かんたん

2004.12ブログ人でスタート、2014.10gooブログに転居。

2004年7月3日仙台―倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-02-12 01:47:00 | 2007年までのライブの思い出

2004年7月3日(土)仙台サンプラザ
 仙台のライブは、当日新幹線で向かいました。この日も宿直勤務(新夜勤)明けでした。仙台というと新夜勤務明けが多い。各駅停車に乗って言ったことも以前何度かあったけど、今回は新幹線で早めに行きました。
 仙台というといろいろいわくつきのところです。僕は東京生まれ、大分育ちで、親は現在、千葉県在住。今僕は千葉県に住んでいるけれど、このライブ・ツアー中は、まだ東京に住んでいた。ところが、ご存知悪徳企業、日本郵政公社の連中を中心に僕が大分県育ちというのは嘘であるというデタラメな噂を流す人間が多く、学歴(大分県立国東高校卒、学習院大学卒)やほかのプライベートな問題(車の免許がない、運転しない、タバコ吸わない、ずいぶん以前ならともかく最近相当長くパチンコやっていない、独身、子供なし、今無職、メルマガ発行やっていない、年齢や生年月日は本当、などなど)でも、次々とデタラメな噂を撒き散らされ、日常生活に大きな支障がある。
  そしてその嫌がらせに、マスコミや政治家、一般市民まで協力し、それを僕の親も黙認、協力している。いくら本当のことを言っても、「嘘ばかりついている」呼ばわりされる。親の入っている宗教団体、創価学会員もそのデタラメな噂を元に僕に接してくる。
 将来を悲観せざるを得ないほど、今でも大きな影響を与えている。僕は、まさに映画「ドッグヴィル」のグレースのような立場にいる。グレース(僕)の本当のことよりもジェイソン(郵便局員やマスコミ、政治家、一般市民)の嘘をみんな本当だと思いたがる。それがドッグヴィル(日本社会)。グレースは最後に強い力により、解放されたが、僕にはそんな強い力はない。
 僕に関してデタラメな噂を撒き散らす郵便局員の中に、僕が宮城県出身または仙台市出身であるというデマを流すやつがいる。もちろん事実無根であり、それを主張するならば、ぜひ証拠を示してほしいものだ。証拠もなく、もし僕を嘘つき呼ばわりしているのなら、願望に基づいているだけであろう。僕勤務していた浅草郵便局の管理者・職員は組織・集団でデタラメな噂を撒き散らし、社会的に高く評価されていた。
 そして他の郵便局の職員やマスコミ、一般市民もそれを支援している。まさに日本は、腐りきった社会。僕が仙台に行ったのはコンサート・ライブ関係だけです。
 僕が初めて仙台に行ったのは、1991年のこと。宮城県民会館。このブログでおなじみTさんとはその年郡山で始めて顔を合わせていたけれど、話をしたのはここ仙台が初めて。僕は当日券売り場の3番目にいたけれど、Tさんはもう少し後ろ。当日券は3枚しかなく、最初の2人は、座席券だけれども2階席。僕は立ち見。4人目以降も、結局なかに入れたけれど席はわからない。
 僕は当日券の先頭で入場。1階席の最後方のど真ん中にいたけれど、後から女子高校生2人組がど真ん中に来たので、僕は一人分横。でもすごく観やすくてよかった。聞き耳を立てたわけではないけれど、女子高校生の話が聞こえてきた。工藤さんのことを「蟹」と呼んでいるらしく、「お父さんが、蟹は観るもんじゃない、食べるもんだといっている」という話をしていた。
 コンサートはすごく楽しかった。仙台へは、その後1992年、1993年に宮城県民会館。仙台国際センター、仙台市民会館。もそれぞれ1回ずつ来ている。宮城県民会館は、地下鉄勾当台公園駅から歩いていく。途中に和服を来た女性のいる喫茶店があり、会場を過ぎたところにハンバーガー屋がある。会場から通りをはさんだ向こう側の歓楽街の一角にカプセルホテルがあり、僕はよくそこに宿泊していた。
 その年、1991年だと思うけれど、駅周辺で一夜を明かした。2004年の倉木麻衣さんのコンサートで抜かれるまでこの年が、年間参加ライブ最多の年でした。2004年と違い、1991年は経済的に苦しかった。宿泊費をケチる目的で野宿することにしました。この日は昼は晴れていて、夕方雨、夜はには雨が上がりましたが、とにかく寒くてたまらない。駅外のベンチなどには寒くて長くいられない。改札のなかに待合室はあるようだけれど、そこにも人がいるようで、結局駅近くの吉野家で食事をしたり、今はずいぶん様子が違っていたけれど、駅右手の終夜営業の飲食店の前をうろついたり、明け方は階段に座って時間をつぶした。
