みことば:「ですから、皆さん、元気を出しなさい。私は神を信じています、私に言われたこと(ローマでの使命と乗員すべての救いの約束)はその通りになると、と」27章25節 岩波訳
使徒パウロの忠告も空しく、乗客・乗員276名を乗せた船は、ピニクス港へ出航しましたが、その船は暴風と荒波によって遭難してしまいます。幾日も太陽も星も見えない暗闇の中で人々は人生の方向性を見失い、助かる希望を失い、不安と恐怖におののき、食事をする気力さえおきません。空しさの中に完全に置かれてしまいます。私たちも不安や苦しみのあまり、食欲が湧かない、何をする気力も湧いて来ないという経験をします。パウロはそのような人々の中に立ち、「あなたたちが私の忠告に従って、クレテ島から出航しないでいたら、このような危険や損失を避けることができたのです」とまず悔い改めることを勧めます。今更そんなことを言っても仕方が無い、今ある現状からどうにか逃れる道を捜すことが先決と私たちは考えてしまいます。しかし、パウロは意地悪でそのように言っているのではありません。同じ間違いを犯さないために、まず自分たちの間違いを悔い改めることが大切だと言っているのです。私たちも主イエス様に出会うまで、主の御声に聴き従うことなく自分勝手に生き、そのような歩みの中で多くの苦しみを経験し、失意と落胆、不安と恐怖におののいてきました。しかし、そのような私たちを神様は憐れんで下さり、救い主をお遣わし下さったのです。主の言葉に聴き従わなかったことへの悔い改めがあって初めて、私たちに主の救いの道が開かれ、神様の愛と赦しと救いと平安が与えられます。
失意と落胆、不安と恐怖におののいている人々に対してパウロは次に「元気を出しなさい」と励まします。航海を前に人々に警告をした時には、「(もし航海をしようとすれば)積荷や船体ばかりでなく、私たちの命にまで、危険と多大な損害をもたらすでしょう」(10節)とパウロは言ったのですが、今回の苦境の中では「元気を出しなさい。船は失うが、命を失う者は一人もないから」と激励と希望を与える言葉をかけるのです。人々に励ましと希望を与えるパウロの言葉の根拠は、神のみ使いが前夜に告げた主の言葉でした。まずパウロに対して「恐れるな」と主が励ましを与えるのです。そして次にパウロには担うべきローマでの使命があることを再度伝え、その御旨を行なわせる為にパウロだけでなく全ての乗員・乗客の命をも救うとの力強い約束の言葉を神様はパウロにお与えになられるのです。そして今日生かされている私たちにも「恐れるな」、「わたしはあなたと共にいる」と励ましと約束の言葉を、主イエス様がお与え下さるのです。
パウロの言葉は神様から与えられたものです。彼自身の知恵と経験から出た言葉ではなく、神様の言葉でした。絶望と暗闇の中に置かれている人々への希望の言葉を語る前に、まずパウロ自身が主から励ましと希望の言葉を聞いていったのです。人生のどん底の中で、み使いから神様の言葉を聞いたので、人々に「元気を出しなさい」と言い得たのです。
榎本保郎牧師は、「絶望的な状況の中で、何を見、何を聞き、何に生きる根拠をおくかが重要な事柄なのです。生きる望みを失った人々に『元気を出しなさい』と励ますのがクリスチャンの使命ではないか。そのためには、どんな状況の中にあっても語りかけていてくださる天からの声に耳を傾けつづけねばならない。この天よりの声を聞くことをせずに、いくらこの世のことに献身的にかかわっていっても、その人はこの世の人と全く同じなので何も助けることはできない。この世の人の聞き得ない天よりの声を聞いてこそ、この世の人に力を与えることができるのである」と言われます。今日を生かされている私たちには、聖書を通して主の御言葉に常に聞き、主の御言葉に励まされ、望みを失っている人々を励ましてゆく使命が与えられています。牧師のためにもお祈りください。
遭難してから14日目のことです。パウロの励ましの言葉を聞いた人々の中には、悔い改めて神に信頼する人々が起こりましたが、悔い改めることなく自分達だけ自力で助かろうとする身勝手な船員たちがいます。自分たちの命を救う為に乗客たちを見捨てようとするのです。しかし私たちは、主イエス様の贖いの十字架を信じ、悔い改めて主の言葉に聴き従い続けましょう。
