かんたん

2004.12ブログ人でスタート、2014.10gooブログに転居。

2004年7月1日秋田―倉木麻衣ライブツアーの思い出

2005-02-09 01:00:00 | 2007年までのライブの思い出

2004年7月1日(木)秋田県民会館
 秋田市は以前ちょっと大舘市に行く途中によった程度で、駅の中をうろうろしただけで、よく知らない都市です。秋田県というと工藤静香さんのコンサートで、大館市と湯沢市にいっていまが、秋田市はありません。秋田市のコンサートは今回が初めてになります。
 初めて秋田市にいったのは、今から7~8年前だと思うけれど、はっきりしない。工藤静香さんの大館市のコンサート。大館駅は市外から少し離れていました。駅のところの食堂で食事をしました。駅からしばらく歩くと、スーパーマーケットや映画館などがあり、橋を渡り、しばらく行き、左手のほうへ向かい、秋北いうホテルの横を抜け、後ろ側へ行くと、大館市民会館があります。距離からすると、花輪線の東大館駅のほうが近いかもしれない。大館はこの地方の拠点都市という印象。
 このときは工藤静香さんのコンサート・ツアーのピークを過ぎていたころで、一年に10公演前後のころで、他のファンもコンサートにたくさん行きやすく、レギュラーファンのコンサート参加率は高くなっていて、どこの会場に行ってもおなじみのファンを見かけるという状態になっていました。
 東京近辺からもたくさんファンが来ており、僕の知人の岩手県に住むOさんも来ていました。一緒に近くのラーメン屋で食事をしました。
 このころの工藤静香さんの移動スケジュールは僕にはすごくわかりにくいものでした。僕はもともと情報通というわけではなく、ほとんど経験的な予測で、ツアー限定の追っかけをやっていましたが、はずれのときも多く、追っかけがうまく行かないときの、精神的、経済的、時間的な反動は大変でした。
 この大館のときは、仙台でコンサートをやったあと、大館というスケジュールだったと思いますが、僕は翌日の大館のコンサート当日に移動すると思っていました。ところが、仙台のコンサート当日にそのあと盛岡まで移動したようです。帰る予定で仙台駅にいたOさんは偶然見かけたそうです。やはり一部のファンには情報が漏れているらしく、工藤さんと一緒の新幹線で盛岡に移動したファンもかなりいたようです。
 僕は知らずに仙台のカプセルホテルに宿泊、翌日盛岡、花輪線経由で大館に向かいました。同じ電車には東京から来たらしい、別の工藤ファングループもいました。かなり東京あたりからたくさんファンが来ていました。Oさんは当日券でかなり前のほうの席のチケットを手に入れたようです。僕は前売りで少し後ろのほう。楽しいコンサートだったけれど、そのあとどうしたっけ。忘れてしまった。意外に古いコンサートツアーは覚えているのに、比較的新しいコンサートツアーのときが思い出せないことがある。
ちゃんと記録残せばよかった。
 このブログ秋田編を書く上で久しぶりに工藤静香さんの公式ウェブサイトを見ました。将来コンサートの記録など工藤さんの他のファンのホームページ管理者と連携して記憶・記録の補充をしていきたい。コンサートツアーの楽しさを共有して来た人は、今みんな何をやっているか知らないけれど、記憶を蘇らせつつと情報交換をしたいと思う。
 「工藤ファン」や「もと工藤ファン」が久しぶりに、工藤静香という共通点を元に再会し、情報を共有できたら、と考えています。サイトを見ていると近々、工藤さんが歌手活動を再開させるらしい。以前のあのポニーキャニオンと再契約したそう。僕はいろいろ立場上の問題があり、特に他のファンとの関係や、また今や倉木麻衣さんの大ファンという立場からは、もう工藤静香ファンに戻るつもりはないけれど、僕の一時代を支えてくれた工藤静香さんには、深く感謝すると同時に、これからも彼女の幸せを祈りたい。新曲も聴いてみたい。
