> 大久保教会の兄弟姉妹へ 2011年1月26日
> 寒い冬空の下にあっても、主の恵みと平安によって心暖めら
> れる様に祈ります。
> 今夜からテサロニケ人への第二の手紙を学び始めます。今回
> は1章1節~4節を学びます。この手紙は、使徒パウロとシル
> ワノとテモテによって記されたことが1節から判りますが、手
> 紙の大部分はパウロが述べたことをシルワノとテモテが代筆し
> たようです。教会にもこの「代行」という働きがあると思いま
> す。先日の牧野牧師の宣教を通して「派遣」ということを聴き
> ましたが、私たちは主イエス様の「代行」として社会の中に「
> 派遣」されています。「私が主の代行者なんてとんでもない」
> と思う方も多いと思いますが、実際に私たちは主の代行者なの
> です。私たちはクリスチャンとしては小さな器ですが、その私
> たちと共に働かれる主イエス様が力強いので大丈夫なのです。
> 主が私たちの心と身体を福音を伝えるために用いられます。私
> たちが証しする時は「聖霊が語るべきことをすべて教える」と
> イエス様はおっしゃいました。ですから大丈夫なのです。「主
> が私をお用いくださる」ということはとても感動的なことで、
> 感謝なことです。パウロはシルワノとテモテと共に手紙を記す
> 中で「私は」とは云わずに「私たちは」と云いました。同様に
> 、主イエス様はいつも私たち一人ひとりと共に働いてくださり
> 、一人ひとりを主のチームに加えて「私たち」と云ってくださ
> います。私たち教会員は、教会というキリストのからだに属し
> 、主イエス様のチームの一員なのです。主から与えられた賜物
> を持ち寄り、それぞれが教会の中で委ねられている働きに献身
> する時に、教会は主の御心にかなった教会へと形づくられてゆ
> くと信じます。
> 2節に「父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安と
> が、あなたがたにあるように」と挨拶の言葉が他のパウロ書簡
> と同じように記されていますが、もう一度、私たち教会に与え
> られる恵みと平安の源は、神様であり、主イエス様であること
> を確認し、心から感謝したいと思います。この恵みと平安は、
> 他でもない神様とイエス様からでないと受けられない祝福です
> 。神を「父なる」とあるのは、神様の権威と優しさ・善意を表
> す言葉です。私たちの「父」は神様であり、私たちは主イエス
> 様にあって「神の子」です。主にあって教会は一つの家族です
> から、家族愛の中で互いに愛し合い、互いに心配ってゆくこと
> が求められています。
> 教会にとって、イエス様は「キリスト(救いをもたらすメシ
> ア)」であり、「主」です。神様によって「油注がれた救い主
> 」です。その真実を告白し続けることが教会の使命であり、私
> たち主の代行者・クリスチャンの働きです。
> 私たち任務は、たとえどんなことが私たちの身の上に起こっ
> たとしても、主イエス・キリストに従順に聞き従ってゆくこと
> です。たとえ教会が迫害と患難の中に置かれてもイエス・キリ
> ストへの信頼を揺るがさないようにとの励ましが5節から記さ
> れています。
> パウロは「わたしたちは、いつもあなたがたのことを神に感
> 謝せずにはおられない。またそうするのが当然である」と3節
> で云い、神に「感謝しない」選択肢は自分たちにはないと云わ
> んばかりです。感謝することは、クリスチャンの義務でも、オ
> プションでもありません。すべては神様の御心を通って私たち
> に与えられていますから、すべてを感謝せずにはいられないと
> 云うのです。感謝できないことを感謝しなさいと云っているの
> ではありません。感謝できない事柄にも神様のご計画があり、
> 感謝できない私たちの心に主が伴ってくださるから感謝するの
> です。主イエス様が、ご聖霊が共にいて下さるからです。
> 使徒パウロが感謝したこととは、テサロニケ教会の兄弟姉妹
> の信仰が有りとあらゆる迫害と患難の中にありながらでも、大
> いに成長し、兄弟姉妹たちの愛が教会の中でお互いに増し加わ
> っていたからです。
> テサロニケの教会は、迫害や苦難の中を共に歩む中で大いに
> 成長し、互いへの愛が増し加わっていきました。同様に、私た
> ちの信仰が成長し、お互いへの愛が増し加わるために苦しい時
> を歩むことがあります。大久保教会にとって今がそのような時
> なのかもしれません。今が忍耐の時、主を信じる信仰が試され
> ている時、新しい芽を出す前の時なのかもしれません。ですか
> ら、たとえ苦しくても、私たちが信仰をもって共に御言に聴き
> 、共に祈ってゆき、共に主と教会に仕えてゆく時期を主は豊か
> に用いてくださり、その時期を教会の成長へとつなげてくださ
> います。そして「あなたがたを誇りにしている」とパウロがテ
> サロニケ教会に云って励ますように、神様が私たちの教会を喜
> び、「新宿の地にあなたがたを建てて本当に良かった」と云っ
> てくださる時が必ず来るでしょう。主に信頼しつつ歩んでまい
> りましょう。
> 週の後半の日々も主の導きとお守りがあるようにお祈り致し
> ます。
> 主に在りて
