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オフィス・ヤハのトホホな日々

エホバの証人の一プログラマが聖書研究と自転車の趣味等を徒然なるままに

今日の一句

2011年10月25日 | 聖書
    「るつぼは銀のため,炉は金のため。しかしエホバは心を調べる方」(箴言17:3)。


    心を調べる方である神にとって重要なのは,単なる外見ではなく,内面は実際にどのような人かということです。(箴 17:3; 24:12; 詩 17:3; サム一 16:7)それで,聖書は「守るべき他のすべてのものに勝ってあなたの心[内なる人全体]を守れ。命はそこに源を発しているからである」と助言しています。(箴 4:23)━━「洞察『心臓・心』」。


    箴言って、最初に読んだ時は、日めくりカレンダーの言葉じゃないかと思いますが、似て非なるものです。

    それにしても、人間社会において、外見やマナーや公の場での言葉遣いというものはとても大切ですが、それとは比較にならない程重要なのは内面の人となりなわけでした。なぜなら、内面の美しい人は、結局のところ真理を識別できるからです。そのような人が、必ずしも世の中で高く評価されるわけではありませんが、真の幸福に至る道を歩めるようになるのは、内面が清く真実を愛する人でなければならないからです。

    そのような人が真の神を見いだせれば、自己鍛錬を続けて、きっと外面も美しくなるに違いありません。

    今週は、巡回監督の訪問で、聖書通読の予定を前倒しで行なっていました。


サウロ・パウロ

2011年10月18日 | 聖書
    「神の王国について『徹底的な証しをする』」、88ページ脚注に、私の探究心が反応してしまいました。以下が私の結論ですが、多分これでいいと思います。



    「サウロ」=ギリシャ語綴り、Σαυλος(サウロス)。

    「とかげ(蜥蜴)」=ギリシャ語綴り、σαυρος(サウロス)。



    使徒パウロのヘブライ名、「サウロ」(英語綴り Saul)をギリシャ語式に発音するとサウロスのようですが、このサウロのギリシャ語綴りの四文字目のラムダ(λ、英語のアルファベットのエル(L)に対応)をロー(ρ、英語のアール(R)に対応)に置きかえると、トカゲを意味するギリシャ語になり、発音も日本語のカタカナ表記では区別のつかない「サウロス」となるようです。

    子供たちに人気の恐竜の名前に、「○○サウルス」とか、「○○ザウルス」というものが多いのは、この「トカゲ」のことですから、「使徒トカゲ」では、皆逃げちゃいますよね。

    

隅石

2011年10月09日 | 聖書

まずは、角の隅石(cornerstone)、長野県松本市、開智学校。




で、これが、土台の隅石(foundation cornerstone)でしょうか。


問題は、隅の頭(head of corner)なのですが、一応この辺にしておきます。


こっちのほうが、いいですね。沖縄県中頭(なかがみ)郡北中城(きたなかぐすく)村・中城(なかぐすく)村、中城城(なかぐすくじょう)。

本日のものみの塔研究記事「彼らはメシアを見つけた」2011/8/15,p12,prg4。






シナイ山

2011年09月18日 | 聖書



    エジプト脱出からシナイ山まで、三月以内。律法を与えられ、幕屋造営の後、シナイ山からカデシュまで、270kmを11日(申命記 1:2)。

    DAKARA、シナイ山を出発してからは、大人しく旅を続けていたら、二か月もあれば余裕で、約束の地へ到着できたはずです。イスラエルに求められたのはただ一つ、「従順」。

    ただし、自分が当事者だったなら、どう行動したかを考えるのはとても重要で、多分に食事の不満をつぶやいたか、カナン人と戦うのを恐れたかどちらかの確率が高いでしょう。





系外惑星フィーバー

2011年08月22日 | 聖書
なんですってね。

    NHKラジオ第二、日曜日午前10時からのカルチャー講演会を偶然に聴いて知りました。東京工業大学教授の天文学シュミレーションを専門にしている学者の興味深い話に思わず目を覚ましてしまいました。

    かつて、火星人フィーバーで大失態を演じてしまった天文学者たちが、ほとぼりの冷めた今、太陽系以外の地球型惑星探査で大盛り上がりなんだそうです。とにかく、観測精度の飛躍的向上で、天の川銀河の中に続々と発見されているそうで、もう天文学者たちはウハウハなんだそうです。



    水や酸素、葉緑体などが存在する可能性のある惑星が、数百・数千の勢いで発見されているそうです。が、大部分は、中心星が赤色矮星とか言われる、太陽とは異なる種類の恒星で、しかもその中心星のすぐ近くを同じ面を向けて公転しているとか、なかなか太陽系そっくりの惑星系は確率低いようです。

    地球外生物に関する、エホバの証人の聖書研究者たちの意見は、何のぶれもありません。創世記の最初の部分で生じたエデンの園での反逆に対する神の解決策を考えるならば、この地球以外のどこかで人類と同じ文明が存在していることは、倫理的にあり得ないからです。

    この点に関しては、「目ざこめよ!」誌、1990年4月8日号で大々的に特集されたことが記憶に残ります。以下は、その一部の抜粋です。私は、この説明で十分です。



他の惑星の生物についてはどうか

影響力のある宗教界の名士たちの中には,どんな世界でも神は目的もなく創造されることはないのだから,生物の住める世界にはすべて生物が存在するに違いない,と主張している人もいます。聖書がそう述べているのでしょうか。そうではありません。聖書は,これまでに神がこの地球以外の惑星上に肉体を持つ知的生物を創造されたことなどまずあり得ないと見てよいことを示唆しています。どうしてそう言えるでしょうか。

もし神がそのような者を本当に創造されたのであれば,アダムとエバを創造する前に創造されたことになります。そのような被造物は創造者にずっと忠実を保ったか,あるいはアダムやエバと同様,罪を犯して不完全になったかのどちらかです。

しかし,もしそれらの被造物が不完全になった場合,請け戻す者が必要になります。ある随筆家は,「金曜日[イエス・キリストが処刑された日]には毎週,宇宙のどこかでだれかの罪のためにイエスが高く掲げられる,というこの恐ろしい考えを抱いている人がいる」と言いました。しかし,それは聖書的ではありません。聖書の述べるところによると,イエスの死は「罪に関してただ一度かぎり遂げた死」でした。―ローマ 6:10。

それらの被造物が完全さを保っていたならどうでしょうか。アダムとエバが罪を犯したとき,それは事実上,肉体を持つ知的生物の世界を治める神の権利に疑問を投げかけるものとなりました。その当時,もし別の惑星が存在していたなら,神の支配のもとで調和よく忠節に生きていた,肉体を持つ知的生物で満ちていた世界は,神の支配が確かにうまくゆくことを証しする証人として喚問されたのではないでしょうか。神はまさにその論争において不完全な人間をさえご自分の証人として用いてこられたのですから,そういう結論は避けられないように思われます。―イザヤ 43:10。

ではそのことは,神がそれら無数の太陽(および,存在しているのであれば,惑星)を何の目的もなく創造したという意味なのでしょうか。決してそうではありません。イエス・キリストの特異性から考えて,この地球が今のところ宇宙で人の住む唯一の惑星であること,また地球は創造者がご自分の支配権の正しさを立証された惑星として永久に特異な存在となることも分かっていますが,将来どうなるかについては分かっていません。