、東野圭吾さんの「鳥人計画」など2冊くらい買ったような。
 岩手県にはじめてきたのは、工藤静香さんの1991年のコンサートで、今回の倉木麻衣さんと同じ岩手県民会館。工藤静香さんでは、1992年、1993年にも来ています。また、青森県の十和田市でコンサートをやったとき、このブログでおなじみ、岩手県に住むOさんに車で盛岡までつれてきてもらい、盛岡で宿泊。
 その年、そのあと秋田県の湯沢市でコンサートがあり、またOさんに車で、北上市の江釣子の近くの健康ランドにつれてきてもらい宿泊。そのときは盛岡名物冷麺をつまみに冷酒を飲みました。
 一泊したあと、北上駅まで歩きました。専大北上高校の近くを通った。夜連れて来てもらい、全然土地勘のないところで、あとで地図で確認すると恐ろしいほど、鉄道の駅やバス路線を偶然避けるような形で歩いていたことがわかりました。
 そのあと、岩手県の花巻市民会館でコンサート。花巻市もちょっと変わった地形の都市。駅前があまりにぎやかでなく、人口の割りにぱっとしない街だと思いました。坂を下りていくとイトーヨーカドーがありました。何か買った記憶があるけれど、覚えていない。そこから、戻るとき、城跡のような公園を抜け反対側にでると、にぎやかな商店街がありました。その先は線路を越えていき、ずっと先に花巻市民会館がありました。入り口に酒屋のような店があり、買い物しました。
 会場は小さな公園のようになっていて、薄曇で外にいたら、日に焼けてしまった。花巻のコンサートの翌日は仕事で、東京に戻らなければなりません。花巻から東京方向へ行く電車だと、途中どまりでその先電車がなく、いったん盛岡まで戻り、上野行きの寝台特急に乗りました。そのとき以来の岩手県になります。
 盛岡にはじめてきたとき、この倉木麻衣ライブの思い出シリーズの仙台の駅周辺で一夜を明かしたあとで、そのときは普通電車で盛岡へ来ました。工藤さんのその年のスケジュールは、仙台、1日開いて、盛岡、青森、1日開いて札幌。僕は自分を悪く考えすぎて、行こうと思えばいけたのに、その年札幌には行かなかった。今考えるとちょっと悔やむ。でもあとではなしを聞くとその年の札幌のコンサートはいろいろ問題があったようだった。どんなことかは内緒。
 工藤さんは仙台のあといったん東京に戻ったらしい。コンサート当日新幹線で盛岡へ。同じ新幹線のグリーン車に故宜保愛子さんや金田正一さんが乗っていたそうだ。僕は貧乏なころなので、真直ぐ盛岡へ来て、サウナに宿泊した。1日前からきていた。街の中に3階建てくらいのビルがあり、本屋だったか。レコード屋(当時CD屋があったかな、覚えてない)の3階で翌日の工藤さんのコンサートのチケットを売っていたので買ったら、3階席最後列だった。
 会場は駅から真直ぐ行き、かなり歩きお城のところで左に行くとわかりやすい。1階に喫茶コーナーがあり、裏に人工的に作った小さい山がある。山の上には東屋がある。道路を隔てて横は川。1991年のころといえば、当時よくコンサートに来ていたひげの剃り跡の目立つ男性ファンがよく来ていたけれど、その翌年くらいから見なくなった。名前も知らないけれど、もしかすると常連の一人かなと思うけれど、元気かな。
 青山スパイラルの工藤さんの最初の絵の個展くらいまでは来ていたんだが、その後見かけない。
 長くコンサートに行っていると以前頻繁にコンサートに来ていたファンが、一人、また一人とだんだんコンサートに来なくなってくる。ちょっとさびしい感じがする。しょうがないけれど、顔を頻繁に合わせているわりに、名前も知らない人もいたし、自己紹介くらいすればよかったなと思う。ファンを止めてしまった人もいるだろうし、就職や結婚を期にコンサートに来る回数が減ったファンもいるだろう。だんだんファンの年齢が上がってくると1年ごとに見かけなくファンが増えるけど仕方ない。でも1回のツアーで頻繁に顔を合わせていた人が、次のツアーからばったり顔を見せなくなるのは、見ていてさびしく感じてしまう。
 このブログ見ている人でかつてのファンの方よかったら連絡してね。僕も人の顔おぼえるのが苦手で、自己紹介して、そのとき、いつぐらいにどこの会場で僕と顔を合わせたか教えてくれるとありがたい。思い出せなかったらごめんなさい。
 川向こうの少し先に富士銀行の支店があった。お城に近いところにも養老の滝があったはず。2004年に行ったときはわからなかった。駅の向かいに階段を下りたところに、ちょっと埃っぽい店があり、おじいさんが店をやっていた。夜行ったらご飯がないというので、ナポリタンを注文した。今その店はなくなった。
 川が見えるところのビルの上の階に終夜営業のレストランがあったような気がするけれど、ずっと盛岡だと思っていたけれど、盛岡じゃなかったかもしれない。
 1993年のときこのブログでおなじみ、Tさんも来ていて、一緒ににぎやかな通りのラーメン屋で食事をした。2004年の倉木さんのライブで来たとき、そこの店を探したけれど、ラーメン屋が数軒あり、どのラーメン屋かわからなかった。
 1993年の盛岡のコンサートといえば僕は最前列ど真ん中だった。キョードーで取ったチケット。僕は工藤静香さんのコンサートに通算137回行っているが、そのうち10分の一くらいが最前列。ただ、端のほうが多い。1993年の東北は、仙台、盛岡、青森と3ヶ所連続最前列だった。いずれも地方プロモーターの会員優先予約。青森はコルクボードだった。
 仙台、青森はやや端よりだったけれど、盛岡は最前列のど真ん中。工藤静香さん、森高千里さん、浜崎あゆみさん、倉木麻衣さん、あわせて194回のコンサート・ライブで唯一のど真ん中。1994年の大阪城ホールも最前列で、真ん中よりだったけれど、ステージがすごく高く、工藤さんのラストコンサートの富山県の朝日サンリーナも最前列で真ん中よりだけど、ステージが少し遠い。
 ステージが近く、ステージが普通の高さで最前列。ど真ん中。今まででたった1回。思い出のコンサート。すごくうれしかった。握手は何度もしてもらっているけれど、このときもしてもらった。コンサート中で、ステージの工藤さんと握手したのはこの1回だけ。この日、皇太子ご成婚で祝日になった日だった。ものすごく素晴らしい思い出になっている。
 名古屋のコンサートに来ていた、四日市市出身の女性ファンも来ていた。コンサートのあと、他の人の付き合いでちょっと寝るのが遅くなった。そんなに大して遅くなったわけでもないけれど、翌日朝9時過ぎに盛岡駅に行った。他の女性ファンも何人も来ていた。澤近さんなどバンドのメンバーは見かけたけれど、工藤さんが来ない。そして何より、追っかけに大きなウエイトを置いているTさんを見かけない。変だと思い、工藤さんと同じ新幹線に乗るのは諦め、他のファンも諦めて新幹線に乗り東京(当時上野だっけ?)へ向かいいなくなり、うつろな気持ちで一人新幹線に乗り僕も東京に向かった。せっかく前日が素晴らしい思い出になったので、ちょっと自分の”つき”の中途半端さに悲しくなった。
 電車の切符は、皇太子御成婚記念のフリー切符で、余分な料金は要らず、新幹線を含め何度でもJRの電車に乗れる。東京に戻った僕はその日1日まだ切符が使えるので、追っかけ失敗のやけくそで、上越新幹線などに乗っていました。
 僕はその年のツアーで、皇太子御成婚記念のフリー切符を2回使用したけれど、他のファンもだいたいこの切符を使用していた。家に帰るとTさんから電話があり、工藤さんは、朝9時くらいの早めの新幹線で東京に帰ったらしい。Tさんと工藤さんの移動の情報を知っているらしい女性ファングループはその新幹線で東京に戻ったようだ。僕もあと10分早く行けば同じ新幹線に乗れた。
 工藤さんはそのあと東南アジアツアーに行った。僕は行かなかったけれど、テレビの歌番組(ベストテンかなにか)で、東南アジアから中継で工藤さんは歌っていた。
 青森県の十和田市でコンサートをやったあと、Oさんに車で盛岡まで連れて来てもらい、駅前のカプセルホテルに宿泊した。Oさんも競馬をやり、トウケイニセイやモリユウプリンスの話、菅原勲騎手の話、共通の話題があった。Oさんは長い工藤ファン、その際は、お世話になりました。この場を借りてお礼を言います。ありがとうございました。
 盛岡に来るのはそのとき以来。7~8年ぶりくらいだと思う。前日に盛岡着。川の近くに行き、川を眺めていたけれど、ここの川は流れが速い。しばらくして、予約してあったホテルに行く。
 宿泊先は、盛岡ニューシティホテル。ホテルにいるときはだいたいパソコンをやっていた。夕食は駅ビルの地下のレストラン街に行きハンバーガー屋で食事。コンビニで買い物して、ホテルへ戻る。そのあともだいたいパソコンをやっていた。       朝はバイキング。今回のツアーで朝バイキングはここだけ。でも料理も多く、なかなか美味しかった。少し遅めに行ったけれど、まだ料理もたくさんあり、もっとたくさん食べればよかった。遠慮してしまった。なかなかよいホテルでした。
 ホテルを出て、帰りの予定を考える。翌日また仕事なので、どうやって帰るか。盛岡で一泊する方法や仙台行きの最終新幹線には間に合いそうなので、仙台で一泊するとか考えたけれど、時刻表を見ていて長距離バスを利用することを思いついた。 盛岡駅を22時40分(ライブのアンケートには30分と書いた記憶があるけど間違い)に出て、東京駅八重洲南口に朝6時着。時間にも無理がなく、料金的にも安い。
 僕のライブ・ツアー史上初めてハイウエイバスを使用することになった。切符を買った。お昼近くになりまた駅前の地下のレストラン街で食事。今度はとんかつの定食。少し値段の高いやつ。ほかにも美味しそうなものがいっぱい。まだ時間があるので、駅前のサウナへ行く。中でかき氷を食べる。
 少し早めに会場に行くことにした。会場は久しぶりで以前きたときとあまり変わらない。1階に喫茶コーナーがある。
裏に人工の山もある。川のほうを見ると犬を連れて歩く人が多い。近くのコンビニで飲み物を買い飲む。しばらく会場にいたけれど、お城の跡に行ってみることにした。座って読書をしたり、回りの景色を見て時間をつぶし、開場時刻を過ぎてから会場へ。物販の人はやはり美男美女が多いという印象。
 今日の席は、1階席19列目52番。ライブはもちろんすごく楽しかった。麻衣さんがかわいらしくて素敵。正直なところ、仙台は単独ライブ100回ということで麻衣さんもうれしそうだったけれど、僕は盛岡のほうがずっとよかったと思う。すごく僕とって楽しいライブだった。麻衣さんに会えるとうれしい。
 麻衣さんはこのあとどうしたんだろう。ずっと東北かな。このころの麻衣さんのライブ日誌、メンバー紹介などはあるけれど、どこかに遊びに行ったとかあまりそういう記事がない。ご馳走を前にした麻衣さんは素敵で僕は大好きなんだけれど、このころの麻衣さんライブ以外でも忙しかったのかな。もしかすると大学のレポートとか。麻衣さん頑張って。
 でもライブではそれを感じさせない。麻衣さんも楽しんでくれていると思う。うきうきで楽しそうな麻衣さん、すごく素敵。会っても会ってもまた麻衣さんに会いたくなるよ。いつも一緒にいたい。もうライブも終盤。1回1回もっと麻衣さんを身近に感じていたかった。
 ライブが終わり真直ぐ駅へ行く。駅のところの松屋で食事。ココナツカレーを食べる。駅のパン屋でいくつかパンを買い、飲み物も自販機で買い、バスに乗りました。
 僕の取った指定席は、最前列の真ん中の狭くて窮屈な席だったけど、あまり混雑していなかったので席を移動。快適で、東京に着くまでほとんど寝てました。一度家に帰り、そのあと仕事のため出勤。

