大久保教会の兄弟姉妹へ 2010年7月14日
主の恵みと平安とがあなたの上に豊かにあるように、多忙の中にあっても健康と心と信仰が守られるようにお祈りしています。
今夜の祈祷会では、コロサイ人への手紙の最後の部分、4章7節~18節を学びます。この部分は、使徒パウロのコロサイのクリスチャンたちへ手紙の結びの言葉です。まずパウロは、7節と9節で、テキコとオネシモいう忠実な兄弟たちがこの手紙をコロサイの兄弟姉妹へ届けると言っています。ローマで軟禁状態にあるパウロの手紙をコロサイやエペソなどの各地に届けたのは、忠実な兄弟、しもべ仲間でした。私たちも、主のしもべとして、忠実に主にお仕えし、福音を地域と隣人に届けたいと願います。オネシモについては、来週、ピレモンへの手紙を学びますから、その時にお話ししますが、実は彼はピレモンのもとから逃げて来た奴隷でしたが、パウロとの出会いを通してクリスチャンとなりました。
7節から14節までにはたくさんのパウロの同労者の名が記されています。テキコ、オネシモ、アリスタルコ、マルコ、ユストと呼ばれるイエス、エパフラス、ルカ、デマスです。マルコとルカは後に福音書を記した人たちですが、この同労者のリストから判る事は、パウロの伝道はチーム伝道であったことです。パウロはよく「気難しい性格な人」とか、「単独行動の好きな孤独な人」というレッテルを貼られますが、それは大きな間違いで、チーム伝道を重要視する伝道者でした。多くの同労者の助けなしに福音伝達の業はできないとよく理解していました。そして同労者たちの功績を惜しみなくたたえ、感謝をする人でした。テキコのことをパウロは「忠実に仕えている愛する兄弟」と呼び、オネシモのことを「忠実な愛する兄弟」と呼びます。大久保教会も一丸となって、チームで伝道をして行く事が主の御旨ではないかと強く感じます。限られた人だけでは大変です。それぞれの賜物を持ち寄って、主におささげし、主と教会と地域に仕えてゆきましょう。
もう一つ、このリストから判る事は、初代のクリスチャンたちは主にあるクリスチャン仲間のネットワークを持ち、そのネットワークで共に福音を伝えたということです。皆さんにもお仲間がおられると思いますが、クリスチャンの仲間はもっとも重要であり必要な仲間なのです。私たちが仲間と言う時、大学時代のサークル仲間であったり、同窓・同郷・同性という一つの枠内の仲間あったりしますが、パウロの仲間を見ると、奴隷、医者、割礼を受けたユダヤ人、異邦人とバックグラウンドの幅が実に広いのです。それはキリストの福音が奴隷であれ、自由人であれ、ユダヤ人であれ、異邦人であれ、すべての人々に伝えられ、その人々が身分など関係なしにイエス様を救い主と信じることのできたという証明です。私たちには大久保教会という神の家族、主イエス様を中心とした仲間が与えられています。その仲間が与えられていることを喜び、主に感謝し、互いに仕え合い、祈り合い、支え合ってゆきましょう。また、必ずしもバプテストという枠組みにとらわれる必要はないと思います。教派、教団、教会を越えたクリスチャンの仲間を職場や様々な環境のなかで増やしましょう。そのために必要なステップは「私はクリスチャンです」と告白する事だと思います。その告白を主は祝福してくださり、新しい出会いを与え、クリスチャンネットワークを広げてくださるでしょう。ネットワークを築き、共に主の栄光のために働き、キリストの福音を伝える業に参加してゆきたいですね。
12節に、キリスト・イエスのしもべエパフラスの熱心な祈りの内容が記されています。彼の熱き願いは、コロサイの兄弟姉妹たちが「まったき人となり、神の御旨を事毎に確信して信仰に立つように」なることでした。今日、主イエス様は同じことを私たちに願っておられるのではないでしょうか。主イエス様を救い主と信じ、主に倣う者、似る者としてまったき人に変えられてゆくこと。そしてすべての事柄には神様の目的とご配慮、意味があると確信し、全幅の信頼を寄せてゆくことを私たちに求めておられるのだと思います。
「主にあって受けた務をよく果すように」と17節にあります。これはパウロからアルキポへの励ましの言葉です。この言葉を私たちへの叱咤激励の言葉として聞いてゆきたいと思います。私たち一人ひとりが「主から受けた務め」、それをもう一度思い起こし、主と教会と隣人に仕えてまいりましょう。
パウロは結びの言葉として「わたしが獄につながれていることを、覚えていてほしい」と18節で訴えます。この言葉は、「わたしのことを哀れに思って下さい」という意味ではなく、パウロと同じように福音のために迫害に苦しみ、また信仰生活の中で労苦している人々への励ましの言葉でもあります。主のご栄光のための苦しみ。隣人のための苦しみ。どんな時にも、主に信頼して、主のために働く時、主の愛と憐れみと恵みを体験するのです。救い主イエス様を信じましょう。
週の後半の日々も主の導きとお守りがあるようにお祈り致します。
主に在りて