> 大久保教会牧師 河野信一郎
> 寒い冬空の下にあっても、主の恵みと平安によって心暖めら
> れる様に祈ります。
> 今夜からテサロニケ人への第二の手紙を学び始めます。今回
> は1章1節~4節を学びます。この手紙は、使徒パウロとシル
> ワノとテモテによって記されたことが1節から判りますが、手
> 紙の大部分はパウロが述べたことをシルワノとテモテが代筆し
> たようです。教会にもこの「代行」という働きがあると思いま
> す。先日の牧野牧師の宣教を通して「派遣」ということを聴き
> ましたが、私たちは主イエス様の「代行」として社会の中に「
> 派遣」されています。「私が主の代行者なんてとんでもない」
> と思う方も多いと思いますが、実際に私たちは主の代行者なの
> です。私たちはクリスチャンとしては小さな器ですが、その私
> たちと共に働かれる主イエス様が力強いので大丈夫なのです。
> 主が私たちの心と身体を福音を伝えるために用いられます。私
> たちが証しする時は「聖霊が語るべきことをすべて教える」と
> イエス様はおっしゃいました。ですから大丈夫なのです。「主
> が私をお用いくださる」ということはとても感動的なことで、
> 感謝なことです。パウロはシルワノとテモテと共に手紙を記す
> 中で「私は」とは云わずに「私たちは」と云いました。同様に
> 、主イエス様はいつも私たち一人ひとりと共に働いてくださり
> 、一人ひとりを主のチームに加えて「私たち」と云ってくださ
> います。私たち教会員は、教会というキリストのからだに属し
> 、主イエス様のチームの一員なのです。主から与えられた賜物
> を持ち寄り、それぞれが教会の中で委ねられている働きに献身
> する時に、教会は主の御心にかなった教会へと形づくられてゆ
> くと信じます。
> 2節に「父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安と
> が、あなたがたにあるように」と挨拶の言葉が他のパウロ書簡
> と同じように記されていますが、もう一度、私たち教会に与え
> られる恵みと平安の源は、神様であり、主イエス様であること
> を確認し、心から感謝したいと思います。この恵みと平安は、
> 他でもない神様とイエス様からでないと受けられない祝福です
> 。神を「父なる」とあるのは、神様の権威と優しさ・善意を表
> す言葉です。私たちの「父」は神様であり、私たちは主イエス
> 様にあって「神の子」です。主にあって教会は一つの家族です
> から、家族愛の中で互いに愛し合い、互いに心配ってゆくこと
> が求められています。
> 教会にとって、イエス様は「キリスト(救いをもたらすメシ
> ア)」であり、「主」です。神様によって「油注がれた救い主
> 」です。その真実を告白し続けることが教会の使命であり、私
> たち主の代行者・クリスチャンの働きです。
> 私たち任務は、たとえどんなことが私たちの身の上に起こっ
> たとしても、主イエス・キリストに従順に聞き従ってゆくこと
> です。たとえ教会が迫害と患難の中に置かれてもイエス・キリ
> ストへの信頼を揺るがさないようにとの励ましが5節から記さ
> れています。
> パウロは「わたしたちは、いつもあなたがたのことを神に感
> 謝せずにはおられない。またそうするのが当然である」と3節
> で云い、神に「感謝しない」選択肢は自分たちにはないと云わ
> んばかりです。感謝することは、クリスチャンの義務でも、オ
> プションでもありません。すべては神様の御心を通って私たち
> に与えられていますから、すべてを感謝せずにはいられないと
> 云うのです。感謝できないことを感謝しなさいと云っているの
> ではありません。感謝できない事柄にも神様のご計画があり、
> 感謝できない私たちの心に主が伴ってくださるから感謝するの
> です。主イエス様が、ご聖霊が共にいて下さるからです。
> 使徒パウロが感謝したこととは、テサロニケ教会の兄弟姉妹
> の信仰が有りとあらゆる迫害と患難の中にありながらでも、大
> いに成長し、兄弟姉妹たちの愛が教会の中でお互いに増し加わ
> っていたからです。
> テサロニケの教会は、迫害や苦難の中を共に歩む中で大いに
> 成長し、互いへの愛が増し加わっていきました。同様に、私た
> ちの信仰が成長し、お互いへの愛が増し加わるために苦しい時
> を歩むことがあります。大久保教会にとって今がそのような時
> なのかもしれません。今が忍耐の時、主を信じる信仰が試され
> ている時、新しい芽を出す前の時なのかもしれません。ですか
> ら、たとえ苦しくても、私たちが信仰をもって共に御言に聴き
> 、共に祈ってゆき、共に主と教会に仕えてゆく時期を主は豊か
> に用いてくださり、その時期を教会の成長へとつなげてくださ
> います。そして「あなたがたを誇りにしている」とパウロがテ
> サロニケ教会に云って励ますように、神様が私たちの教会を喜
> び、「新宿の地にあなたがたを建てて本当に良かった」と云っ
> てくださる時が必ず来るでしょう。主に信頼しつつ歩んでまい
> りましょう。
> 週の後半の日々も主の導きとお守りがあるようにお祈り致し
> ます。
> 主に在りて
> 大久保教会牧師 河野信一郎