残暑お見舞い申し上げます。月曜・火曜と雨が降って過ごしやすかったですが、今日は暑さがきびしいですね。その後、お元気でしょうか。
主の恵みと平安とが豊かにあるように、多忙の中にあっても健康と心と信仰が守られるようにお祈りしています。
今夜の祈祷会はテトスへの手紙1章5節から9節を学びます。地中海に浮かぶクレテ島で福音伝道をしていた使徒パウロとテトスたちでありましたが、不明な理由によってパウロは島を離れる事となりました。しかし、テトスをその島に残すことにしました。それは5節にあるように、クレテ島にてやり残している働きをテトスに遂行させ、その働きを整えるためであり、クレテ島各地のクリスチャンの群れに長老を立てる任務に当たらせるためでした。一生懸命に蒔いた福音の種、また福音の芽・信仰を成長させ、クリスチャンの群れを教会へと形作るために、パウロはテトスをクレテ島へ残し、重要な働きに着かせたのです。クリスチャンの群れが教会として形作られてゆくために必要なこと、それはリーダーを立てることでした。ここには「長老」、「監督」とありますが、複数形で記されていますから、複数のリーダーをそれぞれのグループに立てる必要があったようです。リーダーが複数である理由は、グループのすべての人に配慮ができ、その中にハーモニーをつくるため、効果的な働きがチームで可能であるためと色々あります。複数牧会や牧師と執事・役員との連携は、教会を形作ってゆくためには大切なことなのです。
6節から「長老、監督=教会のリーダー」の資格について記されていますが、1テモテ3:1-7の資格とは少々違いがあります。各地の各教会によっては、状況が違うのでしょう。教会のリーダーは3つのエリアで誠実な者でなければなりません。まず家庭において、配偶者と子どもたちに対して「責められる点がないほど」誠実でなければならないと6節にあります。次に人々に対しても「責められる点がないほど」誠実でなければならないと7節にあります。「わがままでなく、軽々しく怒らず、酒を好まず、乱暴でなく、利をむさぼらない人」と自己中心で感情を制御できない人はリーダーとして主と教会に仕えることはできないのです。教会を立て上げるリーダーシップを持つ人は「旅人をもてなし、善を愛し、慎み深く、正しく、信仰深く、自制する人」と8節にあります。家族と隣人に対して誠実なだけでなく、自分に対しても正直な人で、教会と隣人に心から仕えようとするメンタリティーの持ち主を神様は教会のリーダーとして用いられるということを学びとれます。教会のリーダーシップを完全に持ち得る者はいません。いないと思います。私には「持ち得ている」と言いきることはできません。ただ、いまは出来なくても、主の憐れみと御言葉と聖霊の働きによって造り変えられてゆきたいと願います。神様は、私たち一人ひとりにそのように願っておられるのではないでしょうか。
私たちがクリスチャンとして家族、隣人、自分に対して誠実であるためには、神の言葉である聖書に常に聞き従ってゆく必要があります。9節で教会のリーダーとなるべき人は「教えにかなった信頼すべき言葉を守る人でなければならない」とあります。私たちが信頼すべきは神様であり、主の御言にあります。この御言にいつも留まっていなければ、クリスチャンとして、リーダーとして、証し者として立つ事はできません。クリスチャンとして、家庭でも、職場や人々の交わりの中でも家族や友たちと誠実に向き合うためには、まず私たちが神様と正直に向き合い、心から主の言葉と日々向き合い、その言葉に忠実に聞き従ってゆかなければならないのです。その中で、神の御言によって人々を諭すことができ、誠実でない人たちに対しても彼らの誤りを鋭く指摘することができるようになります。
教会のリーダーでなくても、一人のクリスチャンとして、神に仕える者として「責められる点がない」ように、今までの不誠実さを悔い改めて、主の御言によって造り変えられましょう。
週の後半の日々も主の導きとお守りがあるようにお祈り致します。
主に在りて
大久保教会牧師 河野信一郎