かんたん

2004.12ブログ人でスタート、2014.10gooブログに転居。

2004年7月6日盛岡―倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-02-15 01:50:00 | 2007年までのライブの思い出

2004年7月6日(火)岩手県民会館
仙台の2日間のライブが終わり、翌日は移動日。倉木麻衣さんは車で移動なのかな。それとも前の日に移動しているとか。盛岡のライブ当日に移動したとか。スケジュールがよくわからない。僕は仙台パークホテル2を出て、仙台駅に向かいました。また、カレー屋に寄ったのかな。うまかった。
 仙台駅は、いろいろな美味しそうな店がたくさんあってよい。一度晩酌セットを注文したいと、以前から思っていたけれど、実現しないでいる。岩手のホテルは予約を入れてある。
 こんな移動日は僕はだいたい普通電車で移動するのだけれど、混雑に巻き込まれてもいやだなとか、なんとなく早く行きたい気分というか、その関係で新幹線で盛岡に向かいました。
 盛岡駅も久しぶりです。新幹線の終点が、八戸まで伸びてから、盛岡駅に行くのは初めてです。やはり以前に比べて、にぎやかさが低下した印象。駅前の様子などはよく覚えています。駅近くに大きな川がある。かなり流れが速い。盛岡駅で古本を売っていたので、東野圭吾さんの「鳥人計画」など2冊くらい買ったような。
 岩手県にはじめてきたのは、工藤静香さんの1991年のコンサートで、今回の倉木麻衣さんと同じ岩手県民会館。工藤静香さんでは、1992年、1993年にも来ています。また、青森県の十和田市でコンサートをやったとき、このブログでおなじみ、岩手県に住むOさんに車で盛岡までつれてきてもらい、盛岡で宿泊。
 その年、そのあと秋田県の湯沢市でコンサートがあり、またOさんに車で、北上市の江釣子の近くの健康ランドにつれてきてもらい宿泊。そのときは盛岡名物冷麺をつまみに冷酒を飲みました。
 一泊したあと、北上駅まで歩きました。専大北上高校の近くを通った。夜連れて来てもらい、全然土地勘のないところで、あとで地図で確認すると恐ろしいほど、鉄道の駅やバス路線を偶然避けるような形で歩いていたことがわかりました。
 そのあと、岩手県の花巻市民会館でコンサート。花巻市もちょっと変わった地形の都市。駅前があまりにぎやかでなく、人口の割りにぱっとしない街だと思いました。坂を下りていくとイトーヨーカドーがありました。何か買った記憶があるけれど、覚えていない。そこから、戻るとき、城跡のような公園を抜け反対側にでると、にぎやかな商店街がありました。その先は線路を越えていき、ずっと先に花巻市民会館がありました。入り口に酒屋のような店があり、買い物しました。
 会場は小さな公園のようになっていて、薄曇で外にいたら、日に焼けてしまった。花巻のコンサートの翌日は仕事で、東京に戻らなければなりません。花巻から東京方向へ行く電車だと、途中どまりでその先電車がなく、いったん盛岡まで戻り、上野行きの寝台特急に乗りました。そのとき以来の岩手県になります。
 盛岡にはじめてきたとき、この倉木麻衣ライブの思い出シリーズの仙台の駅周辺で一夜を明かしたあとで、そのときは普通電車で盛岡へ来ました。工藤さんのその年のスケジュールは、仙台、1日開いて、盛岡、青森、1日開いて札幌。僕は自分を悪く考えすぎて、行こうと思えばいけたのに、その年札幌には行かなかった。今考えるとちょっと悔やむ。でもあとではなしを聞くとその年の札幌のコンサートはいろいろ問題があったようだった。どんなことかは内緒。
 工藤さんは仙台のあといったん東京に戻ったらしい。コンサート当日新幹線で盛岡へ。同じ新幹線のグリーン車に故宜保愛子さんや金田正一さんが乗っていたそうだ。僕は貧乏なころなので、真直ぐ盛岡へ来て、サウナに宿泊した。1日前からきていた。街の中に3階建てくらいのビルがあり、本屋だったか。レコード屋(当時CD屋があったかな、覚えてない)の3階で翌日の工藤さんのコンサートのチケットを売っていたので買ったら、3階席最後列だった。
 会場は駅から真直ぐ行き、かなり歩きお城のところで左に行くとわかりやすい。1階に喫茶コーナーがあり、裏に人工的に作った小さい山がある。山の上には東屋がある。道路を隔てて横は川。1991年のころといえば、当時よくコンサートに来ていたひげの剃り跡の目立つ男性ファンがよく来ていたけれど、その翌年くらいから見なくなった。名前も知らないけれど、もしかすると常連の一人かなと思うけれど、元気かな。
 青山スパイラルの工藤さんの最初の絵の個展くらいまでは来ていたんだが、その後見かけない。
