すずき様へ
やっと手がかりを見つけました。
長岡市ホームページ より検索。
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「 (1577年~1639年)豊臣秀吉の小姓であったが、
慶長年中蔵王堂城主堀鶴千代の後見役を勤め、
その頃から長岡城と城下町の築造を始めた。
元和2年蔵王堂城8万石の城主となって
これを更に進めたが、元和4年村上に移った。」
さらに、堀 直竒 (ほり なおより) をネットで調べて、
〔 2004/11/03:武将の銅像・・・堀直竒 〕
のアップより、銅像とともに詳しく知ることができます。(下記引用)
「特に2度にわたる長岡在城中には、
長岡城の建設および城下の整備、
信濃川の河口である新潟までの航路の整備によって
長岡だけではなく新潟も港町として発展するようになります。
ちなみに当時の新潟市周辺は沼地や潟が多く、
人が住むには難しい土地だったと思います。
以上から、現在の新潟市の発展は
直竒抜きでは考えられないことになります。」
さて、すずきさんの場合ですが、
もしかしたらこの長岡城を作った 堀直竒 に、
何らかの繋がりがあるかもしれませんね。
まずここで、『豊臣秀吉の小姓』に注目しました。
秀吉と言えば、天正十九年の
「菊桐禁止令」が思い浮かびます。
堀直竒 は 銅像より≪中菱≫が定紋であったと思われますが、
秀吉の小姓というからには≪桐紋≫を頂いていたかもしれません。
そんな、秀吉とかかわりのある人が、住むには大変な土地を
開拓しにきたのだから、有難がられたのかもしれませんね。
もし、
スズキさんの家が家紋がなかった家なら、
秀吉の桐紋の人気にあやかった可能性もあります。
禁止令が出るまでは定紋にもできましたからね。
家紋 ワールドさんの
を参考にして頂けばわかるでしょうが、
昔は、家紋はそれぞれの場所へ行くのに
ふさわしい家紋を使っていた武家も多かったようです。
定紋も時代によって変えていた家もあるようです。
それに、「秀」という字も気になります。
もし、すずきさんが
苗字の持っていない家だったとすれば、
何かしら気に入られて、
苗字を授かった可能性もあるでしょう。
あるいは、先祖が苗字を決めるときに、
秀吉にあやかったのかもしれませんね。
また、お百姓さんなどの場合は、
「田んぼの中のウメさん=田中ウメ」
という感じで、
「沢の近くの秀でた○○さん=秀沢○○」
なんて
つけられたのかもしれません。
≪おまけ≫
苗字の百貨店 というホームページから検索した、
【 「ひ」で始まる珍しい苗字 】 から、
秀沢さんは電子電話帳で8件あり、
(この4,5倍したものが実際の件数に近いものだそうです)
新潟県には5件とありました。