なんですってね。
NHKラジオ第二、日曜日午前10時からのカルチャー講演会を偶然に聴いて知りました。東京工業大学教授の天文学シュミレーションを専門にしている学者の興味深い話に思わず目を覚ましてしまいました。
かつて、火星人フィーバーで大失態を演じてしまった天文学者たちが、ほとぼりの冷めた今、太陽系以外の地球型惑星探査で大盛り上がりなんだそうです。とにかく、観測精度の飛躍的向上で、天の川銀河の中に続々と発見されているそうで、もう天文学者たちはウハウハなんだそうです。
水や酸素、葉緑体などが存在する可能性のある惑星が、数百・数千の勢いで発見されているそうです。が、大部分は、中心星が赤色矮星とか言われる、太陽とは異なる種類の恒星で、しかもその中心星のすぐ近くを同じ面を向けて公転しているとか、なかなか太陽系そっくりの惑星系は確率低いようです。
地球外生物に関する、エホバの証人の聖書研究者たちの意見は、何のぶれもありません。創世記の最初の部分で生じたエデンの園での反逆に対する神の解決策を考えるならば、この地球以外のどこかで人類と同じ文明が存在していることは、倫理的にあり得ないからです。
この点に関しては、「目ざこめよ!」誌、1990年4月8日号で大々的に特集されたことが記憶に残ります。以下は、その一部の抜粋です。私は、この説明で十分です。
他の惑星の生物についてはどうか
影響力のある宗教界の名士たちの中には,どんな世界でも神は目的もなく創造されることはないのだから,生物の住める世界にはすべて生物が存在するに違いない,と主張している人もいます。聖書がそう述べているのでしょうか。そうではありません。聖書は,これまでに神がこの地球以外の惑星上に肉体を持つ知的生物を創造されたことなどまずあり得ないと見てよいことを示唆しています。どうしてそう言えるでしょうか。
もし神がそのような者を本当に創造されたのであれば,アダムとエバを創造する前に創造されたことになります。そのような被造物は創造者にずっと忠実を保ったか,あるいはアダムやエバと同様,罪を犯して不完全になったかのどちらかです。
しかし,もしそれらの被造物が不完全になった場合,請け戻す者が必要になります。ある随筆家は,「金曜日[イエス・キリストが処刑された日]には毎週,宇宙のどこかでだれかの罪のためにイエスが高く掲げられる,というこの恐ろしい考えを抱いている人がいる」と言いました。しかし,それは聖書的ではありません。聖書の述べるところによると,イエスの死は「罪に関してただ一度かぎり遂げた死」でした。―ローマ 6:10。
それらの被造物が完全さを保っていたならどうでしょうか。アダムとエバが罪を犯したとき,それは事実上,肉体を持つ知的生物の世界を治める神の権利に疑問を投げかけるものとなりました。その当時,もし別の惑星が存在していたなら,神の支配のもとで調和よく忠節に生きていた,肉体を持つ知的生物で満ちていた世界は,神の支配が確かにうまくゆくことを証しする証人として喚問されたのではないでしょうか。神はまさにその論争において不完全な人間をさえご自分の証人として用いてこられたのですから,そういう結論は避けられないように思われます。―イザヤ 43:10。
ではそのことは,神がそれら無数の太陽(および,存在しているのであれば,惑星)を何の目的もなく創造したという意味なのでしょうか。決してそうではありません。イエス・キリストの特異性から考えて,この地球が今のところ宇宙で人の住む唯一の惑星であること,また地球は創造者がご自分の支配権の正しさを立証された惑星として永久に特異な存在となることも分かっていますが,将来どうなるかについては分かっていません。
NHKラジオ第二、日曜日午前10時からのカルチャー講演会を偶然に聴いて知りました。東京工業大学教授の天文学シュミレーションを専門にしている学者の興味深い話に思わず目を覚ましてしまいました。
かつて、火星人フィーバーで大失態を演じてしまった天文学者たちが、ほとぼりの冷めた今、太陽系以外の地球型惑星探査で大盛り上がりなんだそうです。とにかく、観測精度の飛躍的向上で、天の川銀河の中に続々と発見されているそうで、もう天文学者たちはウハウハなんだそうです。
水や酸素、葉緑体などが存在する可能性のある惑星が、数百・数千の勢いで発見されているそうです。が、大部分は、中心星が赤色矮星とか言われる、太陽とは異なる種類の恒星で、しかもその中心星のすぐ近くを同じ面を向けて公転しているとか、なかなか太陽系そっくりの惑星系は確率低いようです。
地球外生物に関する、エホバの証人の聖書研究者たちの意見は、何のぶれもありません。創世記の最初の部分で生じたエデンの園での反逆に対する神の解決策を考えるならば、この地球以外のどこかで人類と同じ文明が存在していることは、倫理的にあり得ないからです。
この点に関しては、「目ざこめよ!」誌、1990年4月8日号で大々的に特集されたことが記憶に残ります。以下は、その一部の抜粋です。私は、この説明で十分です。
他の惑星の生物についてはどうか
影響力のある宗教界の名士たちの中には,どんな世界でも神は目的もなく創造されることはないのだから,生物の住める世界にはすべて生物が存在するに違いない,と主張している人もいます。聖書がそう述べているのでしょうか。そうではありません。聖書は,これまでに神がこの地球以外の惑星上に肉体を持つ知的生物を創造されたことなどまずあり得ないと見てよいことを示唆しています。どうしてそう言えるでしょうか。
もし神がそのような者を本当に創造されたのであれば,アダムとエバを創造する前に創造されたことになります。そのような被造物は創造者にずっと忠実を保ったか,あるいはアダムやエバと同様,罪を犯して不完全になったかのどちらかです。
しかし,もしそれらの被造物が不完全になった場合,請け戻す者が必要になります。ある随筆家は,「金曜日[イエス・キリストが処刑された日]には毎週,宇宙のどこかでだれかの罪のためにイエスが高く掲げられる,というこの恐ろしい考えを抱いている人がいる」と言いました。しかし,それは聖書的ではありません。聖書の述べるところによると,イエスの死は「罪に関してただ一度かぎり遂げた死」でした。―ローマ 6:10。
それらの被造物が完全さを保っていたならどうでしょうか。アダムとエバが罪を犯したとき,それは事実上,肉体を持つ知的生物の世界を治める神の権利に疑問を投げかけるものとなりました。その当時,もし別の惑星が存在していたなら,神の支配のもとで調和よく忠節に生きていた,肉体を持つ知的生物で満ちていた世界は,神の支配が確かにうまくゆくことを証しする証人として喚問されたのではないでしょうか。神はまさにその論争において不完全な人間をさえご自分の証人として用いてこられたのですから,そういう結論は避けられないように思われます。―イザヤ 43:10。
ではそのことは,神がそれら無数の太陽(および,存在しているのであれば,惑星)を何の目的もなく創造したという意味なのでしょうか。決してそうではありません。イエス・キリストの特異性から考えて,この地球が今のところ宇宙で人の住む唯一の惑星であること,また地球は創造者がご自分の支配権の正しさを立証された惑星として永久に特異な存在となることも分かっていますが,将来どうなるかについては分かっていません。