今日は、都心では2年ぶりの猛暑日とのこと。本当に暑かったですね。皆さんはご機嫌いかがでしょうか。主の恵みと平安とが皆さんの上に豊かにあるように、多忙の中にあっても健康と心と信仰が守られるようにお祈りしています。
今夜の祈祷会では、ピレモンへの手紙を学びます。使徒パウロのコロサイ人への手紙の結びの言葉を先週学びましたが、ローマで監禁状態にあったパウロの手紙をコロサイやエペソなど各地に届けたのは、主にある忠実な兄弟たち、テキコとオネシモでした。しかし、そのうちのオネシモは、実はピレモンという主人のもとから逃げて来た奴隷で、逃亡中のローマでパウロと出会い、イエス・キリストを救い主と信じてクリスチャンとなった経緯をもつ人でした。このオネシモをクリスチャンとしてピレモンのもとへ送り返す事になった時にしたためた手紙がピレモンへの手紙です。
まず、ピレモンとその妻アピヤ、福音のために共に戦う同志アルキポとピレモンの家の教会の人々へ挨拶をし、神と救い主の恵みと平安を祈った後、パウロはピレモンたちの忠実なる働きを神様に感謝します。ピレモンたちの愛と信仰の交わりによってどれだけ多くの人々の心が喜びに満たされ、慰められ、励まされたかをパウロたちは伝え聞いたのです。「心」という言葉は、「人間の感情の深奥の座」という意味があるそうです。ピレモンたちの家の教会が聖霊の実を豊かに結んでいたのです。私たちの教会も小さな群れですが、私たちが互いに愛し合い、主イエス様と主の御言を中心とした交わりを持つ事で、一人でも多くの人々が喜びに満たされ、慰められ、励まされるような都会の中のオアシスになれればと切に願います。小さいながらに、欠けや弱さがある中で、それでも肩の力をぬき、力まず無理せずに寄り添い、愛し合い、言葉をかけ合い、祈り合い、励まし、支え合ってゆきたいです。地道に主に仕えてゆく中で、キリストのためになされるすべての良い事が、地域に知られてゆくようにしたいと思います。
この愛と信仰に生きているピレモンにパウロは率直に一つの願いをします。それは過去にピレモンを裏切って逃げたオネシモをピレモンのもとへ送り返すから、彼の過去の過ちを許して、快く受け入れて欲しいというものでした。オネシモのことを「捕われの身で産んだわたしの子ども」とパウロは言っています。さらに「彼は以前は、あなたにとって無益な者であったが、今は、あなたにも、わたしにも、有益な者となった」とピレモンに言っています。ここには言葉遊びがあって、「オネシモ」という名は「有益」という意味なのです。あなたにとって無益であったオネシモが、クリスチャンとなって福音宣教のために有益な者となり、福音のゆえに獄中生活をしている私のために今まで忠実に仕えてくれた、そしてこれからもそうしてもらいたいが、あなたの承諾なしにはそうすべきでないと思っているとピレモンに願います。私たちも罪人であった時は無益な者でしたが、主イエス様に出会い、救い主に従う決心をしてからは主の福音と栄光のために有益な者とされました。ですから、強制されてではなく、自発的に(14節)それぞれの賜物を教会に持ち寄って、共に主と教会と地域にお仕えしたいです。
使徒パウロは、オネシモをかつての奴隷としてではなく、奴隷以上の者、つまり人として、愛する兄弟として、私を受け入れるように彼を受け入れて欲しいとピレモンに願います。オネシモに対する世の中の人間観は「奴隷」でした。しかし、世の中の価値観だけで人を見て接したりするのではなく、「神に愛され、キリストによって罪赦された者」として見て、付き合って欲しいと願います。もしオネシモにまだ負債があるのであれば、私が代わりにそれを返済しようとまで申し出ています。ここにはオネシモとピレモンに対するパウロの愛と細やかな配慮が散りばめられています。私たちも、神様が出会わせて下さる人々を、外見や性別や年齢や教養や身分や身体などで判断するのではなく、神様に造られ、生かされ、愛されている存在として寄り添ってゆければ、互いの心は喜びに満たされ、慰められ、励まされて主の愛と赦しを受けて幸せになるのではないでしょうか。大久保教会として、またクリスチャンとして出会ってゆくすべての人に神様の恵みを証しをしてゆけるように共に祈りましょう。
週の後半の日々も主の導きとお守りがあるようにお祈り致します。
主に在りて
大久保教会牧師 河野信一郎