(注意)盛岡の2004年倉木麻衣さんのライブの思い出ですが、少し記憶がいい加減なとこがあり、内容はあっていますが、順番が入れ違ってる記憶があるかもしれません。サウナは前日行ったような記憶もある。違っていたらごめんなさい。


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Music Freak Magazine2vol.123-倉木麻衣さんの記事

2005-02-15 00:05:22 | Music Freak Magazine

Music Freak Magazine2vol.123が到着しました。
今月号は倉木麻衣さんの記事が大変少ない。

TOPICSのコーナーに
倉木麻衣ヒストリー展福井の情報あり。

INFORMATIONのコーナーに
3.23発売新曲「ダンシング」の情報

見開きで大きな倉木麻衣の広告ページあり。
麻衣さん可愛いな。

最近倉木麻衣情報少ない。
さびしい。

麻衣さんに会いたいよ。
いつも一緒にいたい。
大好き。

麻衣さんライブやってね。


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倉木麻衣さんの麻衣ブーム

2005-02-14 03:37:00 | 本と雑誌

 J-groove magazine2005年03号に
倉木麻衣さんのマイブームの
記事が掲載されています。

麻衣さんがはまっているものは、
スタンプ&パウダーだそう。

年賀状やカードに
パウダーをかけて、
ドライヤーで温めると、
モコモコモコになるそう。

麻衣さんも楽しんでいるらしい。


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倉木麻衣さん10位

2005-02-13 05:29:00 | 各種情報

最近CDTVのスペシャルで「恋人にしたいアーティストランキング」が発表されたらしい。情報に疎い僕は知りませんでした。
他の人のブログを見ていたら、そのことが出ていて、ちょっと調べて、そのランキングを掲載します。

