山鹿素行の説
旗に紋を描いたのは7世紀はじめの聖徳太子の時に始まったが、
武家が家のシンボルとして旗に紋を付したのは源の頼朝の頃・・・
12世紀末だという。(『武家事紀』)
新井白石の説
紋は蓋(きぬがさ)の紋と牛車につけられた紋が起こりであろう。
いわゆる平安後期(11世紀末)。(『紳書』)
伊勢貞丈の説
武家の紋は旗幕の目印として保元、平治の頃にはじまったのでは
ないか。平安末期(1156~59)の頃。(『四季草』)
生田目経徳氏の説
平安初期説。9世紀ごろの発生としている。
家紋が上古の品部に起源をもつもので、各職能の記票とした遺制を
後世の武家が用いた。
沼田頼輔氏の説
弘仁・天長(810~834)以後の皇族賜姓の頃、
いまだ源、平、藤、橘の四大姓に固定した紋がなかった。
『日本家紋総覧コンパクト版』:参照
一般的によく言われているのが、
公家の輿車(こしぐるま)に、武家では旗・幕・盾・武具
から始まり、衣服、調度品など生活用具、さらに建築物、
石碑、仏具にまで広く用いられるようになった。
鎌倉時代一般化していなかったが、南北朝時代に
直垂につけるようになり、これが礼服となった。
羽織が盛んになったのは徳川時代。しかし、
当時は民間でも紋の入った裃(かみしも)を
用いたので、礼服としては通用しなかった。
紋付羽織が礼服として盛んになったのは、
刀を捨てた明治維新後で、しかも男のみに限った。
元禄時代になると、装飾的な面が強調されるようになり、
家紋の形も優美になり、派手な世相を反映し、金糸を
使った縫い紋・鹿子紋など工夫され、用途も広範多岐に渡り
一挙に拡大していった。
現代でも同じような使われ方をして、消えることなく
続いてきたのは、礼服とのつながりが非常に
強かったからだと言えるかもしれない。
さらに、今では、会社のマーク、ネクタイ、タイピン、
カフス、コンパクト、帯留、バックルなど装飾品、
アクセサリー、五月人形や雛人形にもつけられている。
女性が美しくなりたいと思うのは今も昔も同じようで、
優美に華やかに魅せるために、帯が発達したので
紋付羽織でも礼服ではないんですね。何よりも、
長い間、男性社会だったということも関係してる
とは思いますが。。。