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大久保バプテスト教会 聖書の学び

大久保バプテスト教会で祈祷会に配信されるメルマガを掲載しています。
聖書の学びを御一緒に

メルマガ#64 使徒行伝18章18節~22節

2009-08-12 17:31:27 | 聖書
 みことば:「パウロは、ケンクレアイで髪の毛を剃り落とした。誓願を立てていたからである。」18章18節 岩波訳

 今回の箇所で、使徒パウロの第二回目の伝道旅行が終わります。総督ガリオの法廷後もコリントにしばらく滞在したパウロは、コリント教会の兄弟姉妹に別れを告げ、アクラ夫妻と共にシリア州に向かいます。なぜコリントでの宣教活動を終え、シリア州に向かったのかという理由は記されていませんが、パウロが立てた誓願と何らかの関係があるのかもしれません。パウロはコリントを去る前にケンクレヤという港町で「ある誓願を立てていたので頭を剃った」とあります。

 興味のある方はどうぞ民数記6:1-21をお読みください。そこに「ナジル人の誓願」というものがあります。「ナジル人」とはイスラエルの民の中から特別に聖別された人のことで、生涯に亘って主のために献身をしたナジル人の良い例としてサムソンやバプテスマのヨハネなどがいます。誓願の期間は最短30日から一生涯と様々ですが、期間中はぶどう酒や強い酒を断ち、頭髪を切ることをせず、死体には近づいてはなりませんでした。

 それでは使徒パウロの誓願とはいったい何であったのでしょうか。それは「だれもあなたを襲って、危害を加えるようなことはない」という10節の主の約束がコリントでの伝道期間中守られると信じる誓願であったようです。主イエス様は幻の中で「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。あなたには、わたしがついている。だれもあなたを襲って、危害を加えるようなことはない」とパウロに約束なさいました。その約束を信じ、パウロはひたすら頑張ってきたのです。18ヶ月にわたるコリント滞在期間、主が約束を厳守してくださったという感謝のしるしとして「頭を剃った」のです。「頭を剃る」という行為は、満願の際に神に対して感謝を表し、引き続き神の祝福を求めるというものです。

 中川昭一という自民党の政治家は、大臣在職時に酒に酔ったまま記者会見をし、その後その職を追われた人ですが、今回の衆議院選で再選を果たすために酒断ちを宣言したそうです。再選できるまでの願掛け、実に利己主義的な誓願です。

 牧師からのお願いです。ガラテヤ4章19節の御言葉に聴き、ご一緒に大久保教会が真のキリストのからだなる教会となる時まで、産みの苦しみを共に負っていただけないでしょうか。大久保教会は、信仰の上に忍耐が必要であり、御言葉への聴従と熱心な祈りが必要な過渡期の混乱の中にあります。「涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る」という詩篇126篇5節にあるように、共に祈りつつ、共に福音の種まきをしていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。

 パウロは、この伝道旅行初期に向かいたかったアシア地方エペソに到着し、そこで短期間キリストの福音を宣べ伝えます。エペソの人々はもっと長期にわたって滞在し、キリストについて教えてほしいと懇願しましたが、パウロは「神の御心なら、またあなたがたの所に帰ってこよう」と言ってエペソを後にします。パウロはなぜ急いでいたのでしょうか。エルサレムでの「過ぎ越しの祭り」に間に合うように急いだとの説もあります。私たちも御言葉に聴き、自分の思いではなく神の御心、主イエス様のご命令に従って歩みましょう。その時に、私たちの教会の成長と成果があるのです。神の御旨を第一にする時、私たちの祈りは必ず応えられるのです。
 パウロは異邦人へ伝道するために「異邦人のようになった」のですが、一方ではユダヤ人であることを大切にし、ユダヤ人として主の御旨どおりに生きました。私たちもクリスチャンであること、クリスチャンとされている恵みを大切にしつつ、隣人に証ししてゆきましょう。
 使徒パウロはその後カイザリヤに着き、エルサレムに上って、エルサレム教会に挨拶をした後、彼を送りだしたアンテオケ教会に戻ります。何と次ぎの23節から第三回目の伝道旅行が始まります。
 週の後半の歩みも、主イエス様が共に歩んで守り導いてくださいますように。
 主に在りて
大久保教会 牧師 河野信一郎