1位 大塚愛
2位 あゆ
3位 持田香織
4位 矢口真里
5位 あやや
6位 aiko
7位 上戸彩
8位 BoA
9位 安倍なつみ
10位 倉木麻衣

11位 柴咲コウ
12位 石川梨華
13位 中島美嘉
14位 後藤真希
15位 宇多田ヒカル
16位 安室奈美恵
17位 高橋愛
18位 木村カエラ
19位 玉置成実
20位 平原綾香

21位 倖田來未
22位 藤本美貴
23位 島谷ひとみ
24位 misono
25位 加護亜依
26位 一青窈
27位 紺野あさ美
28位 小倉優子
29位 伴都美子
30位 亀井絵里
31位 Sowelu

32位 愛内里菜
33位 melody.
34位 辻希美
35位 MIYU(ZONE)
36位 松田聖子
37位 hiro
38位 松たか子
39位 椎名林檎
40位 吉澤ひとみ

41位 上原多香子
42位 鬼束ちひろ
43位 UKI
44位 hitomi
45位 ソニン
46位 MAIKO(ZONE)
47位 市川由衣
48位 安良城紅
49位 深田恭子
50位 SAYAKA

51.田中れいな 52.夏川りみ 53.坂井泉水(ZARD) 54.道重さゆみ 55.YUKI 56.小松未歩 57.川瀬智子(the brilliant green) 58.鈴木亜美 59.AKINA 60.矢井田瞳 61.インリン・オブ・ジョイトイ 62.若槻千夏 63.小野真弓 64.TOMOKA(ZONE)  65.新垣里沙 66.星井七瀬 67.MIZUHO(ZONE) 68.片瀬那奈  69.安倍麻美 70.椎名へきる 71.Lina(MAX) 72.柴田淳 73.森高千里 74.国仲涼子 75.大黒摩季 76.三枝夕夏(三枝夕夏 IN db)  77.中澤裕子 78.乙葉 79.金城綾乃  80.柴田あゆみ(メロン記念日) 81.飯田圭織 82.yuri(move) 83.Reina(MAX) 84.華原朋美 85.Chara 86.相川七瀬 87.川嶋あい 88.観月ありさ 89.Fayray 90.広末涼子 91.Miz 92.吉村由美(PUFFY) 93.今井絵里子 94.知念里奈 95.santos anna(BON-BON BLANCO) 96.工藤静香 97.LISA 98.小柳ゆき 99.今井美樹 100.元ちとせ

倉木麻衣さんは10位だったそう。
ランキングを見ると4割弱知らない歌手、タレント。

このうちCD、DVDを買ったことがあるのは、12人。
4枚以上CD、DVDを買ったことがあるのは、4人。

工藤静香、森高千里、ZARD、
そして倉木麻衣さん。

現在一番持っているCD,DVDが多いのは、
倉木麻衣さん。当たり前。

僕が以前応援していた工藤静香さんや森高千里さんも
下のほうだけど、ランクインしている。

中島美嘉さんも13位。
妥当なのかどうか判断できない。

でも僕はこの手のランキングあまり好きじゃなくて。

僕個人的には、
1位倉木麻衣さん
2位キャスパーさん
3位中島美嘉さん

GIZAのスタッフも美男美女が多いけれど、
ランキングしてないね。
サテンドールもランキングしてない。

僕は倉木麻衣さんと結婚したい。
大好き。

後日(2/14)註
文章中「この手のランキングあまり好きじゃなくて」と
いう文章が出てきますが、
別に序列化を否定しているとか、
そういう意味ではありません。


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2004年7月4日仙台―倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-02-13 01:48:00 | 2007年までのライブの思い出

2004年7月4日(日)仙台サンプラザ
 ホテル昭和はなかなかよいホテルでした。ホテルを出て駅へ行き、駅横のJRの系列ホテルの前あたりで、携帯電話の倉木麻衣ファンクラブサイトで、倉木麻衣さんのライブ日誌を見る。11時過ぎくらいになり、食事。駅のところのレストランで、牛タンを食べる。なかなか美味しい。
 夜の宿泊をどうしようか考える。仙台は開演時刻、終演時刻とも早く、帰ろうと思えば東京に帰ることも出来る。前日だって仙台に宿泊せず、帰れたけれど、経費を考えホテルに宿泊。今日はどうするか。
 いったん東京に戻り、1日開き、盛岡の日あらためて東京から盛岡に向かう。あるいは、今日ライブが終わったら、盛岡へ向かい、そちらで宿泊。駅前のカプセルホテルを考えた。あるいはもう一泊仙台に宿泊するか。
 駅のところに座り考えていた。小さな子供が、話しかけてきた。飲んでいる清涼飲料水が、ぴりぴりして美味しくないといっていた。しばらく考え、結局今日も仙台で宿泊することにした。コインランドリーがありそうだということもあり、仙台パークホテル2というホテルに予約を入れる。
 街を歩きながら、午後2時過ぎくらいからホテルに向かう。駅の横のビルのところへ行くと、もしかすると近道かと思い、ビルの裏を回るけれど、行き止まり。少し戻ってビルの中を抜けることにした。そのとき、ビルの入り口に若い男が寝ていた。世界の平和を願って、ダイインをしていたのか、クレヨンしんちゃんの真似をして死体ごっこをやっていたのか、どちらだろう。僕は後者だと見た。
 のんびり、歩きながら街の様子を見ながら、ホテルにいったけれど、チェックインの時刻より、まだ早い。近くに自動販売機のコーナーがあり、そこに行くと珍しそうな飲み物をチェック。
 チェックインを済ますと、今回のツアーで初めてノートパソコンを持参したので、パソコンをやっていた。僕のノートパソコンは結構重いので、あまり日頃外に持ち歩かない。パソコンをしばらくやったあと、仙台サンプラザに向かう。国道45号線を東に行き、途中から南へ。また東に向かい会場へ。
 今日の席はオークションで買ったもの。2階席の端のほうだけれど、円形のホールなので、僕の席からも倉木さんがよく見える。ライブはもちろん楽しい。倉木さんにとって単独100回目のライブ、記念すべきライブ、倉木さんもうれしそうで、ちょっと舞い上がっているような。でも楽しい、思い出に残るライブでした。
 麻衣さんもデビューからかなり、ハイペースで、ライブやイベントをこなしてきた。感慨ひとしおなんじゃないかな。僕も麻衣さんと出会えて本当によかった。麻衣さんの幸せ心から祈ります。
 ライブが終わり、仙台駅経由でホテルに戻る。駅のところで、倉木さんのライブでもらう宣伝の紙、麻衣さんの顔写真の入っているものが捨てられていた。気分が悪い。捨てるのなら場所を考えてほしい。ホテル近くのコンビニにより、買い物。自販機コーナーでチェックしていたアルコールを買い、ホテルに戻る。
 あまり、言いたくないが一言。ホテルの部屋に戻ると明らかに何者かがパソコンに触った形跡があり。ホテルの人がなかに入り、偶然触れたのかな。そうでなければ、僕に対する嫌がらせのものすごさ、日本という国は本当に酷い国だ。ホテルの中に何者かが入り、僕のパソコンなど荷物に触れた気配があったのは、他のホテルでもあった。
 そのことだけが原因ではないかもしれないが、結局僕のパソコンはツアーのあと故障してしまい、8月にメーカーに依頼し、修理してもらった。データを移す作業などやらないうちに壊れたので、あとで困った。そういえばツアー中、8月ころまで、ウイルスがものすごかった。その点を除けば、仙台パークホテル2はなかなかよいホテルでした。
 部屋で軽く飲みながら、パソコンをやっていました。麻衣さんはどこに宿泊しているのかな。麻衣さんが気になるよ。大好き、いつも一緒にいたい。
 

