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オフィス・ヤハのトホホな日々

エホバの証人の一プログラマが聖書研究と自転車の趣味等を徒然なるままに

宇宙の果て

2011年04月10日 | 聖書


    上の写真は、http://digimaga.net/2011/01/nasas-hubble-finds-most-distant-galaxyに掲載されていた、2011年1月27日14:00の記事からの借用です。表題は、「NASAのハッブル宇宙望遠鏡が132億年前に生まれた最古の銀河を発見」というものです。

    今日の「ものみの塔」研究記事でも冒頭に述べられていましたが、1905年当時は、宇宙には天の川銀河しか存在していなかったと思われていたのに、現在ではご覧の通りの、まるで万華鏡でも覗いているかのようなおびただしい数のきらめく銀河が130億光年以上の彼方に観察されているんですね。

    太古の昔から、マゼラン星雲などは人々に知られていましたが、まさかこんなに沢山の銀河があるなんてだれが予想できたでしょうか。「ものみの塔」の記事では、神の創造力を何と過小評価していたのでしょう、と訴えていました。


    「初めに神は天と地を創造された」(創世記1:1)。

という、聖書の最初の言葉は、単純にしてあまりにも明快な真理でした。同志社大学創設者、新島襄が、この創世記1:1の記述に感動してクリスチャンになったという話だったように記憶しています。

    宇宙は永遠なのか、それとも初めがあったのかといった論争は、1914年頃には科学者の間では決着を見ていたようですが、聖書はとうの昔に答えを提供していたのでした。

    水素原子一個をエネルギーに変換すると、地面に50m程の穴が開く程の爆発力になるとかいうことは、水素原子一個を創造するのにとてつもないエネルギーが必要ということで、増してや物質宇宙を創造するのにどれ程のエネルギーが必要だったか・・・




どこが悪いのか

2011年03月27日 | 聖書
    それにしても、ヨブと三人の慰め手の討論は首尾一貫して励まされないですね。ただ、ヨブの発言の内の最初の言葉、「わたしたちは[まことの]神から良いことだけを受けて,悪いことは受けないのだろうか」(2:10)と、最後の言葉、「わたしは息絶えるまで,自分の忠誠を自分から奪い去らない!」(27:5)だけは、燦然と輝いています。

    一体、どこが悪いのでしょうか。間違いないことは、60年代の「塔」の記事にも何度か指摘されていますが、ヨブが受けた災難が、神からの罰であったという前提で話が進められているということでしょう。

    単純な勧善懲悪の倫理観でヨブを裁いているエリパズたちは、全くの大間違いでした。たとえば、「いくらヨブに多少の罪があったとしても、愛ある全能の神が、こんなことをなさるだろうか」とか、「『神をのろって死ね』と言った妻こそ背教者なのに、その妻は元気で、忠誠を保とうと決意しているヨブが死にそうなのはおかしくないか」といった話題が一切聞かれなかったのは、彼らが真の神を知らないことを証ししているように思えます。

    一見、エホバを最高度に高めているようで、実は、エホバはヨブなど虫けらのようにしかご覧になられていない、といったような発言で、エホバを誤り伝えて恐ろしく低めているのは、いかにもバビロン的ですね。

    一方、ヨブに関しては、どのように応対すべきだったのでしょうか。「どこが悪いのか私に答えよ」と挑戦的になってしまったのは、確かにまずかったでしょう。これも、たとえば、「わたしには思い当たるとがは浮かびませんが、どこか神の不興を買う点があったのであれば、お許しください」とか、「私には理解できませんが、すべてはあなたがお許しになっている事ですから、忍耐する力をお与えください」とか言えれば良かったのでしょうかね。







巨大地震

2011年02月23日 | 聖書
    2004年12月26日と言われて、スマトラ沖地震と即座に答えられる人は少なくないだろう。津波による犠牲者は史上最悪だった。その後も、あの地域では毎年のように巨大地震が発生している。

    同じ年の10月23日には新潟中越地震が発生して、その衝撃冷めやらぬうちの、しかも年の瀬の押し迫った土壇場での出来事だった。

    最近では、昨年カリブ海のハイチや南米のチリでも巨大地震・津波が相次いで
発生している。

    聖書と地震など全然関係ないと思われるようだが、ちゃんとキリストの預言の中に、世の終わりと地震が関係付けられている。地震なんていつの時代にもあるではないか、それに自分の土地で起きなければ構うもんかと言って高をくくる人を、聖書研究者たちは、「山羊の惑星」という。

    マグニチュードが8を超えるような規模になると、地軸もずれるらしい。それでも人々はおびえない。地震発生のメカニズムが説明されているので、昔のように病的な恐れは抱かないのである。こういう現象を、ハングル語で「チジクッテモ ケンチャナヨ」と言う。

    チトワカランナ、セニョール!
    

    

    
    

違いが分かる単語チェック(あんそくび,あんそくにち,あんそく)

2011年02月16日 | 聖書
ネヘミヤ記 10:31-33   
    「安息日(あんそくにち,the sabbath day)に商品や色々な穀類を持って来て売ろうとするこの地の民については,わたしたちは安息日(あんそくび,the sabbath)または聖日には彼らから何も得ないし,また第七年とあらゆる手の負債を放棄する。

    32 それにまた,わたしたちはわたしたちの神の家の奉仕のために各自,年ごとにシェケルの三分の一を献じるおきてを自らに課したが,

    33 これは,重ねのパンと常供の穀物の捧げ物と安息日(あんそくび,the sabbaths)の常供の焼燔の捧げ物,新月のため,定められた祝いの食物と聖なるものと,イスラエルのために贖罪を行なう罪の捧げ物とのため,さらにわたしたちの神の家のすべての仕事のためであった」。

出エジプト記 16:22-30
  「そして六日目には,二倍のパンを,つまり一人に二オメルずつを拾った。それで集会の長たち全員はモーセのところに来てそのことを報告した。
  23 そこで彼は言った,「これはエホバの話されたことです。明日はエホバに対する聖なる安息(あんそく,a holy sabbath)として安息日(あんそくび,a sabbath observance(又は「安息日の祝祭(あんそくびのしゅくさい,a sabbatical fest))が守られます。焼くことのできるものは焼き,煮ることのできるものは煮て,余っているものはみな朝まで保存すべきものとして自分たちのために取って置きなさい」。
  24 そこで彼らはモーセが命じたとおりそれを朝まで取って置いた。それは臭くならず,その中にうじが生じることもなかった。
  25 それでモーセは言った,「それを今日食べなさい。今日はエホバに対する安息日(あんそくび,a sabbath)だからです。今日はそれを野で見つけることはできません。
  26 六日の間あなた方はそれを拾いますが,七日目は安息日(あんそくび,a sabbath)です。その日には少しも生じません」。
  27 それにもかかわらず,七日目にも民の中のある者たちは[それを]拾おうとして出て行くのであった。しかし少しも見いだせなかった。
  28 このためエホバはモーセに言われた,「いつまであなた方はわたしのおきてと律法を守ることを拒まねばならないのか。
  29 エホバがあなた方に安息日(あんそくび,the sabbath)を与えたことに注目せよ。そのゆえに六日目には二日分のパンを与えているのである。各々自分の所に座しているように。七日目にはだれも自分の場所から出てはいけない」。
  30 それで民は七日目に安息(あんそく,the sabbath)を守ることになった」。