メルマガ#63 使徒行伝18章12節~17節

2009-08-05 17:19:44 | 聖書
 みことば:「ガリオがアカイア州の総督であった時、ユダヤ人たちは一致して、パウロに反対して立ち上がり、彼を法廷に引き立てて行った。」18章12節 岩波訳

 今回の箇所は、使徒パウロの生涯の年代付けを推定する唯一の手掛かりとなる箇所です。ガリオがアカイア州の総督であったのは、実在する歴史的資料によって西暦51年から西暦52年でありましたから、パウロはこの年の前後18ヶ月にわたってコリントに滞在していたことが判ります。この箇所からパウロの生涯の年代付けが逆算、計算されてゆきました。

 さて、パウロは18ヶ月にわたってコリント滞在します。諸教会の祈りと経済的な支え、またテモテとシラスによるサポート、アクラ夫妻の協力などを受けて、パウロは懸命にイエス・キリストこそメシヤであるとユダヤ人たちの会堂でひたすら証言し続けました。その中で、会堂司のクリスポとその家族、また多くのコリント人が福音を聞いて信じ、ぞくぞくとバプテスマを受けました。しかし、キリスト教に対する反抗も次第にエスカレートしてゆきます。その拒絶する力が大きくなる中で、パウロは幻の中で主イエスの声を聞きます。「恐れるな。語り続けよ。沈黙するな。私はお前と共にいる。だから、お前を襲ってお前を害する者はない。この町には、私の民が大勢いるのだから。」(9-10節) この言葉がその後のパウロの宣教活動に大きな力を与えます。私たちもよく目の前の人たちを見て恐れます。しかし、主イエス様が「あなたと共にいる」と私たちに約束し、励まして下さいます。日常生活の中で、何か尻込みしそうになる時、何か気が進まないという時にはまずお祈りをして、聖霊の助けを求め、主が共にいて下さるという約束を思い出しましょう。

 アカイヤ州コリントの総督ガリオに対し、ユダヤ教徒たちはパウロが「律法に反する仕方で神を拝するようにと、人々を誘惑している」と訴えます。ここで「律法」と訳されるギリシャ語は、ローマの「法律」をも意味していますので、ユダヤ教徒たちはパウロの宣教内容がユダヤの律法だけでなく、ローマの法律にも違反すると訴えたかったのです。しかし、総督はパウロの宣教内容の問題は、あくまでユダヤ教の「律法」に関する言葉や名称や考えであって、我々には何ら関係ないと退け、ユダヤ教とキリスト教の「内輪もめ」は自分たちで解決しろと命じます。また、宗教と政治は相見えないという政教分離の考えが反映されているように思えます。ルカは、ローマがキリスト教に対して中立、公平であることを私たちに訴えようとしています。私たちも宗教と政治を混合してはなりませんが、クリスチャンとしての声を世に発し、キリスト教会としての告白を立ててゆく必要があると思います。唯一の被爆国として、核兵器廃絶と世界平和のためにまず祈り、そして神がイエス・キリストを通して人類の救いと平和を望んでおられるという福音を伝えてゆく使命があると思います。

 今回は、総督ガリオがパウロより先に口を開き、ユダヤ教とキリスト教の問題は双方で解決せよとその場をおさめましたが、「パウロが口を開こうとすると、ガリオはユダヤ人たちに言った」とあるように、パウロにもちゃんと答弁する準備はできていました。私たちにも「イエスはわたしの主なり」と証しする心の準備がいつもできているでしょうか。いつでも証し出来るように祈りつつ準備をしておきましょう。そうでないと、証しの絶好のチャンスをいつも逃してしまうでしょう。

 週の後半の歩みも、主イエス様が共に歩んで守り導いてくださいますように。
 主に在りて
大久保教会 牧師 河野信一郎