みことば:「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも、あなたの家族も救われます」。16章31節 岩波訳
前回、使徒パウロとシラスがピリピの町で捕えられたことを学びました。
捕えられた理由は、パウロが占いの霊に取り付かれた女奴隷からその霊を追い出したことによって、彼女の占いをビジネスとして大きな利益を得ていた主人たちが怒ったことでしたが、パウロとシラスは捕えられ、広場に引きずり出され、ピリピの政務官(長官)たちの前で訴えられます。
彼らは三つの訴えをします。
1)パウロたちはユダヤ人、
2)町の秩序を乱している、
3)ローマ人に悪い風習を宣伝し、悪影響を与えているというものでした。
ユダヤ人への偏見と不当な理由でしたが、主人たちの訴えと群衆の声を鵜呑みにした政務官たちは裁判にかけることなく、パウロたちを公然でむちで打ち、牢獄につないでしまいます。
むち打たれた傷の痛みがあったはずのパウロたちですが、獄中で夜遅くまで神様に祈りと讃美をささげます。
たとえ投獄され、自由を奪われ、苦しみの中におかれても神様に祈ることと讃美することを止めません。
何故ならパウロたちには神様への信頼と希望があるからです。
彼らの祈りと讃美は、ほかに捕えられている囚人たちへの良き証しとなります。
私たちも試練の中に置かれることがありますが、そういう時にこそ、神様に祈ることと礼拝をささげることを忘れずに、また大切にしましょう。
主イエスを信じ、主の言葉に聴き、祈り、礼拝をささげることが、同じ試練、苦境の中にある人々への良き証しとなるのです。
パウロたちが祈りと讃美をささげている時、とつぜん大地震が起こり、牢獄のすべての扉は開かれ、足につなげられていた鎖が解けて自由にされます。神様の救出の御業です。
しかし、今回の神様の救いの御業は、ただ単にパウロたちを救う御業ではなく、牢獄の看守長とその家族が救われるためになされた業なのです。
大地震によって牢のすべての扉が開かれた状態を見、すべての囚人が脱走したと思い込んでしまった看守長は、責任をとって自害しようとします。
しかし、パウロが大声で叫びます。
「自害してはいけない。私たちは皆ここにいるのだから」と。
どんなことがあっても、自殺はしてはいけません。
どんなことがあってもです。
私たちの命は神様のものです。
神様のご意思を無視してはなりません。
神様は救いの道を備え、永遠の命へと導いてくださいます。
誰も脱走しなかったことに畏れおののいた看守長は、震えながらパウロとシラスの前にひれ伏し、
「救われるために何をすべきでしょうか」と尋ねます。
パウロたちの神によって救われるために何をすれば救われるのかと尋ねます。
パウロたちは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも、あなたの家族も救われます」とただ主イエス様を救い主と信じる信仰を求めます。
行いではなく、神様の恵みと憐れみによってのみ救われる。
神の愛の現れである御子イエス・キリストを救い主と信じるのです。
看守長の家族がつぎに登場し、看守長と共にバプテスマを受け、救いを家族と共に喜びます。
家長が、家族全体を代表して信じ、代理としてバプテスマを受けることはできないのです。
一人ひとりが、その心で神を信じ、イエス様を救い主として従ってゆくことの重要性が記されています。
それぞれの愛する家族の救いのために祈りましょう。
あなたが良き証し人として生かされる様に、私も心をこめて祈ります。
週の後半の歩みも、主イエス様が共に歩んで守り導いてくださいますように。
主に在りて
大久保教会 牧師 河野信一郎
前回、使徒パウロとシラスがピリピの町で捕えられたことを学びました。
捕えられた理由は、パウロが占いの霊に取り付かれた女奴隷からその霊を追い出したことによって、彼女の占いをビジネスとして大きな利益を得ていた主人たちが怒ったことでしたが、パウロとシラスは捕えられ、広場に引きずり出され、ピリピの政務官(長官)たちの前で訴えられます。
彼らは三つの訴えをします。
1)パウロたちはユダヤ人、
2)町の秩序を乱している、
3)ローマ人に悪い風習を宣伝し、悪影響を与えているというものでした。
ユダヤ人への偏見と不当な理由でしたが、主人たちの訴えと群衆の声を鵜呑みにした政務官たちは裁判にかけることなく、パウロたちを公然でむちで打ち、牢獄につないでしまいます。
むち打たれた傷の痛みがあったはずのパウロたちですが、獄中で夜遅くまで神様に祈りと讃美をささげます。
たとえ投獄され、自由を奪われ、苦しみの中におかれても神様に祈ることと讃美することを止めません。
何故ならパウロたちには神様への信頼と希望があるからです。
彼らの祈りと讃美は、ほかに捕えられている囚人たちへの良き証しとなります。
私たちも試練の中に置かれることがありますが、そういう時にこそ、神様に祈ることと礼拝をささげることを忘れずに、また大切にしましょう。
主イエスを信じ、主の言葉に聴き、祈り、礼拝をささげることが、同じ試練、苦境の中にある人々への良き証しとなるのです。
パウロたちが祈りと讃美をささげている時、とつぜん大地震が起こり、牢獄のすべての扉は開かれ、足につなげられていた鎖が解けて自由にされます。神様の救出の御業です。
しかし、今回の神様の救いの御業は、ただ単にパウロたちを救う御業ではなく、牢獄の看守長とその家族が救われるためになされた業なのです。
大地震によって牢のすべての扉が開かれた状態を見、すべての囚人が脱走したと思い込んでしまった看守長は、責任をとって自害しようとします。
しかし、パウロが大声で叫びます。
「自害してはいけない。私たちは皆ここにいるのだから」と。
どんなことがあっても、自殺はしてはいけません。
どんなことがあってもです。
私たちの命は神様のものです。
神様のご意思を無視してはなりません。
神様は救いの道を備え、永遠の命へと導いてくださいます。
誰も脱走しなかったことに畏れおののいた看守長は、震えながらパウロとシラスの前にひれ伏し、
「救われるために何をすべきでしょうか」と尋ねます。
パウロたちの神によって救われるために何をすれば救われるのかと尋ねます。
パウロたちは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも、あなたの家族も救われます」とただ主イエス様を救い主と信じる信仰を求めます。
行いではなく、神様の恵みと憐れみによってのみ救われる。
神の愛の現れである御子イエス・キリストを救い主と信じるのです。
看守長の家族がつぎに登場し、看守長と共にバプテスマを受け、救いを家族と共に喜びます。
家長が、家族全体を代表して信じ、代理としてバプテスマを受けることはできないのです。
一人ひとりが、その心で神を信じ、イエス様を救い主として従ってゆくことの重要性が記されています。
それぞれの愛する家族の救いのために祈りましょう。
あなたが良き証し人として生かされる様に、私も心をこめて祈ります。
週の後半の歩みも、主イエス様が共に歩んで守り導いてくださいますように。
主に在りて
大久保教会 牧師 河野信一郎