みことば:「パウロは、ケンクレアイで髪の毛を剃り落とした。誓願を立てていたからである。」18章18節 岩波訳
今回の箇所で、使徒パウロの第二回目の伝道旅行が終わります。総督ガリオの法廷後もコリントにしばらく滞在したパウロは、コリント教会の兄弟姉妹に別れを告げ、アクラ夫妻と共にシリア州に向かいます。なぜコリントでの宣教活動を終え、シリア州に向かったのかという理由は記されていませんが、パウロが立てた誓願と何らかの関係があるのかもしれません。パウロはコリントを去る前にケンクレヤという港町で「ある誓願を立てていたので頭を剃った」とあります。
興味のある方はどうぞ民数記6:1-21をお読みください。そこに「ナジル人の誓願」というものがあります。「ナジル人」とはイスラエルの民の中から特別に聖別された人のことで、生涯に亘って主のために献身をしたナジル人の良い例としてサムソンやバプテスマのヨハネなどがいます。誓願の期間は最短30日から一生涯と様々ですが、期間中はぶどう酒や強い酒を断ち、頭髪を切ることをせず、死体には近づいてはなりませんでした。
それでは使徒パウロの誓願とはいったい何であったのでしょうか。それは「だれもあなたを襲って、危害を加えるようなことはない」という10節の主の約束がコリントでの伝道期間中守られると信じる誓願であったようです。主イエス様は幻の中で「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。あなたには、わたしがついている。だれもあなたを襲って、危害を加えるようなことはない」とパウロに約束なさいました。その約束を信じ、パウロはひたすら頑張ってきたのです。18ヶ月にわたるコリント滞在期間、主が約束を厳守してくださったという感謝のしるしとして「頭を剃った」のです。「頭を剃る」という行為は、満願の際に神に対して感謝を表し、引き続き神の祝福を求めるというものです。
中川昭一という自民党の政治家は、大臣在職時に酒に酔ったまま記者会見をし、その後その職を追われた人ですが、今回の衆議院選で再選を果たすために酒断ちを宣言したそうです。再選できるまでの願掛け、実に利己主義的な誓願です。
牧師からのお願いです。ガラテヤ4章19節の御言葉に聴き、ご一緒に大久保教会が真のキリストのからだなる教会となる時まで、産みの苦しみを共に負っていただけないでしょうか。大久保教会は、信仰の上に忍耐が必要であり、御言葉への聴従と熱心な祈りが必要な過渡期の混乱の中にあります。「涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る」という詩篇126篇5節にあるように、共に祈りつつ、共に福音の種まきをしていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。
パウロは、この伝道旅行初期に向かいたかったアシア地方エペソに到着し、そこで短期間キリストの福音を宣べ伝えます。エペソの人々はもっと長期にわたって滞在し、キリストについて教えてほしいと懇願しましたが、パウロは「神の御心なら、またあなたがたの所に帰ってこよう」と言ってエペソを後にします。パウロはなぜ急いでいたのでしょうか。エルサレムでの「過ぎ越しの祭り」に間に合うように急いだとの説もあります。私たちも御言葉に聴き、自分の思いではなく神の御心、主イエス様のご命令に従って歩みましょう。その時に、私たちの教会の成長と成果があるのです。神の御旨を第一にする時、私たちの祈りは必ず応えられるのです。
パウロは異邦人へ伝道するために「異邦人のようになった」のですが、一方ではユダヤ人であることを大切にし、ユダヤ人として主の御旨どおりに生きました。私たちもクリスチャンであること、クリスチャンとされている恵みを大切にしつつ、隣人に証ししてゆきましょう。
使徒パウロはその後カイザリヤに着き、エルサレムに上って、エルサレム教会に挨拶をした後、彼を送りだしたアンテオケ教会に戻ります。何と次ぎの23節から第三回目の伝道旅行が始まります。
週の後半の歩みも、主イエス様が共に歩んで守り導いてくださいますように。