 


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2004年7月3日仙台―倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-02-12 01:47:00 | 2007年までのライブの思い出

2004年7月3日(土)仙台サンプラザ
 仙台のライブは、当日新幹線で向かいました。この日も宿直勤務(新夜勤)明けでした。仙台というと新夜勤務明けが多い。各駅停車に乗って言ったことも以前何度かあったけど、今回は新幹線で早めに行きました。
 仙台というといろいろいわくつきのところです。僕は東京生まれ、大分育ちで、親は現在、千葉県在住。今僕は千葉県に住んでいるけれど、このライブ・ツアー中は、まだ東京に住んでいた。ところが、ご存知悪徳企業、日本郵政公社の連中を中心に僕が大分県育ちというのは嘘であるというデタラメな噂を流す人間が多く、学歴(大分県立国東高校卒、学習院大学卒)やほかのプライベートな問題(車の免許がない、運転しない、タバコ吸わない、ずいぶん以前ならともかく最近相当長くパチンコやっていない、独身、子供なし、今無職、メルマガ発行やっていない、年齢や生年月日は本当、などなど)でも、次々とデタラメな噂を撒き散らされ、日常生活に大きな支障がある。
  そしてその嫌がらせに、マスコミや政治家、一般市民まで協力し、それを僕の親も黙認、協力している。いくら本当のことを言っても、「嘘ばかりついている」呼ばわりされる。親の入っている宗教団体、創価学会員もそのデタラメな噂を元に僕に接してくる。
 将来を悲観せざるを得ないほど、今でも大きな影響を与えている。僕は、まさに映画「ドッグヴィル」のグレースのような立場にいる。グレース(僕)の本当のことよりもジェイソン(郵便局員やマスコミ、政治家、一般市民)の嘘をみんな本当だと思いたがる。それがドッグヴィル(日本社会)。グレースは最後に強い力により、解放されたが、僕にはそんな強い力はない。
 僕に関してデタラメな噂を撒き散らす郵便局員の中に、僕が宮城県出身または仙台市出身であるというデマを流すやつがいる。もちろん事実無根であり、それを主張するならば、ぜひ証拠を示してほしいものだ。証拠もなく、もし僕を嘘つき呼ばわりしているのなら、願望に基づいているだけであろう。僕勤務していた浅草郵便局の管理者・職員は組織・集団でデタラメな噂を撒き散らし、社会的に高く評価されていた。
 そして他の郵便局の職員やマスコミ、一般市民もそれを支援している。まさに日本は、腐りきった社会。僕が仙台に行ったのはコンサート・ライブ関係だけです。
 僕が初めて仙台に行ったのは、1991年のこと。宮城県民会館。このブログでおなじみTさんとはその年郡山で始めて顔を合わせていたけれど、話をしたのはここ仙台が初めて。僕は当日券売り場の3番目にいたけれど、Tさんはもう少し後ろ。当日券は3枚しかなく、最初の2人は、座席券だけれども2階席。僕は立ち見。4人目以降も、結局なかに入れたけれど席はわからない。
 僕は当日券の先頭で入場。1階席の最後方のど真ん中にいたけれど、後から女子高校生2人組がど真ん中に来たので、僕は一人分横。でもすごく観やすくてよかった。聞き耳を立てたわけではないけれど、女子高校生の話が聞こえてきた。工藤さんのことを「蟹」と呼んでいるらしく、「お父さんが、蟹は観るもんじゃない、食べるもんだといっている」という話をしていた。
 コンサートはすごく楽しかった。仙台へは、その後1992年、1993年に宮城県民会館。仙台国際センター、仙台市民会館。もそれぞれ1回ずつ来ている。宮城県民会館は、地下鉄勾当台公園駅から歩いていく。途中に和服を来た女性のいる喫茶店があり、会場を過ぎたところにハンバーガー屋がある。会場から通りをはさんだ向こう側の歓楽街の一角にカプセルホテルがあり、僕はよくそこに宿泊していた。
 その年、1991年だと思うけれど、駅周辺で一夜を明かした。2004年の倉木麻衣さんのコンサートで抜かれるまでこの年が、年間参加ライブ最多の年でした。2004年と違い、1991年は経済的に苦しかった。宿泊費をケチる目的で野宿することにしました。この日は昼は晴れていて、夕方雨、夜はには雨が上がりましたが、とにかく寒くてたまらない。駅外のベンチなどには寒くて長くいられない。改札のなかに待合室はあるようだけれど、そこにも人がいるようで、結局駅近くの吉野家で食事をしたり、今はずいぶん様子が違っていたけれど、駅右手の終夜営業の飲食店の前をうろついたり、明け方は階段に座って時間をつぶした。
 とにかく寒くて大変でした。コンサートが楽しかったのに、そのあとがきつくて余韻に浸れなかった。始発の電車が動き始めるころ、次の会場の盛岡に向けて普通電車に乗りました。
 仙台というともう一つ大きな僕に関するデタラメな噂があります。もちろん「犯罪の陰には郵便局員あり」で有名な郵便局員が流しているデマです。それは、僕がおにゃんこクラブのファンをやっていたとか、元おにゃん子クラブ会員の我妻佳代さんのファンをやっているというデマです。
 僕が工藤静香さんのファンになったのは、1989年の秋スペのころで、おにゃんこクラブ解散の後であり、僕はおにゃんこクラブのファンをやったことはなく、おにゃんこクラブがテレビで放送されていたころ、一度も番組を観たことはありませんでした。工藤静香さんのコンサートに行く中で、セブンティーンクラブ時代からの工藤ファンやおにゃんこクラブ時代からの工藤ファンと交流ができ、その人たちに教えてもらったため、僕も少しおにゃんこクラブについて知っていますが、ファンをやっていたわけではありません。
  おにゃんこクラブの会員で、我妻佳代さんという人がいました。宮城県に実家があり、家業は床屋さんだそうです。おにゃんこクラブ時代からの工藤静香ファンの何人かは、仙台で工藤さんがコンサートをやるとき、わざわざ我妻佳代さんの実家によって、整髪してもらっていました。僕は我妻佳代さんの実家に行ったことはなく、また宮城県のどこにあるか知りません。
 僕はおにゃんこクラブのファンをやっていたとか、元おにゃん子クラブ会員の我妻佳代さんのファンをやっているという話は、郵便局員が流しているデマです。
仙台に最後に来たのは、森高千里さんのコンサートで、場所は、2004年の倉木麻衣さんと同じ仙台サンプラザ。工藤さんで使用した会場は、すべて仙台駅の西側。仙台サンプラザは、仙台駅の東側になる。森高さんで来たときはこのブログでおなじみTさんも来ていました。
 仙台駅と仙台サンプラザの間のハンバーガ屋でTさんと食事をしました。仙台サンプラザの近くに榴ヶ岡という駅があり、終演時刻しだいでは、仙石線の電車を利用する可能性も考え、駅に時刻表を観に行きました。実際には歩いて仙台駅に戻り、同じ車両にはしませんでしたが、森高さんと同じ新幹線で東京に戻りました。仙台駅にいた森高ファンのグループが、とても紳士的だったことに好感を持ちました。
 2004年の倉木麻衣さんのライブ。新幹線は指定席だったのですが、いつものような状態です。僕に対する嫌がらせ、やはりJRが、組織的にかかわっているのか。仙台駅につくと駅の構内のカレー屋に行きました。お店も、店員もとても感じのいいお店でした。美味しく食べました。
 以前来たとき、駅に近いビルにサウナがあったのでそこに行ったのですがなくなっていました。駅東側にもサウナがあるようなのでそこに行ったらそこもつぶれていました。うろうろしながら、どこで時間をつぶそうか、どこに宿泊しようか、考えていました。
 結局駅周辺をうろうろしただけで、コインロッカーに荷物を預け、会場に向かいました。仙石線は以前森高さんで来たとき、地上にあったけれど、地下にもぐっていました。
仙台1日目、僕は前売りで、チケットを一枚取っていたけれど、立ち見で、立ち見も座席券より観やすい場合もあるけれど、早めに行って並ばないといけないし、つきまといの問題もあるけれど、それ以上にここの仙台は、整理番号の順番がかなりあと。長く並んでなかに入っても、場所がどこになるかわからず、期待薄。ここは珍しく、前売りでチケットを持っているのに、オークションでチケットを買いなおしました。今回のツアーで唯一です。定価より安く買ったのかな。前売りの分とあわせれば定価より高いけど。
 それでオークションで買い直した席が、3階席。麻衣さんから見ると中央より少し右だったと思う。3階席だけれど結構よかった。すごく楽しいライブでした。麻衣さんが大好き。
 麻衣さんも楽しんでくれているよう。うきうき麻衣さんが大好き。 
 ライブが終わり駅に戻り、カプセルホテルだと少し距離があるし、紹介所で、ホテルを見つけました。ホテル昭和というところで、アーケード街に面しています。チェックインのあと、近くのマクドナルドで食事をして、アーケードを歩いてみましたが、牛タンのお店が目立ちました。ホテルに戻り、ぐっすり眠りました。明日も麻衣さんに会えるのがうれしい。
 


