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大久保バプテスト教会 聖書の学び

大久保バプテスト教会で祈祷会に配信されるメルマガを掲載しています。
聖書の学びを御一緒に

メルマガ#87 使徒行伝27章21~32節

2010-02-24 21:02:39 | 聖書
 みことば:「ですから、皆さん、元気を出しなさい。私は神を信じています、私に言われたこと(ローマでの使命と乗員すべての救いの約束)はその通りになると、と」27章25節 岩波訳

 使徒パウロの忠告も空しく、乗客・乗員276名を乗せた船は、ピニクス港へ出航しましたが、その船は暴風と荒波によって遭難してしまいます。幾日も太陽も星も見えない暗闇の中で人々は人生の方向性を見失い、助かる希望を失い、不安と恐怖におののき、食事をする気力さえおきません。空しさの中に完全に置かれてしまいます。私たちも不安や苦しみのあまり、食欲が湧かない、何をする気力も湧いて来ないという経験をします。パウロはそのような人々の中に立ち、「あなたたちが私の忠告に従って、クレテ島から出航しないでいたら、このような危険や損失を避けることができたのです」とまず悔い改めることを勧めます。今更そんなことを言っても仕方が無い、今ある現状からどうにか逃れる道を捜すことが先決と私たちは考えてしまいます。しかし、パウロは意地悪でそのように言っているのではありません。同じ間違いを犯さないために、まず自分たちの間違いを悔い改めることが大切だと言っているのです。私たちも主イエス様に出会うまで、主の御声に聴き従うことなく自分勝手に生き、そのような歩みの中で多くの苦しみを経験し、失意と落胆、不安と恐怖におののいてきました。しかし、そのような私たちを神様は憐れんで下さり、救い主をお遣わし下さったのです。主の言葉に聴き従わなかったことへの悔い改めがあって初めて、私たちに主の救いの道が開かれ、神様の愛と赦しと救いと平安が与えられます。

 失意と落胆、不安と恐怖におののいている人々に対してパウロは次に「元気を出しなさい」と励まします。航海を前に人々に警告をした時には、「(もし航海をしようとすれば)積荷や船体ばかりでなく、私たちの命にまで、危険と多大な損害をもたらすでしょう」(10節)とパウロは言ったのですが、今回の苦境の中では「元気を出しなさい。船は失うが、命を失う者は一人もないから」と激励と希望を与える言葉をかけるのです。人々に励ましと希望を与えるパウロの言葉の根拠は、神のみ使いが前夜に告げた主の言葉でした。まずパウロに対して「恐れるな」と主が励ましを与えるのです。そして次にパウロには担うべきローマでの使命があることを再度伝え、その御旨を行なわせる為にパウロだけでなく全ての乗員・乗客の命をも救うとの力強い約束の言葉を神様はパウロにお与えになられるのです。そして今日生かされている私たちにも「恐れるな」、「わたしはあなたと共にいる」と励ましと約束の言葉を、主イエス様がお与え下さるのです。

 パウロの言葉は神様から与えられたものです。彼自身の知恵と経験から出た言葉ではなく、神様の言葉でした。絶望と暗闇の中に置かれている人々への希望の言葉を語る前に、まずパウロ自身が主から励ましと希望の言葉を聞いていったのです。人生のどん底の中で、み使いから神様の言葉を聞いたので、人々に「元気を出しなさい」と言い得たのです。

榎本保郎牧師は、「絶望的な状況の中で、何を見、何を聞き、何に生きる根拠をおくかが重要な事柄なのです。生きる望みを失った人々に『元気を出しなさい』と励ますのがクリスチャンの使命ではないか。そのためには、どんな状況の中にあっても語りかけていてくださる天からの声に耳を傾けつづけねばならない。この天よりの声を聞くことをせずに、いくらこの世のことに献身的にかかわっていっても、その人はこの世の人と全く同じなので何も助けることはできない。この世の人の聞き得ない天よりの声を聞いてこそ、この世の人に力を与えることができるのである」と言われます。今日を生かされている私たちには、聖書を通して主の御言葉に常に聞き、主の御言葉に励まされ、望みを失っている人々を励ましてゆく使命が与えられています。牧師のためにもお祈りください。

 遭難してから14日目のことです。パウロの励ましの言葉を聞いた人々の中には、悔い改めて神に信頼する人々が起こりましたが、悔い改めることなく自分達だけ自力で助かろうとする身勝手な船員たちがいます。自分たちの命を救う為に乗客たちを見捨てようとするのです。しかし私たちは、主イエス様の贖いの十字架を信じ、悔い改めて主の言葉に聴き従い続けましょう。
 週の後半の歩みも、主イエス様が共に歩んで守り導いてくださいますように。
 主に在りて  
大久保教会 牧師 河野信一郎