週の後半の歩みも、主イエス様が共に歩んで守り導いてくださいますように。
主に在りて
大久保教会 牧師 河野信一郎
使徒パウロの忠告も空しく、乗客・乗員276名を乗せた船は、ピニクス港へ出航しましたが、その船は暴風と荒波によって遭難してしまいます。幾日も太陽も星も見えない暗闇の中で人々は人生の方向性を見失い、助かる希望を失い、不安と恐怖におののき、食事をする気力さえおきません。空しさの中に完全に置かれてしまいます。私たちも不安や苦しみのあまり、食欲が湧かない、何をする気力も湧いて来ないという経験をします。パウロはそのような人々の中に立ち、「あなたたちが私の忠告に従って、クレテ島から出航しないでいたら、このような危険や損失を避けることができたのです」とまず悔い改めることを勧めます。今更そんなことを言っても仕方が無い、今ある現状からどうにか逃れる道を捜すことが先決と私たちは考えてしまいます。しかし、パウロは意地悪でそのように言っているのではありません。同じ間違いを犯さないために、まず自分たちの間違いを悔い改めることが大切だと言っているのです。私たちも主イエス様に出会うまで、主の御声に聴き従うことなく自分勝手に生き、そのような歩みの中で多くの苦しみを経験し、失意と落胆、不安と恐怖におののいてきました。しかし、そのような私たちを神様は憐れんで下さり、救い主をお遣わし下さったのです。主の言葉に聴き従わなかったことへの悔い改めがあって初めて、私たちに主の救いの道が開かれ、神様の愛と赦しと救いと平安が与えられます。
失意と落胆、不安と恐怖におののいている人々に対してパウロは次に「元気を出しなさい」と励まします。航海を前に人々に警告をした時には、「(もし航海をしようとすれば)積荷や船体ばかりでなく、私たちの命にまで、危険と多大な損害をもたらすでしょう」(10節)とパウロは言ったのですが、今回の苦境の中では「元気を出しなさい。船は失うが、命を失う者は一人もないから」と激励と希望を与える言葉をかけるのです。人々に励ましと希望を与えるパウロの言葉の根拠は、神のみ使いが前夜に告げた主の言葉でした。まずパウロに対して「恐れるな」と主が励ましを与えるのです。そして次にパウロには担うべきローマでの使命があることを再度伝え、その御旨を行なわせる為にパウロだけでなく全ての乗員・乗客の命をも救うとの力強い約束の言葉を神様はパウロにお与えになられるのです。そして今日生かされている私たちにも「恐れるな」、「わたしはあなたと共にいる」と励ましと約束の言葉を、主イエス様がお与え下さるのです。
パウロの言葉は神様から与えられたものです。彼自身の知恵と経験から出た言葉ではなく、神様の言葉でした。絶望と暗闇の中に置かれている人々への希望の言葉を語る前に、まずパウロ自身が主から励ましと希望の言葉を聞いていったのです。人生のどん底の中で、み使いから神様の言葉を聞いたので、人々に「元気を出しなさい」と言い得たのです。
榎本保郎牧師は、「絶望的な状況の中で、何を見、何を聞き、何に生きる根拠をおくかが重要な事柄なのです。生きる望みを失った人々に『元気を出しなさい』と励ますのがクリスチャンの使命ではないか。そのためには、どんな状況の中にあっても語りかけていてくださる天からの声に耳を傾けつづけねばならない。この天よりの声を聞くことをせずに、いくらこの世のことに献身的にかかわっていっても、その人はこの世の人と全く同じなので何も助けることはできない。この世の人の聞き得ない天よりの声を聞いてこそ、この世の人に力を与えることができるのである」と言われます。今日を生かされている私たちには、聖書を通して主の御言葉に常に聞き、主の御言葉に励まされ、望みを失っている人々を励ましてゆく使命が与えられています。牧師のためにもお祈りください。
遭難してから14日目のことです。パウロの励ましの言葉を聞いた人々の中には、悔い改めて神に信頼する人々が起こりましたが、悔い改めることなく自分達だけ自力で助かろうとする身勝手な船員たちがいます。自分たちの命を救う為に乗客たちを見捨てようとするのです。しかし私たちは、主イエス様の贖いの十字架を信じ、悔い改めて主の言葉に聴き従い続けましょう。
週の後半の歩みも、主イエス様が共に歩んで守り導いてくださいますように。
主に在りて
大久保教会 牧師 河野信一郎