 2回目に秋田に来たときは、湯沢市。札幌、1日開いて十和田、1日開いて湯沢、そのあと花巻、1日開いて仙台というこんなスケジュールだったかな。1998年くらいだと思うけれど、はっきりしない。記録にとっておけば。記憶がごちゃごちゃになってくる。反省。猛反省。
 湯沢駅で食事、というかハンバーガー屋さんがあったので食事、歩いて会場までいったけれど、かなり距離があった。きれいな街という印象。もうこのころは年間10公演前後ということで、ファンクラブで全会場のチケットが取れるし、レギュラーファンはほとんどパーフェクト参加が当たり前になってきた。数少ない静香さんと会えるチャンスを1回、1回大切にしようという気持ちが生まれる。
 あと何年工藤さんは歌手を続けてくれるだろう、いつに日にか参加したくても参加できないときが来るんじゃないか、行けるときに出来るだけ工藤さんのライブにも参加しておきたい。僕はそんなことを考えていた。でも結局僕のほうの事情でファンを止めてしまった。
 工藤静香ファン時代はそれはそれでとても楽しい思い出ですが、いろいろな反省点もあります。特に職場の嫌がらせと他のファンとの人間関係では、滅茶苦茶苦しみました。いまだに深く影響しています。反省を糧に倉木麻衣ファンとして活動しようと考えていますが、また同じ過ちを繰り返すかも。そうならならないように気をつける。相変わらず、僕に対する一方的な嫌がらせは酷いけれど、倉木麻衣さん大好き。麻衣さんに会いたいよ。
 2004年秋田市、ちょっと立ち寄る程度を除くとちゃんと秋田市に来るのは初めて。当日は新幹線「こまち」で東京を出る。こまちに乗るのは初めて。盛岡から先の新幹線からの車窓の景色ははじめて見ましたが、なかなか素晴らしいもの。秋田近辺の平野部の農村風景は印象に残りました。ただ7月最初の風景だし、冬はどんな感じだろう。
 秋田駅に着くとまず、駅のホームで立ち食いそばを食べる。改札をでて、宿泊するかどうか考える。翌日はまた東京で仕事なので東京に戻らないといけない。出来れば今日中に寝台列車でもいいから秋田を出たい。ライブの終演時刻からすると、ぎりぎり。間に合わなければ一泊するしかない。少しはなれたところにカプセルホテルもあるようだ。
 決まらないまま秋田の駅ビルをうろうろしていた。しばらくしてゆっくり会場へ向かうことにした。駅ビルを出ると西武デパートがあり、地下の飲食店街で食事。あまり聞かない麺類を食べた記憶あり。秋田だったかな。アイスも食べたような。のんびり歩きながら、会場へ向かう。30分くらい歩いたかな。
 会場の秋田県民会館は、千秋公園というところのなかにあるようだ。入り口の堀のところの石のベンチに座っていたら、あの複合スキーで有名なハンサムな荻原健二選手が選挙かなにかの車に乗っていました。今考えると別人だったかな。自信がない。調べると群馬の人のようだし。
 僕に対して手を振っていたのかな。選挙なら、他の人にも手を振るだろうけれど、何せ大阪で辻元清美さんとすれ違ったので、気になりました。
 僕は有名人なのでしょうか。もし有名人だとしてもどの程度の有名人なのでしょうか。、しかも有名人になったのは、何が原因で、どんなふうに有名になったのでしょうか。全然わかりません。一方的に嫌がらせをされていること、工藤静香ファン時代のこと、倉木麻衣ファンという点、それを除けば、うだつのあがらない、これといって個性のない、おとなしいお坊ちゃんというのが、世間的な僕に対する印象じゃないでしょうか。
 周囲の人間の自分に対する認識と僕自身の自分に対する認識にギャップが大きすぎるというのも、自分自身が社会的に他の人間とよい人間関係を築くのは大変です。特に僕対する周囲の人間の嫌がらせがすさまじく、僕自身かなり苦労している状況では、大きなハンデを背負わされている気分になります。