 長くコンサートに行っていると以前頻繁にコンサートに来ていたファンが、一人、また一人とだんだんコンサートに来なくなってくる。ちょっとさびしい感じがする。しょうがないけれど、顔を頻繁に合わせているわりに、名前も知らない人もいたし、自己紹介くらいすればよかったなと思う。ファンを止めてしまった人もいるだろうし、就職や結婚を期にコンサートに来る回数が減ったファンもいるだろう。だんだんファンの年齢が上がってくると1年ごとに見かけなくファンが増えるけど仕方ない。でも1回のツアーで頻繁に顔を合わせていた人が、次のツアーからばったり顔を見せなくなるのは、見ていてさびしく感じてしまう。
 このブログ見ている人でかつてのファンの方よかったら連絡してね。僕も人の顔おぼえるのが苦手で、自己紹介して、そのとき、いつぐらいにどこの会場で僕と顔を合わせたか教えてくれるとありがたい。思い出せなかったらごめんなさい。
 川向こうの少し先に富士銀行の支店があった。お城に近いところにも養老の滝があったはず。2004年に行ったときはわからなかった。駅の向かいに階段を下りたところに、ちょっと埃っぽい店があり、おじいさんが店をやっていた。夜行ったらご飯がないというので、ナポリタンを注文した。今その店はなくなった。
 川が見えるところのビルの上の階に終夜営業のレストランがあったような気がするけれど、ずっと盛岡だと思っていたけれど、盛岡じゃなかったかもしれない。
 1993年のときこのブログでおなじみ、Tさんも来ていて、一緒ににぎやかな通りのラーメン屋で食事をした。2004年の倉木さんのライブで来たとき、そこの店を探したけれど、ラーメン屋が数軒あり、どのラーメン屋かわからなかった。
 1993年の盛岡のコンサートといえば僕は最前列ど真ん中だった。キョードーで取ったチケット。僕は工藤静香さんのコンサートに通算137回行っているが、そのうち10分の一くらいが最前列。ただ、端のほうが多い。1993年の東北は、仙台、盛岡、青森と3ヶ所連続最前列だった。いずれも地方プロモーターの会員優先予約。青森はコルクボードだった。
 仙台、青森はやや端よりだったけれど、盛岡は最前列のど真ん中。工藤静香さん、森高千里さん、浜崎あゆみさん、倉木麻衣さん、あわせて194回のコンサート・ライブで唯一のど真ん中。1994年の大阪城ホールも最前列で、真ん中よりだったけれど、ステージがすごく高く、工藤さんのラストコンサートの富山県の朝日サンリーナも最前列で真ん中よりだけど、ステージが少し遠い。
 ステージが近く、ステージが普通の高さで最前列。ど真ん中。今まででたった1回。思い出のコンサート。すごくうれしかった。握手は何度もしてもらっているけれど、このときもしてもらった。コンサート中で、ステージの工藤さんと握手したのはこの1回だけ。この日、皇太子ご成婚で祝日になった日だった。ものすごく素晴らしい思い出になっている。
 名古屋のコンサートに来ていた、四日市市出身の女性ファンも来ていた。コンサートのあと、他の人の付き合いでちょっと寝るのが遅くなった。そんなに大して遅くなったわけでもないけれど、翌日朝9時過ぎに盛岡駅に行った。他の女性ファンも何人も来ていた。澤近さんなどバンドのメンバーは見かけたけれど、工藤さんが来ない。そして何より、追っかけに大きなウエイトを置いているTさんを見かけない。変だと思い、工藤さんと同じ新幹線に乗るのは諦め、他のファンも諦めて新幹線に乗り東京(当時上野だっけ?)へ向かいいなくなり、うつろな気持ちで一人新幹線に乗り僕も東京に向かった。せっかく前日が素晴らしい思い出になったので、ちょっと自分の”つき”の中途半端さに悲しくなった。
 電車の切符は、皇太子御成婚記念のフリー切符で、余分な料金は要らず、新幹線を含め何度でもJRの電車に乗れる。東京に戻った僕はその日1日まだ切符が使えるので、追っかけ失敗のやけくそで、上越新幹線などに乗っていました。
 僕はその年のツアーで、皇太子御成婚記念のフリー切符を2回使用したけれど、他のファンもだいたいこの切符を使用していた。家に帰るとTさんから電話があり、工藤さんは、朝9時くらいの早めの新幹線で東京に帰ったらしい。Tさんと工藤さんの移動の情報を知っているらしい女性ファングループはその新幹線で東京に戻ったようだ。僕もあと10分早く行けば同じ新幹線に乗れた。
 工藤さんはそのあと東南アジアツアーに行った。僕は行かなかったけれど、テレビの歌番組(ベストテンかなにか)で、東南アジアから中継で工藤さんは歌っていた。
 青森県の十和田市でコンサートをやったあと、Oさんに車で盛岡まで連れて来てもらい、駅前のカプセルホテルに宿泊した。Oさんも競馬をやり、トウケイニセイやモリユウプリンスの話、菅原勲騎手の話、共通の話題があった。Oさんは長い工藤ファン、その際は、お世話になりました。この場を借りてお礼を言います。ありがとうございました。
