大久保教会の兄弟姉妹へ 2010年12月8日
今日は一段と寒く感じましたが、いかがお過ごしでしょうか
。皆さんの上に、主の恵みと平安とが豊かにありますようにお
祈りしています。
*アドベント第二週目を過ごしています。
今夜は、テサロニケ人への第一の手紙4章13節~18節を
学びます。ここは、「眠っている人たち、つまり先に亡くなっ
たクリスチャンの兄弟姉妹たち」について使徒パウロが記す箇
所です。クリスチャンたちが亡くなった原因が何であったのか
、病気であったのか、迫害によるものなのかは記されていませ
んが、残された者たちにとって愛する者の死は大きな痛みと悲
しみを与えました。その悲しみと憂いが大きすぎて、希望を持
てなくなってしまった人も教会の中にいたのでしょう。彼らを
慰め、励ますためにパウロは手紙に記します。
パウロは、テサロニケのクリスチャンたちに「眠っている人
びとについては、無知でいてもらいたくない。また望みを持た
ない人びとのように悲しんでほしくない」と云います。「先に
亡くなったクリスチャンたちは死んだのではなく、眠っている
のだ」と云います。イエス様もご自身の親しい友が死んだ時、
「ラザロは死んだのではなく眠っている」とヨハネ11:11
で云われましたし、ヤイロの娘の時も「子は死んだのではない
、眠っているのだ」とマルコ5:39で云われました。
主イエス・キリストは、私たちの罪を贖い、私たちを永遠に
生かすためにカルバリの丘の十字架に架かって死んで下さり、
三日後に神様はイエス様を永遠に生きる者の初穂として死の淵
から甦らせました。この復活し、今も生きたもう救い主イエス
・キリストを信じる者たちは、その信仰によって義とされ、永
遠の命が約束され、その約束が生きる希望として与えられてい
ます。パウロが「無知でいてもらいたくない」と云ったのは、
神の子イエス・キリストには先に死んだ者たちを甦らせ、永遠
の命を継がせる「力」のあるお方である事を信じ続けてほしい
ということと、その主イエスは必ず再臨され、その時にキリス
トを信じて従って来た者たちは主イエスと会い、そして先に眠
った者たちと今を生かされている者たちが地上から引き上げら
れ、主の執り成しによって再会ができ、そして御国において永
遠に主を共に誉め讃える者とされると恵みでした。
教会の中にグノーシス派の異端が入り込み「肉体の甦りはな
い」とか、「グノーシス派の教えを信じない者には霊的甦りも
ない」などと間違った教えの影響が少なからずあったのであり
ましょう。パウロはそういうテサロニケ教会の兄弟姉妹の不安
を取り除き、主にある希望を持ち続けるようにと励ましたので
すが、14節で「わたしたちは主の言葉によって言う」と云っ
ています。つまり、パウロ自身の言葉にではなく、主イエスの
言葉に人びとを不安から解放し、希望を持ち続けさせる力があ
ると言うのです。
神様は私たちに「無知でいてもらいたくない」と今回云われ
ます。何に対してでしょうか? それは神の愛の力、福音の力
、強いて云えば主イエスの十字架と復活の力に対してでありま
す。御使ガブリエルはマリヤに「神には、何でもできないこと
はありません」と宣言しました。混沌とした時代に、暗闇の中
にイエス・キリストという世の光を与えて下さいました。聖霊
によってマリヤは身ごもりました。神様にできないことは何一
つありません。
「富んでいる者が神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通
る方が、もっとやさしい」と云われたイエス様に対し、人びと
は「それでは、誰が救われることができるのですか」と尋ねま
すが、イエス様は「人にはできない事も、神にはできる」と救
いは神様から、神様の力によるもの、神様の恵みであると云わ
れました。神様にはできないことはありません。
死人を復活させる力のある方は神様だけです。私たちに朽ち
ない命を与える力と愛を持たれたお方は父なる神、御子なるイ
エス、そして御霊なのです。この三位一体の神を私たちは信じ
、私たちの罪を贖い、永遠の命を約束し、唯一与えうる力のあ
るお方を私たちは信じ、神・救い主と告白し、このお方の声に
いつも聞き従ってゆく、それが大久保教会という群れです。そ
のことをいつも大切にしましょう。
私たちがクリスチャンとしてこの時代に生きてゆく上で、信
仰と希望と愛という大きな力を与えてくださる救い主イエス様
のご降誕を大久保教会に共に集って心からお祝い致しましょう
。
それではまた。週の後半の日々も主の導きとお守りがあるよ
うにお祈り致します。
主に在りて
大久保教会牧師 河野信一郎