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大久保バプテスト教会 聖書の学び

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聖書の学びを御一緒に

コロサイ人への手紙4章2節~6節

2011-01-16 21:05:05 | 聖書

大久保教会の兄弟姉妹へ 2010年7月7日
今日は七夕ですね。お元気ですか? 私たちは、神様の憐れみの中で、御言葉と祈りと黙想を通していつでも神様と親しく交われますから、感謝ですね。 主の恵みと平安とがあなたの上に豊かにあるように、健康が守られますようにお祈りしています。

今夜の祈祷会では、コロサイ人への手紙4章2節~6節を学びます。

使徒パウロは、私たちに対して
1)いつも信仰の目をさまし、
2)感謝の祈りをし、
3)ひたすら祈り続けなさいと
2節で勧めます。

目を覚ましていることは、「サタンの誘惑に陥らないように、心は熱しているが、肉体は弱いのです」と言われたイエス様の言葉を思い出させます。信仰の目を覚ましていると、何が神様のご配慮とお導きであって、何がサタンの誘惑であるかが判るということでしょう。信仰の目を閉じると、眠りに陥ってしまい、主の光と道が見えなくなります。信仰的に彷徨い、神様から離れることになりかねません。信仰の目を覚ましていると、神様の愛と御業をいつも拝して、心から喜ぶことができるからでしょう。

すべてのことに感謝しなさいと私たちは命じられています。それは、すべての事柄には神様のご配慮とご計画、主の目的と意味があるからです。私たちは、喜ばしい事柄には素直に神様に感謝できます。しかし、感謝できない様々な事柄にも神様のご計画があるから、主に信頼して、主に感謝しなさいと命じられています。

ひたすら祈り続ける。これは簡単な様でチャレンジングな命令です。私たちが祈りたい時とか、祈らざるを得ない時だけ祈るのではなく、時が良くても悪くてもひたすら祈る。ひたすら神様とのコミュニケーションをとってゆくことの重要さを語っているようです。「祈りは信仰の呼吸」とよく言われます。神様に心を向けて祈らないと信仰的に窒息してしまいます。またフォーサイスというイギリスの神学者は「祈らないことは最大の罪である」と言いました。サムエル記上12:23で預言者サムエルはイスラエルの民に対して「わたしはあなたがたのために祈ることを止めて、主に罪を犯すことは決してしないであろう」と言いました。

パウロは、コロサイ教会の兄弟姉妹たちに「わたしたちのためにも祈ってほしい」と3~4節で訴えています。祈りのリクエストその一は、パウロたちが伝道できるように神様が門を開いてくださるように。その二は、キリストの福音を語れるチャンスがパウロたちに与えられるように。その三は、そのチャンスが到来したら語るべきことを大胆に語れるようにということでした。コロサイ教会の兄弟姉妹たちがただ祈られる存在として存在するのではなく、教会のために、使徒たちや互いのために祈って支える存在になってほしいと訴えています。私たちの大久保教会もそのような「互いに祈り合い、支え合う」教会に形作られてゆきたいと心から願っています。祈りの課題があったら、いつでも祈りの要請ができ、心を一つに祈る、愛し合う教会に形作られてゆきたいですね。そのために「遠慮はなし」にしましょう。強がることなく、一人で無理することなく、心を合わせて共に神様に祈りましょう。私を「信仰の孫」と可愛がってくれた副田正義先生は、私への手紙をいつも「祈っています。祈って下さい」という言葉で閉じられました。信仰の大先輩が私の様な若輩者に「祈ってください」と頼むことに、先生の謙虚さ、祈りなしに主のために働けないという信仰のひた向きさを感じました。

5節で「今の時を生かして用い、そとの人に対して賢く行動しなさい」とパウロ先生は言われます。「そとの人」とはクリスチャンでない人のことです。この人たちに主の恵みを証しすることが私たちクリスチャンに委ねられていますが、主の導きと力添えを祈りつつ、神様が与えてくださる出会いと証しのチャンス時を見極め、そして賢く用いることができるようにと励まします。神の備えてくださる時を「生かす」、きめ細やかな心配りをしつつ行動しなさいと聞こえます。

6節に「いつも、塩で味つけられた、やさしい言葉を使いなさい」と言われています。普通の言葉ではなく、塩で味つけられた優しい言葉です。塩は「変化・変革」を表す言葉だと思います。私たちは、主イエス様という神の言葉によって現在進行形で「造り変えられている者」です。主の言葉は私たちに変化をもたらします。主の言葉を聞いても私たちに何も変化がないなら、主の言葉をしっかりと聞いていない、不従順であるということになりましょう。主の言葉は、私たちの刺々しく堅い心を柔らかく優しい心に変えてくださる力です。主の言葉に聞き従う者として、いつもやさしい言葉と思いやりのある行動をとり続けたいですね。そのために、共に祈りませんか。共に神様に、主イエス様を通して祈りましょう。
週の後半の日々も主の導きとお守りがあるようにお祈り致します。
主に在りて
大久保教会牧師 河野信一郎