主に在りて
大久保教会 牧師 河野信一郎
今回の箇所で、使徒パウロの第二回目の伝道旅行が終わります。総督ガリオの法廷後もコリントにしばらく滞在したパウロは、コリント教会の兄弟姉妹に別れを告げ、アクラ夫妻と共にシリア州に向かいます。なぜコリントでの宣教活動を終え、シリア州に向かったのかという理由は記されていませんが、パウロが立てた誓願と何らかの関係があるのかもしれません。パウロはコリントを去る前にケンクレヤという港町で「ある誓願を立てていたので頭を剃った」とあります。
興味のある方はどうぞ民数記6:1-21をお読みください。そこに「ナジル人の誓願」というものがあります。「ナジル人」とはイスラエルの民の中から特別に聖別された人のことで、生涯に亘って主のために献身をしたナジル人の良い例としてサムソンやバプテスマのヨハネなどがいます。誓願の期間は最短30日から一生涯と様々ですが、期間中はぶどう酒や強い酒を断ち、頭髪を切ることをせず、死体には近づいてはなりませんでした。
それでは使徒パウロの誓願とはいったい何であったのでしょうか。それは「だれもあなたを襲って、危害を加えるようなことはない」という10節の主の約束がコリントでの伝道期間中守られると信じる誓願であったようです。主イエス様は幻の中で「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。あなたには、わたしがついている。だれもあなたを襲って、危害を加えるようなことはない」とパウロに約束なさいました。その約束を信じ、パウロはひたすら頑張ってきたのです。18ヶ月にわたるコリント滞在期間、主が約束を厳守してくださったという感謝のしるしとして「頭を剃った」のです。「頭を剃る」という行為は、満願の際に神に対して感謝を表し、引き続き神の祝福を求めるというものです。
中川昭一という自民党の政治家は、大臣在職時に酒に酔ったまま記者会見をし、その後その職を追われた人ですが、今回の衆議院選で再選を果たすために酒断ちを宣言したそうです。再選できるまでの願掛け、実に利己主義的な誓願です。
牧師からのお願いです。ガラテヤ4章19節の御言葉に聴き、ご一緒に大久保教会が真のキリストのからだなる教会となる時まで、産みの苦しみを共に負っていただけないでしょうか。大久保教会は、信仰の上に忍耐が必要であり、御言葉への聴従と熱心な祈りが必要な過渡期の混乱の中にあります。「涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る」という詩篇126篇5節にあるように、共に祈りつつ、共に福音の種まきをしていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。
パウロは、この伝道旅行初期に向かいたかったアシア地方エペソに到着し、そこで短期間キリストの福音を宣べ伝えます。エペソの人々はもっと長期にわたって滞在し、キリストについて教えてほしいと懇願しましたが、パウロは「神の御心なら、またあなたがたの所に帰ってこよう」と言ってエペソを後にします。パウロはなぜ急いでいたのでしょうか。エルサレムでの「過ぎ越しの祭り」に間に合うように急いだとの説もあります。私たちも御言葉に聴き、自分の思いではなく神の御心、主イエス様のご命令に従って歩みましょう。その時に、私たちの教会の成長と成果があるのです。神の御旨を第一にする時、私たちの祈りは必ず応えられるのです。
パウロは異邦人へ伝道するために「異邦人のようになった」のですが、一方ではユダヤ人であることを大切にし、ユダヤ人として主の御旨どおりに生きました。私たちもクリスチャンであること、クリスチャンとされている恵みを大切にしつつ、隣人に証ししてゆきましょう。
使徒パウロはその後カイザリヤに着き、エルサレムに上って、エルサレム教会に挨拶をした後、彼を送りだしたアンテオケ教会に戻ります。何と次ぎの23節から第三回目の伝道旅行が始まります。
週の後半の歩みも、主イエス様が共に歩んで守り導いてくださいますように。
主に在りて
大久保教会 牧師 河野信一郎