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倉木麻衣さんが歌い終わりました。

2005-02-11 21:19:07 | テレビ番組

 第55回紅白歌合戦(再)、
倉木麻衣さんが歌い終わりました。
無事歌い終わってほっとしました。
 
 麻衣さんありがとう。

昨年12月31日の紅白のときより、
再放送のほうがいい感じ。

何度も観るとますます印象がよくなるかも。
でもまた録画しなかった。
 
麻衣さんは昨年のほうがよかった気がする。
NHKホールで緊張するところなんだろうね。

前回12月31日の放送のとき
やっぱり結構眠りながら観ていたらしく、
はじめて観たシーンもある。


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倉木麻衣さんの直筆メッセージ

2005-02-11 00:29:00 | ブログ・ダイアリ更新

mes

これは倉木麻衣公式ウェブサイトの直筆メッセージです。
倉木麻衣公式ウェブサイトが見られない方のために、
当ブログで勝手に紹介します。

倉木麻衣さんの場合、こんな手書きメッセージや
イラストも可愛らしくて。

麻衣さん大好き。


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『GIZA WAVE』

2005-02-10 01:58:00 | 音楽
GIZA studio information
テレフォンサービス
“GIZA WAVE”Check it out!!

GIZA studioに所属するアーティストの
情報が24時間聞けるテレフォンサービス
“GIZA WAVE”。

最新情報を聞くことができますので、
是非チェックして下さい。

『GIZA WAVE』
電話番号:06-6536-0111

倉木麻衣公式サイトからの情報です。


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2004年7月1日秋田―倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-02-09 01:00:00 | 2007年までのライブの思い出

