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さあ~てと 帯しめましょか。

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帯締め、気を染め、往きましょか・・・  ~part 2~   

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家紋起源の諸説

2009年03月29日 20時43分00秒 | 家紋

山鹿素行の説

旗に紋を描いたのは7世紀はじめの聖徳太子の時に始まったが、

武家が家のシンボルとして旗に紋を付したのは源の頼朝の頃・・・

12世紀末だという。(『武家事紀』)

 

新井白石の説

紋は蓋(きぬがさ)の紋と牛車につけられた紋が起こりであろう。

いわゆる平安後期(11世紀末)。(『紳書』)

 

伊勢貞丈の説

武家の紋は旗幕の目印として保元、平治の頃にはじまったのでは

ないか。平安末期(1156~59)の頃。(『四季草』)

 

生田目経徳氏の説

平安初期説。9世紀ごろの発生としている。

家紋が上古の品部に起源をもつもので、各職能の記票とした遺制を

後世の武家が用いた。

 

沼田頼輔氏の説

弘仁・天長(810~834)以後の皇族賜姓の頃、

いまだ源、平、藤、橘の四大姓に固定した紋がなかった。 

 

『日本家紋総覧コンパクト版』:参照

 

 

一般的によく言われているのが、

公家の輿車(こしぐるま)に、武家では旗・幕・盾・武具

から始まり、衣服、調度品など生活用具、さらに建築物、

石碑、仏具にまで広く用いられるようになった。

鎌倉時代一般化していなかったが、南北朝時代に

直垂につけるようになり、これが礼服となった。

 

 羽織が盛んになったのは徳川時代。しかし、

当時は民間でも紋の入った裃(かみしも)を

用いたので、礼服としては通用しなかった。

紋付羽織が礼服として盛んになったのは、

刀を捨てた明治維新後で、しかも男のみに限った。

 

元禄時代になると、装飾的な面が強調されるようになり、

家紋の形も優美になり、派手な世相を反映し、金糸を

使った縫い紋・鹿子紋など工夫され、用途も広範多岐に渡り

一挙に拡大していった。

現代でも同じような使われ方をして、消えることなく

続いてきたのは、礼服とのつながりが非常に

強かったからだと言えるかもしれない。

 

さらに、今では、会社のマーク、ネクタイ、タイピン、

カフス、コンパクト、帯留、バックルなど装飾品、

アクセサリー、五月人形や雛人形にもつけられている。

 

 

 

女性が美しくなりたいと思うのは今も昔も同じようで、

優美に華やかに魅せるために、帯が発達したので

紋付羽織でも礼服ではないんですね。何よりも、

長い間、男性社会だったということも関係してる

とは思いますが。。。

 

 

コメント (2)
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