メルマガ#87 使徒行伝27章21~32節

2010-02-24 21:02:39 | 聖書
 みことば:「ですから、皆さん、元気を出しなさい。私は神を信じています、私に言われたこと(ローマでの使命と乗員すべての救いの約束)はその通りになると、と」27章25節 岩波訳

 使徒パウロの忠告も空しく、乗客・乗員276名を乗せた船は、ピニクス港へ出航しましたが、その船は暴風と荒波によって遭難してしまいます。幾日も太陽も星も見えない暗闇の中で人々は人生の方向性を見失い、助かる希望を失い、不安と恐怖におののき、食事をする気力さえおきません。空しさの中に完全に置かれてしまいます。私たちも不安や苦しみのあまり、食欲が湧かない、何をする気力も湧いて来ないという経験をします。パウロはそのような人々の中に立ち、「あなたたちが私の忠告に従って、クレテ島から出航しないでいたら、このような危険や損失を避けることができたのです」とまず悔い改めることを勧めます。今更そんなことを言っても仕方が無い、今ある現状からどうにか逃れる道を捜すことが先決と私たちは考えてしまいます。しかし、パウロは意地悪でそのように言っているのではありません。同じ間違いを犯さないために、まず自分たちの間違いを悔い改めることが大切だと言っているのです。私たちも主イエス様に出会うまで、主の御声に聴き従うことなく自分勝手に生き、そのような歩みの中で多くの苦しみを経験し、失意と落胆、不安と恐怖におののいてきました。しかし、そのような私たちを神様は憐れんで下さり、救い主をお遣わし下さったのです。主の言葉に聴き従わなかったことへの悔い改めがあって初めて、私たちに主の救いの道が開かれ、神様の愛と赦しと救いと平安が与えられます。

 失意と落胆、不安と恐怖におののいている人々に対してパウロは次に「元気を出しなさい」と励まします。航海を前に人々に警告をした時には、「(もし航海をしようとすれば)積荷や船体ばかりでなく、私たちの命にまで、危険と多大な損害をもたらすでしょう」(10節)とパウロは言ったのですが、今回の苦境の中では「元気を出しなさい。船は失うが、命を失う者は一人もないから」と激励と希望を与える言葉をかけるのです。人々に励ましと希望を与えるパウロの言葉の根拠は、神のみ使いが前夜に告げた主の言葉でした。まずパウロに対して「恐れるな」と主が励ましを与えるのです。そして次にパウロには担うべきローマでの使命があることを再度伝え、その御旨を行なわせる為にパウロだけでなく全ての乗員・乗客の命をも救うとの力強い約束の言葉を神様はパウロにお与えになられるのです。そして今日生かされている私たちにも「恐れるな」、「わたしはあなたと共にいる」と励ましと約束の言葉を、主イエス様がお与え下さるのです。

 パウロの言葉は神様から与えられたものです。彼自身の知恵と経験から出た言葉ではなく、神様の言葉でした。絶望と暗闇の中に置かれている人々への希望の言葉を語る前に、まずパウロ自身が主から励ましと希望の言葉を聞いていったのです。人生のどん底の中で、み使いから神様の言葉を聞いたので、人々に「元気を出しなさい」と言い得たのです。

榎本保郎牧師は、「絶望的な状況の中で、何を見、何を聞き、何に生きる根拠をおくかが重要な事柄なのです。生きる望みを失った人々に『元気を出しなさい』と励ますのがクリスチャンの使命ではないか。そのためには、どんな状況の中にあっても語りかけていてくださる天からの声に耳を傾けつづけねばならない。この天よりの声を聞くことをせずに、いくらこの世のことに献身的にかかわっていっても、その人はこの世の人と全く同じなので何も助けることはできない。この世の人の聞き得ない天よりの声を聞いてこそ、この世の人に力を与えることができるのである」と言われます。今日を生かされている私たちには、聖書を通して主の御言葉に常に聞き、主の御言葉に励まされ、望みを失っている人々を励ましてゆく使命が与えられています。牧師のためにもお祈りください。

 遭難してから14日目のことです。パウロの励ましの言葉を聞いた人々の中には、悔い改めて神に信頼する人々が起こりましたが、悔い改めることなく自分達だけ自力で助かろうとする身勝手な船員たちがいます。自分たちの命を救う為に乗客たちを見捨てようとするのです。しかし私たちは、主イエス様の贖いの十字架を信じ、悔い改めて主の言葉に聴き従い続けましょう。
 週の後半の歩みも、主イエス様が共に歩んで守り導いてくださいますように。
 主に在りて  
大久保教会 牧師 河野信一郎