 そういえば荻原選手も選手時代好成績を挙げ、その後複合スキーは日本人に不利なルールが国際的に適用されるようになりました。荻原選手にせよ、他の人にせよ、出る杭というか、突出して好成績を残すとあとで条件が悪くなり、苦労することがあります。
 僕自身その意味の苦労もあるようで、現在の世の中では構造的に、正しい少数派が一番苦労するということを思い知らされます。
 ライブのチケットはオークションで買ったもの。秋田は早々と一般販売で完売になっていて、チケットが手に入るかどうか心配で早めにオークションでチケットを手に入れました。席は1階14列中ほど。その後前のほうのチケットも売りに出ていたけれど、気にしても仕方ない。ところが当日券も売っていました。倉木麻衣さんの場合、どの会場で当日券があり、どの会場では当日券がないのか、はっきりしません。
 工藤静香ファン時代の初期は僕はほとんど当日券で行っていましたが、一部の例外を除くとほとんど大半の会場で当日券が発売されていて、後ろのほうもあれば、キャンセル分らしい前のほうの席のこともあれば、当日券用にあけてあったのかと思うような比較的前のほうの1列の半分並びで当日券が発売されているところもありました。
 後ろの方から当日券が売られているところも2箇所ありました。当日券売り場の先頭の人が、当日券の一番後ろで、当日券売り場で2番目、3番目になるとだんだん前の席が売られるという感じです。
 当日券売り場の法則性はよくわかりません。倉木さんの場合、前売りの状況から考えて、当日券がありそうなところになく
て、当日券がなさそうなところにあったりします。あまり当日券のあるなしがあてにならないので、僕は当日券は買わないつもりです。少し高くてもオークションを利用するほうが確実にチケットが手に入る。
 ライブはとても楽しかった。すごくいいライブでした。ハプニングもありました。倉木麻衣さんが転んでしまったのです。足元の何かに躓いたようです。麻衣さんは転んでもぱっとすぐ立ち上がったので、わざとやっているのかと思いましたが、後日の麻衣さんのコメントを見るとどうもそうではないようです。運動神経がすごくよさそうだけれども、心配。痛くなかったのかな、麻衣さんも気をつけてください。
 麻衣さんのライブ日誌を見ると、「はたはた」のことが書いてある。僕はこんなおいしい食べ物を前にうれしそうな麻衣さんを見るのが大好き。はたはた美味しかったかな。僕は食べたことない。今度僕と一緒に食べてほしいな。キャスパーもはたはた好きかも。僕は麻衣さんと結婚したら僕、麻衣さん、キャスパーの3人ではたはた食べてみたい。
 麻衣さんもライブを楽しんでいるようでうれしい。麻衣さんが大好き。麻衣さんはこのあと仙台だし、しばらく東北ツアーが続くけれど、ずっと東北にいたのかな。観光地とか行って楽しんだのかな。それともホテルでも大学のレポートやってたりして。作詞もやってたのかな。麻衣さん可愛い。
 麻衣さんの力になりたい。つかいっぱしりでもいい。麻衣さんといつも一緒にいたい。
 僕はライブが終わるとタクシーで秋田駅に向かいました。どうやら寝台特急に間に合いそう。駅の売店で、食べ物や飲み物を買い込み、寝台特急に乗りましたが、上下段式個室の寝台特急で、階段で上り下りするもの。僕はこの形式の寝台特急は初めてでした。なかなか快適な寝台特急で、JRの車掌さんも親切でよかった。翌日朝、上野駅に着き、自宅へ戻り、そのあと宿直勤務(新夜勤務)、のため出勤しました。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 倉木麻衣2004年ツアーライブ... | トップ | 『GIZA WAVE』 »
最新の画像もっと見る

2007年までのライブの思い出」カテゴリの最新記事