 盛岡に来るのはそのとき以来。7~8年ぶりくらいだと思う。前日に盛岡着。川の近くに行き、川を眺めていたけれど、ここの川は流れが速い。しばらくして、予約してあったホテルに行く。
 宿泊先は、盛岡ニューシティホテル。ホテルにいるときはだいたいパソコンをやっていた。夕食は駅ビルの地下のレストラン街に行きハンバーガー屋で食事。コンビニで買い物して、ホテルへ戻る。そのあともだいたいパソコンをやっていた。       朝はバイキング。今回のツアーで朝バイキングはここだけ。でも料理も多く、なかなか美味しかった。少し遅めに行ったけれど、まだ料理もたくさんあり、もっとたくさん食べればよかった。遠慮してしまった。なかなかよいホテルでした。
 ホテルを出て、帰りの予定を考える。翌日また仕事なので、どうやって帰るか。盛岡で一泊する方法や仙台行きの最終新幹線には間に合いそうなので、仙台で一泊するとか考えたけれど、時刻表を見ていて長距離バスを利用することを思いついた。 盛岡駅を22時40分(ライブのアンケートには30分と書いた記憶があるけど間違い)に出て、東京駅八重洲南口に朝6時着。時間にも無理がなく、料金的にも安い。
 僕のライブ・ツアー史上初めてハイウエイバスを使用することになった。切符を買った。お昼近くになりまた駅前の地下のレストラン街で食事。今度はとんかつの定食。少し値段の高いやつ。ほかにも美味しそうなものがいっぱい。まだ時間があるので、駅前のサウナへ行く。中でかき氷を食べる。
 少し早めに会場に行くことにした。会場は久しぶりで以前きたときとあまり変わらない。1階に喫茶コーナーがある。
裏に人工の山もある。川のほうを見ると犬を連れて歩く人が多い。近くのコンビニで飲み物を買い飲む。しばらく会場にいたけれど、お城の跡に行ってみることにした。座って読書をしたり、回りの景色を見て時間をつぶし、開場時刻を過ぎてから会場へ。物販の人はやはり美男美女が多いという印象。
 今日の席は、1階席19列目52番。ライブはもちろんすごく楽しかった。麻衣さんがかわいらしくて素敵。正直なところ、仙台は単独ライブ100回ということで麻衣さんもうれしそうだったけれど、僕は盛岡のほうがずっとよかったと思う。すごく僕とって楽しいライブだった。麻衣さんに会えるとうれしい。
 麻衣さんはこのあとどうしたんだろう。ずっと東北かな。このころの麻衣さんのライブ日誌、メンバー紹介などはあるけれど、どこかに遊びに行ったとかあまりそういう記事がない。ご馳走を前にした麻衣さんは素敵で僕は大好きなんだけれど、このころの麻衣さんライブ以外でも忙しかったのかな。もしかすると大学のレポートとか。麻衣さん頑張って。
 でもライブではそれを感じさせない。麻衣さんも楽しんでくれていると思う。うきうきで楽しそうな麻衣さん、すごく素敵。会っても会ってもまた麻衣さんに会いたくなるよ。いつも一緒にいたい。もうライブも終盤。1回1回もっと麻衣さんを身近に感じていたかった。
 ライブが終わり真直ぐ駅へ行く。駅のところの松屋で食事。ココナツカレーを食べる。駅のパン屋でいくつかパンを買い、飲み物も自販機で買い、バスに乗りました。
 僕の取った指定席は、最前列の真ん中の狭くて窮屈な席だったけど、あまり混雑していなかったので席を移動。快適で、東京に着くまでほとんど寝てました。一度家に帰り、そのあと仕事のため出勤。

(注意)盛岡の2004年倉木麻衣さんのライブの思い出ですが、少し記憶がいい加減なとこがあり、内容はあっていますが、順番が入れ違ってる記憶があるかもしれません。サウナは前日行ったような記憶もある。違っていたらごめんなさい。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Music Freak Magazine2vol.123-倉木麻衣さんの記事

2005-02-15 00:05:22 | Music Freak Magazine

Music Freak Magazine2vol.123が到着しました。
今月号は倉木麻衣さんの記事が大変少ない。

TOPICSのコーナーに
倉木麻衣ヒストリー展福井の情報あり。

INFORMATIONのコーナーに
3.23発売新曲「ダンシング」の情報

見開きで大きな倉木麻衣の広告ページあり。
麻衣さん可愛いな。

最近倉木麻衣情報少ない。
さびしい。

麻衣さんに会いたいよ。
いつも一緒にいたい。
大好き。

麻衣さんライブやってね。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする