さあ~てと 帯しめましょか。

人生、山あり谷あり
向かうはわが身の置き場所よ。
帯締め、気を染め、往きましょか・・・  ~part 2~   

御訪問者の皆様へ

ようこそ、いらっしゃいました♪ いつも御訪問頂きありがとうございます。 訳あってコメント欄閉じていますので、《おしゃべり広場》は閲覧のみとなっております。 本年もよろしくお願いします。

      

やっと一区切り&主張

2008年08月23日 17時03分00秒 | 姓氏/珍姓・難姓・奇姓/地名

苗字を調べてみて、いろんな人の苗字に対する意見を見てきた。

「よさみ」から始まって、「あびこ」これはたくさんあったな。

「鮑子」に関係して、もっとあとからと思っていたのが先に例が出て

しまって、「魚介珍姓」まで説明を必要としてしまった。

やっとひと区切り付いたって感じでちょっと休憩。

 

 

 

ネットで検索していて思ったことを少し。

自分のが地名に関係なかったし現在残ってるのも関係ないように

実際と結び付かない。あるいは地名と一緒で土地のものであると

証明されてるみたいなものだ。など・・様々な意見があった。 

私は、土地は自然風化現象で何十年、何百年と、どんどん変わ

っているのだから、苗字をつけた最初の人がここは海だったから

それにちなんだものをつけたとて、何百年あとはどこを見渡しても

海はなかったり、山が噴火して谷になっていたり、それはあって

当然だと思う。今は残っていないからと書類や当地を実際調

べた処で本当のところはわからない。そう思っている。

 

たかだか、私が生きてきた何十年の間でさえ、凄い町の変

わりようだ。遥か昔の文献が全て残っているわけがない。

小さな村のある一人の人の言うことなどいちいち全て書き印

せるわけがないと思うからである。

 

私が参考にしている丹羽基二氏の辞典もご自分で歩かれて

集計されたようだが、当時と住所が変わっていたりしている。

すでに無くなってしまった土地も多々あろうかと思う。

 

 

要するに何が言いたいかというと、推定でものを言うのならば、

人が一生をかけて残したものを間違いであるというのはどうか

ということ。間違ってるところもあるだろうが、合っているところも

あるだろうと思うのです。少し自分勝手な意見とであったので、

私の主張をさせていただきました。

私は丹羽氏の考えに納得できるものを感じ、その研究を

尊敬する者です。よって、ありがたく使わせて頂いています。

賛同できる方のみご覧になって頂ければそれで満足です。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リンク