メルマガ#85 使徒行伝27章13~20節

2010-02-17 23:05:30 | 聖書
みことば:「その時、おだやかな南風が吹いて来たので、人々は彼らのもくろみを達成できると思い、錨を上げ、クレタ島の海岸に沿って航行した。しかし、間もなく『北東風(ユーラキュロン)』という暴風が、島の方から吹き降ろしてきた。船はこれに吹き流され、風に逆らって進むことができなかったので、私たちは流されるにまかせた。」27章13~15節 岩波訳

 短い箇所ですが、ローマへ護送されている最中、使徒パウロたちが乗船していた船が暴風によって遭難する最初の部分です。「遭難」の箇所を3週にわたって学びます。乗客・乗員の数は276名、航海をするには危険な時期なので出航を思いとどまらせようとパウロは警告しましたが、多数決によって東へ45キロ離れたフィニキア港へ向かうことが決定されました。出航時に追い風の南風が吹いたので皆は喜んだのですが、しばらくすると島の方から激しい逆風が吹き、状況は一変します。2000年前の古代の木造船ですから、たとえ270名強の人々が乗船できても、構造上激しい風と波に長時間耐えられるものではありません。島影に一時非難して船に応急処置を試みますが、その後は座礁しないために帆を下ろし、風と波に流されるままになります。乗客・乗員はひどく悩まされ、翌日には積荷をすべて捨て、三日目には船具まで捨てたのです。すべては276人の命を守り、生き延びる為でした。けれども真っ暗な分厚い雲が空を覆い、幾日も太陽も星も見えず、暴風と荒波が人々の体と心を激しく打ち、自分たちがどこを漂っているのかも判らないまま、一人を除いてすべての人は助かるという希望、生きる希望を完全に失います。

 暴風と荒波に長時間さらされても、生きる望み、救いの望みを失わなかったただ一人の人が使徒パウロです。彼には主イエス様からの派遣の言葉と約束の言葉が与えられていましたから、自分は遭難したとしても決して死ぬ事はない、必ずローマへたどり着く事ができると確信していました。私たちも日々の生活の中で、出足は非常に良かったのにその後に状況が変わって逆風に苦しむことがあります。今現在、人生の逆風に苦しんでいる方も居られるでしょう。何をやってもうまく行かない、すべてが空回りという方も居られるでしょう。すべてを失った、失いかけているという方も居られるかもしれません。人生の真っ暗闇の中に置かれて、自分が何処にいて、何のために生きているのか判らないという方も居られるかもしれません。そういう中で、私たちに何ができるでしょうか。一つだけ方法があります。それは使徒パウロのように、イエス様から希望の言葉、約束の言葉、生きる目的を知る言葉を受け、ひたすら信じてゆく以外に救いへの道はないのです。自力で希望を見出す術は、私たちにはないのです。

 今回の使徒パウロたちの遭難の出来事を読んで、旧約聖書「ヨナ書」にある預言者ヨナに起こった出来事を思い起こされる方もおられるでしょう。今回のパウロたちの状況と同様、預言者ヨナが乗っていた船も激しい嵐に遭い、乗員たちがすべての積荷を捨て去りますが、それでも嵐が止まないので生きる希望を失いかけるのです。しかし、ヨナが乗っていた乗客と乗員は最終的には助かります。ヨナの出来事とパウロの出来事には大きな違いがあります。ヨナの場合、ヨナが乗船していたので嵐に遭い、ヨナが海に投げ入られることによってすべての乗員・乗客は助かりました。神様から委ねられた使命に預言者ヨナが生きようとしなかったからです。しかしパウロの場合は違います。来週も学びますが、激しい嵐の中に置かれた275人の人々は、パウロが乗船していたので助けられたのです。パウロには主イエス様から委ねられたローマでの宣教という使命があり、その使命に忠実に生きよう、主の恵みに応えようという強い信仰があったからです。

 私たちは、今日、ヨナでしょうか。それともパウロでしょうか。神様の御旨に生きようとする者でしょうか。それとも自分の思いのままに生きようとする者でしょうか。神様は、御旨を大切にする者、すなわち主イエス様の御言葉に聴き従い、主が与えて下さっている人生の使命と目的に生きる者を祝福し、聖霊によって守り、導き、力づけ、進むべき道を示して下さるのです。

 週の後半の歩みも、主イエス様が共に歩んで守り導いてくださいますように。
 主に在りて  
大久保教会 牧師 河野信一郎