大久保教会牧師 河野信一郎
主の恵みと平安とがあなたの上に豊かにあるように、多忙の中にあっても健康と心と信仰が守られるようにお祈りしています。
今夜の祈祷会では、コロサイ人への手紙の最後の部分、4章7節~18節を学びます。この部分は、使徒パウロのコロサイのクリスチャンたちへ手紙の結びの言葉です。まずパウロは、7節と9節で、テキコとオネシモいう忠実な兄弟たちがこの手紙をコロサイの兄弟姉妹へ届けると言っています。ローマで軟禁状態にあるパウロの手紙をコロサイやエペソなどの各地に届けたのは、忠実な兄弟、しもべ仲間でした。私たちも、主のしもべとして、忠実に主にお仕えし、福音を地域と隣人に届けたいと願います。オネシモについては、来週、ピレモンへの手紙を学びますから、その時にお話ししますが、実は彼はピレモンのもとから逃げて来た奴隷でしたが、パウロとの出会いを通してクリスチャンとなりました。
7節から14節までにはたくさんのパウロの同労者の名が記されています。テキコ、オネシモ、アリスタルコ、マルコ、ユストと呼ばれるイエス、エパフラス、ルカ、デマスです。マルコとルカは後に福音書を記した人たちですが、この同労者のリストから判る事は、パウロの伝道はチーム伝道であったことです。パウロはよく「気難しい性格な人」とか、「単独行動の好きな孤独な人」というレッテルを貼られますが、それは大きな間違いで、チーム伝道を重要視する伝道者でした。多くの同労者の助けなしに福音伝達の業はできないとよく理解していました。そして同労者たちの功績を惜しみなくたたえ、感謝をする人でした。テキコのことをパウロは「忠実に仕えている愛する兄弟」と呼び、オネシモのことを「忠実な愛する兄弟」と呼びます。大久保教会も一丸となって、チームで伝道をして行く事が主の御旨ではないかと強く感じます。限られた人だけでは大変です。それぞれの賜物を持ち寄って、主におささげし、主と教会と地域に仕えてゆきましょう。
もう一つ、このリストから判る事は、初代のクリスチャンたちは主にあるクリスチャン仲間のネットワークを持ち、そのネットワークで共に福音を伝えたということです。皆さんにもお仲間がおられると思いますが、クリスチャンの仲間はもっとも重要であり必要な仲間なのです。私たちが仲間と言う時、大学時代のサークル仲間であったり、同窓・同郷・同性という一つの枠内の仲間あったりしますが、パウロの仲間を見ると、奴隷、医者、割礼を受けたユダヤ人、異邦人とバックグラウンドの幅が実に広いのです。それはキリストの福音が奴隷であれ、自由人であれ、ユダヤ人であれ、異邦人であれ、すべての人々に伝えられ、その人々が身分など関係なしにイエス様を救い主と信じることのできたという証明です。私たちには大久保教会という神の家族、主イエス様を中心とした仲間が与えられています。その仲間が与えられていることを喜び、主に感謝し、互いに仕え合い、祈り合い、支え合ってゆきましょう。また、必ずしもバプテストという枠組みにとらわれる必要はないと思います。教派、教団、教会を越えたクリスチャンの仲間を職場や様々な環境のなかで増やしましょう。そのために必要なステップは「私はクリスチャンです」と告白する事だと思います。その告白を主は祝福してくださり、新しい出会いを与え、クリスチャンネットワークを広げてくださるでしょう。ネットワークを築き、共に主の栄光のために働き、キリストの福音を伝える業に参加してゆきたいですね。
12節に、キリスト・イエスのしもべエパフラスの熱心な祈りの内容が記されています。彼の熱き願いは、コロサイの兄弟姉妹たちが「まったき人となり、神の御旨を事毎に確信して信仰に立つように」なることでした。今日、主イエス様は同じことを私たちに願っておられるのではないでしょうか。主イエス様を救い主と信じ、主に倣う者、似る者としてまったき人に変えられてゆくこと。そしてすべての事柄には神様の目的とご配慮、意味があると確信し、全幅の信頼を寄せてゆくことを私たちに求めておられるのだと思います。
「主にあって受けた務をよく果すように」と17節にあります。これはパウロからアルキポへの励ましの言葉です。この言葉を私たちへの叱咤激励の言葉として聞いてゆきたいと思います。私たち一人ひとりが「主から受けた務め」、それをもう一度思い起こし、主と教会と隣人に仕えてまいりましょう。
パウロは結びの言葉として「わたしが獄につながれていることを、覚えていてほしい」と18節で訴えます。この言葉は、「わたしのことを哀れに思って下さい」という意味ではなく、パウロと同じように福音のために迫害に苦しみ、また信仰生活の中で労苦している人々への励ましの言葉でもあります。主のご栄光のための苦しみ。隣人のための苦しみ。どんな時にも、主に信頼して、主のために働く時、主の愛と憐れみと恵みを体験するのです。救い主イエス様を信じましょう。
週の後半の日々も主の導きとお守りがあるようにお祈り致します。
主に在りて
大久保教会牧師 河野信一郎