2004年7月1日(木)秋田県民会館
 秋田市は以前ちょっと大舘市に行く途中によった程度で、駅の中をうろうろしただけで、よく知らない都市です。秋田県というと工藤静香さんのコンサートで、大館市と湯沢市にいっていまが、秋田市はありません。秋田市のコンサートは今回が初めてになります。
 初めて秋田市にいったのは、今から7~8年前だと思うけれど、はっきりしない。工藤静香さんの大館市のコンサート。大館駅は市外から少し離れていました。駅のところの食堂で食事をしました。駅からしばらく歩くと、スーパーマーケットや映画館などがあり、橋を渡り、しばらく行き、左手のほうへ向かい、秋北いうホテルの横を抜け、後ろ側へ行くと、大館市民会館があります。距離からすると、花輪線の東大館駅のほうが近いかもしれない。大館はこの地方の拠点都市という印象。
 このときは工藤静香さんのコンサート・ツアーのピークを過ぎていたころで、一年に10公演前後のころで、他のファンもコンサートにたくさん行きやすく、レギュラーファンのコンサート参加率は高くなっていて、どこの会場に行ってもおなじみのファンを見かけるという状態になっていました。
 東京近辺からもたくさんファンが来ており、僕の知人の岩手県に住むOさんも来ていました。一緒に近くのラーメン屋で食事をしました。
 このころの工藤静香さんの移動スケジュールは僕にはすごくわかりにくいものでした。僕はもともと情報通というわけではなく、ほとんど経験的な予測で、ツアー限定の追っかけをやっていましたが、はずれのときも多く、追っかけがうまく行かないときの、精神的、経済的、時間的な反動は大変でした。
 この大館のときは、仙台でコンサートをやったあと、大館というスケジュールだったと思いますが、僕は翌日の大館のコンサート当日に移動すると思っていました。ところが、仙台のコンサート当日にそのあと盛岡まで移動したようです。帰る予定で仙台駅にいたOさんは偶然見かけたそうです。やはり一部のファンには情報が漏れているらしく、工藤さんと一緒の新幹線で盛岡に移動したファンもかなりいたようです。
 僕は知らずに仙台のカプセルホテルに宿泊、翌日盛岡、花輪線経由で大館に向かいました。同じ電車には東京から来たらしい、別の工藤ファングループもいました。かなり東京あたりからたくさんファンが来ていました。Oさんは当日券でかなり前のほうの席のチケットを手に入れたようです。僕は前売りで少し後ろのほう。楽しいコンサートだったけれど、そのあとどうしたっけ。忘れてしまった。意外に古いコンサートツアーは覚えているのに、比較的新しいコンサートツアーのときが思い出せないことがある。
ちゃんと記録残せばよかった。
 このブログ秋田編を書く上で久しぶりに工藤静香さんの公式ウェブサイトを見ました。将来コンサートの記録など工藤さんの他のファンのホームページ管理者と連携して記憶・記録の補充をしていきたい。コンサートツアーの楽しさを共有して来た人は、今みんな何をやっているか知らないけれど、記憶を蘇らせつつと情報交換をしたいと思う。
 「工藤ファン」や「もと工藤ファン」が久しぶりに、工藤静香という共通点を元に再会し、情報を共有できたら、と考えています。サイトを見ていると近々、工藤さんが歌手活動を再開させるらしい。以前のあのポニーキャニオンと再契約したそう。僕はいろいろ立場上の問題があり、特に他のファンとの関係や、また今や倉木麻衣さんの大ファンという立場からは、もう工藤静香ファンに戻るつもりはないけれど、僕の一時代を支えてくれた工藤静香さんには、深く感謝すると同時に、これからも彼女の幸せを祈りたい。新曲も聴いてみたい。
 2回目に秋田に来たときは、湯沢市。札幌、1日開いて十和田、1日開いて湯沢、そのあと花巻、1日開いて仙台というこんなスケジュールだったかな。1998年くらいだと思うけれど、はっきりしない。記録にとっておけば。記憶がごちゃごちゃになってくる。反省。猛反省。
 湯沢駅で食事、というかハンバーガー屋さんがあったので食事、歩いて会場までいったけれど、かなり距離があった。きれいな街という印象。もうこのころは年間10公演前後ということで、ファンクラブで全会場のチケットが取れるし、レギュラーファンはほとんどパーフェクト参加が当たり前になってきた。数少ない静香さんと会えるチャンスを1回、1回大切にしようという気持ちが生まれる。
 あと何年工藤さんは歌手を続けてくれるだろう、いつに日にか参加したくても参加できないときが来るんじゃないか、行けるときに出来るだけ工藤さんのライブにも参加しておきたい。僕はそんなことを考えていた。でも結局僕のほうの事情でファンを止めてしまった。
 工藤静香ファン時代はそれはそれでとても楽しい思い出ですが、いろいろな反省点もあります。特に職場の嫌がらせと他のファンとの人間関係では、滅茶苦茶苦しみました。いまだに深く影響しています。反省を糧に倉木麻衣ファンとして活動しようと考えていますが、また同じ過ちを繰り返すかも。そうならならないように気をつける。相変わらず、僕に対する一方的な嫌がらせは酷いけれど、倉木麻衣さん大好き。麻衣さんに会いたいよ。
 2004年秋田市、ちょっと立ち寄る程度を除くとちゃんと秋田市に来るのは初めて。当日は新幹線「こまち」で東京を出る。こまちに乗るのは初めて。盛岡から先の新幹線からの車窓の景色ははじめて見ましたが、なかなか素晴らしいもの。秋田近辺の平野部の農村風景は印象に残りました。ただ7月最初の風景だし、冬はどんな感じだろう。
 秋田駅に着くとまず、駅のホームで立ち食いそばを食べる。改札をでて、宿泊するかどうか考える。翌日はまた東京で仕事なので東京に戻らないといけない。出来れば今日中に寝台列車でもいいから秋田を出たい。ライブの終演時刻からすると、ぎりぎり。間に合わなければ一泊するしかない。少しはなれたところにカプセルホテルもあるようだ。
 決まらないまま秋田の駅ビルをうろうろしていた。しばらくしてゆっくり会場へ向かうことにした。駅ビルを出ると西武デパートがあり、地下の飲食店街で食事。あまり聞かない麺類を食べた記憶あり。秋田だったかな。アイスも食べたような。のんびり歩きながら、会場へ向かう。30分くらい歩いたかな。
 会場の秋田県民会館は、千秋公園というところのなかにあるようだ。入り口の堀のところの石のベンチに座っていたら、あの複合スキーで有名なハンサムな荻原健二選手が選挙かなにかの車に乗っていました。今考えると別人だったかな。自信がない。調べると群馬の人のようだし。
 僕に対して手を振っていたのかな。選挙なら、他の人にも手を振るだろうけれど、何せ大阪で辻元清美さんとすれ違ったので、気になりました。
 僕は有名人なのでしょうか。もし有名人だとしてもどの程度の有名人なのでしょうか。、しかも有名人になったのは、何が原因で、どんなふうに有名になったのでしょうか。全然わかりません。一方的に嫌がらせをされていること、工藤静香ファン時代のこと、倉木麻衣ファンという点、それを除けば、うだつのあがらない、これといって個性のない、おとなしいお坊ちゃんというのが、世間的な僕に対する印象じゃないでしょうか。
 周囲の人間の自分に対する認識と僕自身の自分に対する認識にギャップが大きすぎるというのも、自分自身が社会的に他の人間とよい人間関係を築くのは大変です。特に僕対する周囲の人間の嫌がらせがすさまじく、僕自身かなり苦労している状況では、大きなハンデを背負わされている気分になります。
 そういえば荻原選手も選手時代好成績を挙げ、その後複合スキーは日本人に不利なルールが国際的に適用されるようになりました。荻原選手にせよ、他の人にせよ、出る杭というか、突出して好成績を残すとあとで条件が悪くなり、苦労することがあります。
 僕自身その意味の苦労もあるようで、現在の世の中では構造的に、正しい少数派が一番苦労するということを思い知らされます。
 ライブのチケットはオークションで買ったもの。秋田は早々と一般販売で完売になっていて、チケットが手に入るかどうか心配で早めにオークションでチケットを手に入れました。席は1階14列中ほど。その後前のほうのチケットも売りに出ていたけれど、気にしても仕方ない。ところが当日券も売っていました。倉木麻衣さんの場合、どの会場で当日券があり、どの会場では当日券がないのか、はっきりしません。
 工藤静香ファン時代の初期は僕はほとんど当日券で行っていましたが、一部の例外を除くとほとんど大半の会場で当日券が発売されていて、後ろのほうもあれば、キャンセル分らしい前のほうの席のこともあれば、当日券用にあけてあったのかと思うような比較的前のほうの1列の半分並びで当日券が発売されているところもありました。
 後ろの方から当日券が売られているところも2箇所ありました。当日券売り場の先頭の人が、当日券の一番後ろで、当日券売り場で2番目、3番目になるとだんだん前の席が売られるという感じです。
 当日券売り場の法則性はよくわかりません。倉木さんの場合、前売りの状況から考えて、当日券がありそうなところになく
て、当日券がなさそうなところにあったりします。あまり当日券のあるなしがあてにならないので、僕は当日券は買わないつもりです。少し高くてもオークションを利用するほうが確実にチケットが手に入る。
 ライブはとても楽しかった。すごくいいライブでした。ハプニングもありました。倉木麻衣さんが転んでしまったのです。足元の何かに躓いたようです。麻衣さんは転んでもぱっとすぐ立ち上がったので、わざとやっているのかと思いましたが、後日の麻衣さんのコメントを見るとどうもそうではないようです。運動神経がすごくよさそうだけれども、心配。痛くなかったのかな、麻衣さんも気をつけてください。
 麻衣さんのライブ日誌を見ると、「はたはた」のことが書いてある。僕はこんなおいしい食べ物を前にうれしそうな麻衣さんを見るのが大好き。はたはた美味しかったかな。僕は食べたことない。今度僕と一緒に食べてほしいな。キャスパーもはたはた好きかも。僕は麻衣さんと結婚したら僕、麻衣さん、キャスパーの3人ではたはた食べてみたい。
 麻衣さんもライブを楽しんでいるようでうれしい。麻衣さんが大好き。麻衣さんはこのあと仙台だし、しばらく東北ツアーが続くけれど、ずっと東北にいたのかな。観光地とか行って楽しんだのかな。それともホテルでも大学のレポートやってたりして。作詞もやってたのかな。麻衣さん可愛い。
 麻衣さんの力になりたい。つかいっぱしりでもいい。麻衣さんといつも一緒にいたい。
 僕はライブが終わるとタクシーで秋田駅に向かいました。どうやら寝台特急に間に合いそう。駅の売店で、食べ物や飲み物を買い込み、寝台特急に乗りましたが、上下段式個室の寝台特急で、階段で上り下りするもの。僕はこの形式の寝台特急は初めてでした。なかなか快適な寝台特急で、JRの車掌さんも親切でよかった。翌日朝、上野駅に着き、自宅へ戻り、そのあと宿直勤務(新夜勤務)、のため出勤しました。


