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大久保バプテスト教会 聖書の学び

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聖書の学びを御一緒に

テサロニケ人への第一の手紙4章9節~12節

2011-01-16 22:50:36 | 聖書

大久保教会の兄弟姉妹へ 2010年12月1日
12月に入り、コートが欠かせなくなりました。いかがお過
ごしでしょうか。皆さんの上に、主の恵みと平安とが豊かにあ
りますようにお祈りしています。
*待降節・アドベントが始まりました。今週は、世界祈祷週
間、今日の祈りの課題は、「全世界に主の福音が伝えられます
ように」です。

今夜は、テサロニケ人への第一の手紙4章9節~12節を学
びます。今回の短い箇所は、2つに分けることができます。9
節から10a節は、「クリスチャンの兄弟姉妹同士が今までの
ように、またこれからもますます互いに愛し合いなさい」とい
う教会内への勧めです。10b節から12節は、クリスチャン
として教会の外でどのように生活すべきかとの勧めです。
パウロは、テサロニケの兄弟姉妹たちに対して、「兄弟愛に
ついては、今さら書き送る必要はない。事実、マケドニア全土
にいるすべての兄弟姉妹たちに対して、兄弟愛を実行している
」と云っています。これは凄いことだなあと私は思うのです。
教会内で兄弟姉妹同士が互いに愛し合っていた。いったいどう
やって愛し合うことができたのだろうと思うのです。
愛し合いというのはどういうことでしょうか。互いに大切に
し合い、お互いの気持ちを尊重しつつも、お互いの境界線を越
えない付き合いなのでしょうか。相手のために善かれと思って
やったことが裏目に出たり、そっとしておいたほうが良いだろ
うと声をかけないと「冷たい」と云われたり、様々なことに気
を配りすぎて疲れ果ててしまうということ、教会の中でも起こ
ることです。
互いに愛し合うって、どういうことでしょう。私は、「互い
に生かし合う」ということではないかと思うのです。主イエス
様は、私たちを生かすために十字架に架かって死んで下さいま
した。友のために命を捨てること、それ以上に大きな愛はない
と主はいわれますが、友を生かすために自分を犠牲にする。そ
れをクリスチャン同士が互いにし合うことによって、互いが生
かされる。これは人間の愛(エロース、フィレオー、ストルゲ
ー)では決して結べない愛です。
ですから、ここでパウロは、教会の兄弟姉妹を愛し、互いに
愛するために神の愛(アガペー)が必要というのです。パウロ
は9節で、「あなたがたは、互いに愛し合うように神に直接教
えられており」と云います。「互いに愛し合うように神に直接
教えられている」というのはどういう意味でしょうか。「神」
とは神の霊、つまりご聖霊のことです。イエス様は弟子たちに
直接そのようにお教えになりましたが、テサロニケ教会の兄弟
姉妹たちには、ご聖霊がその働きを通して教えたのです。ガラ
テヤ人への手紙5章にもあるように、御霊の実は愛とあるよう
に、ご聖霊が直接私たちに愛を与え、また愛すること、互いに
愛し合うことを教えて下さるのです。
私たちが主イエス様の弟子である証明は、私たちが互いに愛
し合うことだと主はヨハネ13:35で云われました。ヨハネ
は、私たちが神から出た者であるという証明は、主にある兄弟
姉妹同士が愛し合うことだと1ヨハネ3:10で云っています

次に、10b節から12節で、クリスチャンとして教会の外
でどのように生活すべきかを勧めています。ここでパウロは4
つのことを強く勧めています。
一つは、「ますます」互いに愛し合うことです。愛するとい
うことは、一生かかってもマスターできる業ではありません。
ご聖霊のお導きと励ましの中で、愛する者へと変えられてゆく
ことを覚え、主イエスの言葉に聞き従い、ご聖霊の導きに従っ
てまいりましょう。
二つ目は、「努めて落ち着いた生活をする」ということです
。テサロニケ教会の兄弟姉妹たちは、主イエス様の再臨を今か
、今かと待ちわびすぎて、心落ち着いた生活ができなかったの
かもしれません。それに対してパウロは注意を促します。今の
時代は、主の再臨を待ちわびるよりも、主イエス様のことを思
うよりも、日々降り掛かって来る様々な試練や試みに心がかき
乱され、クリスチャンらしからぬ不安に満ちた生活を私たちは
送っているのではないでしょうか。
三つ目は、「自分の仕事に身を入れる」ということです。私
たちクリスチャンの使命は、神様の愛、キリストの福音を証し
することです。それを無視して世の中を良くしようと政治活動
に専念したら、本末転倒です。世の中を変えるためには、神様
が出会わしてくださる一人ひとりに神様の愛を証しすることが
ベストです。
また、自分の使命をわきまえる必要があります。主と教会と
隣人に仕え、主を礼拝することをしないで、自分のために生き
ていては、それはいずれ空しいことであることに気付きます。
四つ目は、「手ずから働きなさい」ということです。教会に
おいても、社会においても、神様から委ねられた働きを人任せ
にすることなく、主から委ねられたと喜んで献身してゆくこと
が信仰の成長、成熟につながります。私たちは、神様からそれ
ぞれに特別な賜物が与えられています。それらの賜物を持ち寄
って、主のために働くときに、私たちはキリストのからだなる
教会として組み合わされてゆきます。私たちはそれぞれ、神様
から委ねられた自分のなすべきことを忠実に成してゆきましょ
う。
そうしたら、12節にあるように、「教会の人びとに対して
クリスチャンとしての品位を保ち、また誰の世話にもならずに
生活できる」ように主が祝福してくださいます。信じて、主の
言葉に聞き従い、委ねられた業に共に励みましょう。
それではまた。週の後半の日々も主の導きとお守りがあるよ
うにお祈り致します。
主に在りて
大久保教会牧師 河野信一郎