 とにかく寒くて大変でした。コンサートが楽しかったのに、そのあとがきつくて余韻に浸れなかった。始発の電車が動き始めるころ、次の会場の盛岡に向けて普通電車に乗りました。
 仙台というともう一つ大きな僕に関するデタラメな噂があります。もちろん「犯罪の陰には郵便局員あり」で有名な郵便局員が流しているデマです。それは、僕がおにゃんこクラブのファンをやっていたとか、元おにゃん子クラブ会員の我妻佳代さんのファンをやっているというデマです。
 僕が工藤静香さんのファンになったのは、1989年の秋スペのころで、おにゃんこクラブ解散の後であり、僕はおにゃんこクラブのファンをやったことはなく、おにゃんこクラブがテレビで放送されていたころ、一度も番組を観たことはありませんでした。工藤静香さんのコンサートに行く中で、セブンティーンクラブ時代からの工藤ファンやおにゃんこクラブ時代からの工藤ファンと交流ができ、その人たちに教えてもらったため、僕も少しおにゃんこクラブについて知っていますが、ファンをやっていたわけではありません。
  おにゃんこクラブの会員で、我妻佳代さんという人がいました。宮城県に実家があり、家業は床屋さんだそうです。おにゃんこクラブ時代からの工藤静香ファンの何人かは、仙台で工藤さんがコンサートをやるとき、わざわざ我妻佳代さんの実家によって、整髪してもらっていました。僕は我妻佳代さんの実家に行ったことはなく、また宮城県のどこにあるか知りません。
 僕はおにゃんこクラブのファンをやっていたとか、元おにゃん子クラブ会員の我妻佳代さんのファンをやっているという話は、郵便局員が流しているデマです。
仙台に最後に来たのは、森高千里さんのコンサートで、場所は、2004年の倉木麻衣さんと同じ仙台サンプラザ。工藤さんで使用した会場は、すべて仙台駅の西側。仙台サンプラザは、仙台駅の東側になる。森高さんで来たときはこのブログでおなじみTさんも来ていました。
 仙台駅と仙台サンプラザの間のハンバーガ屋でTさんと食事をしました。仙台サンプラザの近くに榴ヶ岡という駅があり、終演時刻しだいでは、仙石線の電車を利用する可能性も考え、駅に時刻表を観に行きました。実際には歩いて仙台駅に戻り、同じ車両にはしませんでしたが、森高さんと同じ新幹線で東京に戻りました。仙台駅にいた森高ファンのグループが、とても紳士的だったことに好感を持ちました。
 2004年の倉木麻衣さんのライブ。新幹線は指定席だったのですが、いつものような状態です。僕に対する嫌がらせ、やはりJRが、組織的にかかわっているのか。仙台駅につくと駅の構内のカレー屋に行きました。お店も、店員もとても感じのいいお店でした。美味しく食べました。
 以前来たとき、駅に近いビルにサウナがあったのでそこに行ったのですがなくなっていました。駅東側にもサウナがあるようなのでそこに行ったらそこもつぶれていました。うろうろしながら、どこで時間をつぶそうか、どこに宿泊しようか、考えていました。
 結局駅周辺をうろうろしただけで、コインロッカーに荷物を預け、会場に向かいました。仙石線は以前森高さんで来たとき、地上にあったけれど、地下にもぐっていました。
仙台1日目、僕は前売りで、チケットを一枚取っていたけれど、立ち見で、立ち見も座席券より観やすい場合もあるけれど、早めに行って並ばないといけないし、つきまといの問題もあるけれど、それ以上にここの仙台は、整理番号の順番がかなりあと。長く並んでなかに入っても、場所がどこになるかわからず、期待薄。ここは珍しく、前売りでチケットを持っているのに、オークションでチケットを買いなおしました。今回のツアーで唯一です。定価より安く買ったのかな。前売りの分とあわせれば定価より高いけど。
 それでオークションで買い直した席が、3階席。麻衣さんから見ると中央より少し右だったと思う。3階席だけれど結構よかった。すごく楽しいライブでした。麻衣さんが大好き。
 麻衣さんも楽しんでくれているよう。うきうき麻衣さんが大好き。 
 ライブが終わり駅に戻り、カプセルホテルだと少し距離があるし、紹介所で、ホテルを見つけました。ホテル昭和というところで、アーケード街に面しています。チェックインのあと、近くのマクドナルドで食事をして、アーケードを歩いてみましたが、牛タンのお店が目立ちました。ホテルに戻り、ぐっすり眠りました。明日も麻衣さんに会えるのがうれしい。
 


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