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倉木麻衣2004年ツアーライブテレビ放送

2005-02-08 10:45:42 | テレビ番組

cap001

倉木麻衣さんの2004年のライブ・ツアーの
ファイナルのテレビ放送があった。

以前にも同じものが放送されていたと思うけど、
そちらは観ていない。

今回録画代行会社に依頼して録画してもらい、
家に届いたので早速観た。

ライブのDVDとどこがどう違うか
比較検討はしていない。

ファイナルのライブ映像と
ツアーエピソード。

ツアーエピソードの倉木麻衣さんは
本当に可愛い。

ライブのときがどちらかというと
硬い感じの表情なので、
ツアーを楽しんでいる倉木麻衣さんの
表情、笑顔、しぐさをの可愛らしさ、
麻衣さんのますます好きになる。

ハウステンボスで楽しむ麻衣さん、
可愛い。
オルゴールを作ったり。

麻衣さんがツアー中にライブ当日
歩いた公園というのは、
札幌の大通り公園なのかな。

僕もちょっといたけれど、
会わなかった気がする。
でも僕は目が悪いし・・・・・・。

ライブシーンも楽しい。
マイク・リーのステージでの
ノリノリの様子すごくいい。

楽屋でのジェフリー・クエストも
楽しいね。
僕は倉木麻衣さんと結婚したいけれど、
エクスペリエンスのメンバーとも
仲良くできると思う。

出待ちは僕は一度もやらなかったし、
でもやらなくてよかったと思う
。ああゆうイベント化されたファンの中の
一人として、倉木麻衣を愛し、
応援してるわけじゃないから。

でも、こんなことを言っていると、
ますます僕は疎外されたファンに
なっていくのかな。

普通のファンからみれば、
もしかすると麻衣さんから観ても、
僕は悪いファンのお手本かもね。

でも、麻衣さんが大好き。


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2004年6月29日大宮―倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-02-08 01:00:00 | 2007年までのライブの思い出

2004年6月29日(火)大宮ソニックシティ
 少し立ち直ってきました。当日はJRで大宮駅まで行きました。そのころ夜暑苦しい日が続き、家にはエアコンがあるものの、寝ているときの背中側に熱がたまって熱いので、その対策として、「熱さまし-と」という商品を買おうと思いました。薬局に行けばあるだろうと思いましたが、大宮は土地勘がそれほどあるほうではなく、それでも、大手スーパーの中には薬局もあるだろうと見当を付けていきました。近くにダイエーと丸井のはいっているビルがあり、そのなかに薬局がありましたが、考えていたこととちょっと違っていて、結局、「熱さまし-と」は買いませんでした。
 食品販売コーナーへ行くと美味しそうな食品が並んでいて、いくつか買って、食べました。1階のところに軽食喫茶の店があり、そこでも軽く、ホットドッグなど食べました。時間をつぶし、やはり、つきまとい対策で、ぎりぎりに会場に行きました。
 埼玉県のコンサートでは、過去に工藤静香さんで、大宮ソニックシティに何度か来ていて、サンシティ越谷に2回くらい、パストラル加須に1回、戸田市民会館に1回来ています。
 越谷というと1993年の工藤静香さんのコンサート・ツアーのスタートでした。スパイラル加須は、歩いて行ったけれど駅からすごく遠かった。帰りは、横浜に住む工藤静香ファンI(以下横Iさん)さんと一緒にタクシーで駅まで行きました。
 大宮ソニックシティにも何度か来ています。工藤静香ファン時代は、入り待ちや出待ちをやっていました。静香さんは自分の車を運転してきたこともあります。帰るときなど、ポルシェで、びゅ~んと出て行きました。速いものです。1995年以降の静香さんのコンサートは、戸田や加須だったと思うので、とにかく大宮ソニックシティのライブも久し振りです。駅を出てちょっと行ったところに立ち食いの蕎麦屋があったという記憶がありますが見当たりません。
 大宮ソニックシティの横の中華料理店でも食事をしたことがあります。なかなか美味しかった。
 以前工藤静香さんのラジオ番組で聞いたのか、はっきり覚えていませんが、コンサートを見たあと、お金を落としたのかどうかわからないけれど、お金がなくて電車に乗れず、自宅が岩槻のほうだけれど、コンサートのあと自宅まで歩いて帰ったというファンがいました。
 そういえば、僕も大阪の静香さんのコンサートに行く直前、自宅で財布をなくしてしまったことがありました。ほんのさっきまで手元に財布があったのに、どこかにうっかり置いてしまい、どこに置いたかわからず、大阪までの移動を考えるとそろそろ家を出ないといけないし、財布にはカード類も入っていて、その中にほぼ全財産が入っている状態。早く見つけないと、コンサートに行けない。あせってしまいました。結局そのときは財布が見つかりませんでした。
 急いで近くの郵便局に行き、通帳と印鑑でお金を下ろして、大阪に向かいました。何とか間に合いました。どこにしまいこんだのか財布は見つからず、カード類は再発行手続きをしました。財布の中には現金は少なかったのですが、当たり馬券が入っていました。払い戻せば3万円くらい。結局それから数年後、ひょっこり財布は部屋から出てきました。何度も探したはずのところから出てきました。払い戻しの有効期限が切れていたので、もう払い戻せませんでした。
 ライブのときはついうきうきしてしまい、ちょんぼをやりがちですが、気をつけましょう。
 大宮のライブはまずまずよかったです。久し振りに少し楽しめたような気がする。僕の問題は、もう僕に解決できるような段階を超えている。僕が悩もうが、苦しもうが、事実がどうだろうが、そんなことはお構いなく、凶悪な人間は、僕を不当に悪者にしたがっている。状況が悪くなったとしても、僕はそれなりに改善の手段を講じてきたし、僕が悪者にされるのは、明らかに不当だし、現実に僕が悪者にされることにより、僕を不当に悪者扱いしている人間が優遇されているという事実を見れば、僕が後ろめたく思う必要なんぞ全くない。
 僕を不当に悪者にしている人間は、社会的に高く評価されている人間や、優遇されている人間も多いから、僕の主張はなかなか通らないけれど、事実に照らせば、僕が悪者扱いされることにより、本当の悪者が善人として堂々と通用していることを目の当たりにすることになる。そしてそんな本当の悪者が、社会的に高く評価され、政治家や、マスコミ、日本郵政公社、出版、メルマガ関係者、公共交通機関、学生やサービス業などを中心とした一般市民などに強く支援される。
 もうライブツアーも終盤。こんなくだらないことにかかわってライブを楽しみそこなうのも嫌だなぁとおもう。麻衣さんも元気でのりのりのようだし、僕もライブを楽しまなきゃ。そのつもりでライブにきているんだし。
 麻衣さんのライブ日誌を観ると、麻衣さんのおばさんが大宮に住んでいるらしい。麻衣さんの子供のころのことが書いてある。麻衣さんが10歳ころ、大宮でおみこしにのったり、

小麦色に焼けた肌、赤い口紅を塗り、髪は二つお団子に結って、白いアサガオ柄の浴衣を着て…

小さいながらもおめかししていたらしい。猫と遊んだりしていたらしい。麻衣さん、可愛いね。麻衣さんの小さいころ可愛かっただろうなぁ。こんな麻衣さんを見ているとますます大好きになってしまう。麻衣さんに会いたい。
 楽しい余韻の残る大宮のライブでした。満足。
 


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倉木麻衣名古屋ヒストリー展リポート

2005-02-06 01:59:00 | ライブ・イベント帰り

名古屋(愛知県)
日時:2005年2月4日(金)~6日(日)10:00~20:00の3日間
場所:セントラルパーク イベントスペース パークスクエア
住所:愛知県名古屋市中区錦3-15-13先

2月4日より、名古屋でも倉木麻衣ヒストリー展が開かれています。
僕も2月5日行ってきました。

正直体調が悪くて、東京駅まで行く途中の駅で
降りて一休みしてしまった。

こんなことはめったになく、
日頃の不摂生を反省しました。

でも今日は本当に一日体調が悪かった。
健康管理しっかりやらないといけない。
参った。

9時半過ぎに東京を出る新幹線に乗り、
名古屋へ向かいました。

地図で確認したら、
2003年に倉木麻衣さんが、ライブをやった
愛知県立芸術劇場の近く。

中区錦というとわからなかったけれど、
愛知県立芸術劇場の近くならわかりやすい。

名古屋に着くと地下鉄東山線で、
栄まで行き、会場へ。

やはりミニパネルヒストリー展とは違う。

僕は渋谷HMVのミニヒストリー展のとき
間違ったことを書いたかもしれない。

J-groove magazineがあったとか
書いた記憶があるけれど、
あれファンクラブ会報だったかも。

ごめんなさい。
関係者の皆さん謝ります。

ミニヒス展はスタッフのいるところで
見られるようになっていたような気がするけど、
今度はガラスのショーケースに入っていた。

アナログ盤もおいてあった。
「明日に架ける橋、紅白ver.」、「Love,needing」
の譜面あり。必見。

ミニヒス展は写真撮影禁止のようだったけれど、
今度のヒストリー展は特にそんなことは
書いていないようだった。

僕はカメラは当分使用しないつもりなので、
手書きでちょこっとメモした。

衣装は3点。
京都学生祭典の衣装。
僕はこのライブは行かなかったけれど、
あとでライブDVDを観ると
スカートが短くて心配でした。

ファンクラブサイトなどでも
見られる紅白のときの衣装。
こらは実際見てみると、すごくいい。
可愛い。

Wish you the bestのライブツアー中
使用したジャンパー。
色がやはり麻衣さんらしい
白と黒。かっこいい。

麻衣さんと2ショットのコーナーあり。
行って楽しんでください。

麻衣さんに伝えるメッセージを
書くノートがあり、
麻衣さんに読んでもらえるそう。

CDも販売しています。

麻衣さんの自筆のメッセージもある。
ミニヒス展のときのものに加え
名古屋の皆さんへのもの。

イラスト、サインつきのメッセージ。

アルバムやシングルの解説文章が掲載。

一例。
「Fairy Tale」
おとぎ話を読んだあとのホットした時間に似た楽曲
こんなことが書いてあったような気がするが、
メモの字が汚くてごめん。だいたいこんなだと思うけど。

「 Love, Day After Tomorrow」では、
今度合う時はきちんと伝えられる自分でいたい

「Make my day」では
「自分の恋を見つめた繊細な歌詞を歌う」と書いてある。
この表現、珍しくないのかもしれないけれど
僕は・・・・・・。
「自分の恋」は、「麻衣さんの恋」だろうし、
僕は少し切ない気持ち。
でも麻衣さんのことはまだ諦めない。
麻衣さんが大好き。

バイオグラフィーもあるよ。

プロモーションビデオは、
今回は、「Love,needing」のみ。

僕はこの「Love,needing」のPVはあまり好きじゃない。
ただ、今回このPVだけ流したように、
麻衣さんはこの作品に対し、
強い思い入れがあるのだろう。

僕はまだこの作品に対する麻衣さんの心を
十分に感じ取ることが出来ていなくて、
僕の麻衣さんを感じる心も
まだ足りないのかなぁ。
足りないんだろうね。

きっとそのうち僕にももっと麻衣さんの
気持ちわかることができると思う。
わかりたい。

まじめそうなスタッフのお兄さんが、
緊張した様子で頑張っていました。
一人だった。

僕が行く前、お客は少なかったけれど、
僕が行ったころからお客がたくさん。
僕が帰るころはまたお客が減っていた。

でも僕としては、名古屋まで行って
よかったと思う。
楽しかった。

麻衣さん、スタッフの皆さんありがとう。

せっかく名古屋まで行ったので、
環状線の地下鉄に乗ってみようかと
思いましたが、体調がよくないので、
帰ることにしました。

真直ぐ、名古屋駅に向かい、
新幹線で東京へ。

時間もあったし、
映画を観ようかと思ったけれど、
体調不良で中止。

少しアルコールを飲めばいいかなと思い、
軽く飲みに行ったけれど、
食事は美味しかったけれど、
体調は改善せず。

不摂生がたたる。
本気でちゃんと健康管理しないと、
先々不安。

2005年もライブやってほしいな。
麻衣さんが大好き。

街へ出ると相変わらず、
つきまといが酷い。
裁判で決着をつけるにしても、
加害者側がはっきりしないと。
困ったもんだ。


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